無明とは無我や無常という考え方を知らないことです。ですから釈迦も「十二因縁jの最初に無明をおきました。感覚から得たものだけを判断の材料として、本能的な欲望(渇愛)に従って対象を見つけるのが、現代では自我と勘違いされているようです。それは欲望で自我ではありません。自我はもっと心の底にあり、心にとりついた執着が欲望を作りだします。「強い心を持って執着の激流を渡り、煩悩の矢を抜きされ」と釈迦は教えています。「もっと楽しいことを、もっと自分にjと願っている聞は、苦の世界をさまようのです。
妄想と暮らさない呼吸

大事なことは、本来無一物なのだから、必要なものは全部、自分の内側にあると認識することです。外にあるのは、妄想を映したものだと知ったなら、妄想と暮らさない毎日を実践します。
最大のルーティンである深い呼吸を最高のものにします。
高貴なヒトである自分にふさわしい最高の呼吸をルーティンにして細胞を喜ばせてあげましょう。
- 快は問題を大きくするだけ
- 学びだけでは解決しない
- ドロップアウトの因果は回るだけで役に立たない
- 宗教や寺では本質を解決できない
-
苦の正体である妄想は自分の心を投影したもの

これが菩提樹の下の瞑想でお釈迦様が悟ったことで、苦と楽の因果をシステムマティックに解析されました。
「一つにして全」・・・一分間でもよい、日常を忘れ、自然体で自分を見つめ直してみましょう。それが<般若の道>の第一歩です。重い荷物を下ろして、あるがままでエンドレスにワンダフルな人生を創造するのが<般若の呼吸>です。
呼吸は生きている限り、休むことなく続きます。
呼吸が浅いなと思っても、ああ今日の自分はこうなんだと受け入れて、あとは一切を手放す。意識して整えようとしないのが<般若の呼吸>です。

禅で坐る場合、それは身、息、心が安定し、調和のとれた状態をさします。禅では、「調身・調息・調心」といい、正しい姿勢、呼吸法、心のあり方が一体になってはじめて、坐ったといえるのです。調はととのえるという意昧です。
まずやってみて何もかも吐き出す<般若の呼吸>は、<禅>から多くを学んでいますが<禅>と少し違います。まず「吐いてから吸う」というのは禅も同じですが、禅と言っても宗派ごとに違いがあります。一切を捨てて本来無一物な自分になる<般若の呼吸>は<般若の呼吸>です。
小さな世話なら負担も少なくやりやすい。マネジメントとは管理ではなく世話なのだという認識のないマネジャーにマネジャーは育てることはできません。
妄想を捨て、一切を捨てる呼吸

<般若の呼吸>とは妄想を全部捨てきる呼吸です。
モチベーション(動機)になっている承認欲、金銭欲、出世欲、愛欲、不安、孤独感などエネルギーの源だと勘違いしている妄想、自分が思う因果(縁起)の全部を捨てるのです。
「息を呑(の)む」とは「驚きや恐れで息を止めること」を意味します。とはいえ、実際に息を止めるのではなく、「息が止まるほど驚く」という例えですが、私たちが没頭しているときに、実際に息を止めていること気がつくことはありませか。
没頭して息を吐くことを忘れてしまうと身体は硬直して思うようにならず支障がでます。声がでない、言葉が出ない、手足の動きが思うようにならないなど支障がでます。深呼吸をするとリラックスに向かいますが、深呼吸は代謝性呼吸といって図のように<脳幹>での呼吸に留まります。
- 生きるための呼吸である<脳幹>での呼吸・・・・・・・・代謝性呼吸
- 意識的な呼吸である<大脳皮質>で行う呼吸・・・・・・・随意呼吸
- 感情のコントロールをしている<扁桃体>で行う呼吸・・・情動呼吸
- 体内の細胞が酸素を取り入れ、必要なエネルギーを取り出す呼吸・・・細胞呼吸
大脳皮質で行う<般若の呼吸/随意呼吸>だと、空気が抜けたように、力が抜けて頭がクラクラしますが、すぐに頭がすっきりしてきます。脳と呼吸は、切っても切れない関係にあります。
「呼吸を行うための呼吸筋の収縮運動についての指令は、脳幹にある呼吸中枢から直接送られています。脳幹に情報を届けるのは、“筋紡錘(きんぼうすい)”という微小な感覚受容器。
筋紡錘は、神経と連絡していて、筋肉の収縮状態を脳幹に伝えて、姿勢や運動の微妙な調節に重要な働きをしています。この筋紡錘は、どの骨格筋にもあるのですが、その中でも最も多く存在しているのが呼吸筋です。
深呼吸で使う脳幹の呼吸中枢は、筋肉の動きのなかで、最も呼吸運動を重視している証拠になります。切っても切れない関係にある呼吸と脳の働き。呼吸を変えることで、脳の働きが変わります。

ストレスが増すと、呼吸は速く浅くなり息苦しさを感じます。
逆に意識してゆっくりと深い呼吸をすることで、リラックスした状態へ導くことも可能です。
吸って吐くリズムを変えるだけで、気持ちが切り替わり、メンタルのマネジメントになります。
自律神経と呼吸

普段、無意識に行っている“代謝性呼吸”は脳幹でコントロール。深呼吸のような自分の意志で行う“随意呼吸”は大脳皮質でコントロールしています。そして、心の動きに左右される“情動呼吸”は扁桃体で生まれます。この扁桃体は、さまざまな感情が生み出される情動中枢です。つまり感情と情動呼吸は同じ脳から生まれているのです。

「呼吸筋をしっかり使って呼吸を行うと、さまざまな健康効果がもたらされます。筋肉がほぐされ血行がよくなる、酸素が隅々まで届いて冷えが解消する、自律神経のバランスが整う、内臓の働きが活性化する、精神的にリラックスするなど。ぜひ普段の何げない呼吸を見直してください」
般若の呼吸で自分を知る

何気なくしている呼吸は、生存活動だけでなく、自分の内と外をつなぐ通り道という大きな役割を担っているのです。自分という内部と、外の世界の間を、空気が休みなしに出入りする意味をどうとらえるかに自分のあり方があります。<般若の呼吸>から自分の人生のある場所を感じ取るのです。

息は私という内部をくぐり抜けて、吐く時には血管や細胞と親しみ、体温や匂いが染み込んだ自分のものが出て行きます。源流から湧き出た一滴がゆったりとした川を流れて海へ出るように呼吸は続くのです。呼吸は人生を語りません。呼吸に意味を与えるのは呼吸するヒトのあり方です。

1回の換気量1,000mlの<般若の呼吸>は、内と外をつなぐひとすじの道の川。
肺から体外に吐き出す呼気には、少しずつ私の周りの空気を私のものへと変えていく作用があります。
その作用を通じて「ヒトは、内と外をはっきりと分けることのできる存在ではない。宇宙の中に自分はあり、自分の中に宇宙があるというつながっている実感」を気づかせてくれます。
<宇宙>とはあなたがあなたの居場所を生きる<あり方>なのです。
人生のある場所を感じる呼吸

自分の人生のある場所を感じる呼吸って、あるのでしょうか?
<般若の呼吸>はすべてを捨てる深い呼吸です。自律神経が解放されて必要なものが解る呼吸です。
自分の内と外をつなぐ通り道、宇宙になる呼吸を通じて自分の人生のある場所を感じる呼吸です。
宇宙への気づきから、私は私から出ることも、他者が私に入ってくることできないという事実
誰も私の代わりに呼吸できない自覚は、一人一宇宙を認識する共にに、しかし孤独ではないと知ります、
一人一宇宙がつながって大宇宙になっているのだと、実感します。
そのとき、呼吸を通して見る外の世界は妄想共同体ではありません。
赤ちゃんが胎内で自分を浸していた呼吸の波のような外の世界です。

<般若の呼吸>は、太古から受け継いできたもともとのいのちが暮らす世界に通じる呼吸です。
呼吸は本人に代わって第三者ができるものではありません。
自分の体内で活動する60兆の細胞ネットワークは見えない「もともとのいのち」とつながり、大宇宙とつながり、完全な呼吸は完全な自分とつながります。

ヒトにとって一つの課題は、自由で豊かなライフステージを実現するために、内なる自我という意識と外の世界どう折り合いをつけて生きていくかです。自我は己の在り方を意識的に方向づけますが、しばしば内と外の世界とのギャップによりヒトを苦しめます。
その時、内と外を結んでいる一筋の川の道を使って、その乖離を埋めることができるのです。

細胞にまで届く深い<般若の呼吸>は「ヒトは、内と外をはっきりと分けることのできる存在ではない、宇宙の中に自分はあり、「つながっている実感」を「縁起」は、気づかせてくれます。
そして、一人一宇宙だけど、大宇宙とつながりを実感できる「正しい歩き方」の実践を楽しめます、
原因と結果の法則

人の行いで注意すべきことは、絶対に守ることは自然の法則に逸脱しないことです。自然の法則に学べば失敗はありません。経験を重ねるだけです。つまり賢くなるばかりなので、神に近ずくだけです、近づくことはできますが超えることはできません。ところが超えたと無意識の誤解して過信して「法則」を打ち立てて自然の法則を無視します。自然の法則を感じてリセットするのが呼吸です。
呼吸は、物質体だけではありません、感情体、精神体、そして霊体です。

全部を繋ぐのが愛です。



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