四苦八苦・・・自分の思い通りにならない

四苦八苦 お釈迦さま

四苦八苦

四苦八苦(しくはっく)とは、仏教における苦の分類。

生・・・・生きていること自体、肉体的精神的苦痛が伴う。

老・・・・老いていくこと。体力、気力など全てが衰退していき自由が利かなくなる。

病・・・・様々な病気があり、痛みや苦しみに悩まされる。

死・・・・死ぬことへの恐怖、その先の不安。

以上。「生老病死」の根本的な苦を四苦とし、さらに次の四つの苦を合わせて八苦と呼びます。

・愛別離苦(あいべつりく) ・・・・愛する者と別離すること

・怨憎会苦(おんぞうえく) ・・・・怨み憎んでいる者に会うこと

・求不得苦(ぐふとくく)・・・・求める物が得られないこと

・五蘊盛苦(ごうんじょうく)・・・・五蘊(人間の肉体と精神)が思うがままにならないこと

これに似た言葉に一切皆苦があります。
一切皆苦、四苦八苦に追い込んでいるのは自身の執着。

だから除夜の鐘は煩悩の数だけの意味を込めて108回も鳴らします。

一切皆苦

仏教ではこの世の中は一切皆苦(すべてのものは苦しみである)といいます。

仏教はそんなに悲しい教えなのかと思われるかもしれませんが、仏教でいう「苦」とは、「自分の思い通りにならない」ということを意味しています。

ここに仏教のエッセンスが凝縮されているといっていいでしょう。

一切皆苦を矛盾することなく受容して、共に生きていけならこの世は楽しい。その境地に達することを気づきと呼びます。

つまり仏教は哲学であり、拝むものではありません。

神仏習合

神仏習合

なので、神仏習合(しんぶつしゅうごう)も、自分なんかは決しておかしなことではないように思いますが、神仏習合の実態は現在では考えられない状態だったようです。

神仏習合とは、日本土着の神祇信仰(神道)と仏教信仰が混淆し一つの信仰体系として再構成された宗教現象です。
単にどちらも拝んでいるということではなく、僧侶、仏塔、仏具なども入り乱れていた現象をいいます。

神仏分離

黄泉がえり

もっとも明治維新に伴い神仏判然令によって、神仏分離が行われました。神仏習合の慣習を禁止し、神道と仏教、神と仏、神社と寺院とをはっきり区別させようとしました。

神仏分離は江戸時代にも藩によって実行されていました。宮中でも仏具の撤去が行われもしました。

明治維新の神仏分離政策は神道国教化を目的にしていてキリスト教排斥の狙いもあったためヨーロッパ諸国の強い反発を受け頓挫しました。結局、神道国教化の政策は放棄され、代わって神道は宗教ではないという見解が採用されたました。

「自分は無宗教」と言いながら

四苦八苦

なので「自分は無宗教」という人が多いのですが、宗派別に見ると実際には人口の倍の信者がいることになっています。
信じていないけど拝んでいる摩訶不思議な現象が現実に起こっているのです。

せっかくだからお釈迦様の悟りに学習することで、爽やかな人生を過ごすのが得策だと思います。

まとめ

除夜の鐘は、煩悩の数だけと意味を込めて108回も鳴らします。

つまり繰り返し努力する大切さが潜んでいます。

お釈迦様は、最後の言葉として弟子であるアーナンダに伝えます。

「アーナンダよ、偉大な先人の言葉だからと鵜呑みにせす、自分をも疑い、自分を灯にして、自分を頼りにして、
他に依存しないで生きなさい。真理を灯にして、真理を頼りにして、他に依存しないで生きなさい」

自灯明の灯りとは、
身体(身)、感覚(受)、心、その他の現象(法)の四つの側面から自己観察をすることです(四念処の実践)

法灯明とは、真理。原理原則のことです。それは自己受容した批判主義といってもいいでしょう。

 

 

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