200年婚|7つのマイスタンダード②いのちとの関係

60兆のネットワーク 200年ゴエス
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最近使用頻度が少なくなった言葉、「もったいない」には、いのちとのつき合い方の思想が反映されています。
モノを単にモノと見ないで、見えないものを感じて「命あるモノ」と捉えるライフスタイルには、五感を養い、いのちの恵みを尊び、「最後まで使い切って彼岸に送る。」感謝の想いがあり、自然と共生する日々がありました。

と、過去形になってしまうのは、現代人が失ってしまった「戒律」だからです。

200年婚のライフスタイルは、自分とパートナーになりきって、なりきって、「私はOK、あなたもOK」して、自分と人生を使い切る。使い切るには、「もったいない」の心を取り戻すことからはじめます。7つのマイスタンダード、二番目のテーマは「いのちとの関係」についてです。

パートナーシップで一緒に目標を達成しよう。

200年婚

一塵のチリが積もって大山をより高し、一滴の雫が溜まって大海。といいます。
が、しかし、我々はそんな道理はわかったことにして、忙しく過ごします。
お金儲けの戦争に巻き込まれて、目の前の楽しさ、幸福とは楽しいことだと、思い込む。

一方、「たかが」に注意すれば、一滴、一塵であっても一つにまとめて力を合わせば、大きな事業を成し遂げることができます。SDGsの根本思想ですね。
「それぞれの太古から受け継がれてきた本来のいのち」の使い方は「それぞれ。」です。

目標は自分たちの人生のある場所で、本来の自分になりきって、なりきって、人生を使い切ること。
200年婚も、パートナーとふたり「それぞれのいのち」の「ありがたさ」に気づくことで、ワクワク、キラキラ、面白いものにも退屈なものにもなります。

「いのち」と「生命」

人生200年の時代

以上は、統計から計算された「寿命」の予測ですが、これは「命」の計算でしかありません。
太古から受け継ぐ「もともとのいのち」になりきって生きるのが「いのち」。似ているけれど違います。
「いのち」は太古からの多くの親戚と繋がっていて、ユングのいう「シンクロニシティSynchronicity)」はこのことを言っています。

ユングは「シンクロニシティ」の根拠を神がかり的な超自然現象ととらえず集団的無意識」という表現をしています。集団的無意識あるいは普遍的無意識とは、個人の経験による無意識より深く、同じ種族や民族あるいは人類などに共通して伝えられている無意識。  また大乗仏教のひとつ「唯識派」は、「阿頼耶識(あらやしき)」という表現で、深層心の奥の奥にある無意識について触れています。

重要なことは、無意識で繋がっていること。つまり繋がっていると考えずに天にまかせる。

見えぬけれどもあるんだよ 。見えぬものでもあるんだよ。

わかる!「阿頼耶識縁起」を知って暮らしに役立てる
お釈迦様はことの善悪の判断は、その行動が相手、第三者にどのような影響を及ぼすかで評価するとされました。つまり良識の基準です。良識を無視した自由はないというのが自由の定義です。阿頼耶識には善悪の区別なくあらゆる可能性が潜んでいます。可能性とは「気づき」のことで、気づきを体現することが、太古の昔からいまもあなたの心臓を動か...
「阿頼耶識(あらやしき)・末那識(まなしき)」を密教の聖なる呪文で書き換える方法
もともとのいのちは生きることを望んでいます。しかし理想的ないのちになることは稀です。傷つき認知も歪み、屈折することは珍しいことではありません。そのまま放置すれば自我執着心「末那識」に絡め取られます。しかし阿頼耶識の記憶から自分を高める記憶を呼び出し自己マスタリーを高める習慣を実践すれば執着心は弱まり、もともとのいのちを...

ユングのシンクロニシティ

ライフステージと十二縁起

パートナーシップで目標達成しよう

ライフステージは、誕生から死までのすべての人が辿るプロセスです。
よく間違えますが「生きている=人生」ということではありません。だから事実だけ並べると無味乾燥(むみかんそう)に感じます。ヒトそれぞれの人生劇場があり、ライフスタイルによる人生脚本がありますが、それだって、生きているだけの場合もあります。

縁は転がるものなので、生きているだけの転がり方を仏法では「十二縁起」で表しました。
十二縁起は無明からはじまり行、識、名色、六処、触、受、愛、取、有、生、老死というように、12の縁を転がるように進み、死にたどり着きますが、自分のあり方で人生の 質を変えることができます。

死んだら終わりということではありません。気がつけば生きていたというだけで、生きていることさえわからないのに、死んだらどうなるか、わかるはずがありません。
人生をはじめた選択もしないまま生きているのが事実だと思います、それを人生とは言いませんし、
だからパートナーシップで一緒に目標を達成しようと提案しています。目標は<十二縁起>をただ転がるんでなく、自分たちの人生のある場所で、本来の自分になりきって、なりきって、人生を使い切ること。愉しそうでしょ。

無明からはじまる「十二縁起」こうして人生脚本は描かれる。
仏法では、『無明(むみょう)』をなくさない限り、親や先祖の『無明』が、子や孫へと受けつがれ、いつまでも、束縛やとらわれから、離れることも逃れることもなく、負のループを継続するといいます。現代的に言い換えれば「ライフスタイル」の是正の必要です。「私はOK,あなたもOK」に整えます。

もともとのいのちのある場所へ

もともとのいのちのある場所へ

無明(煩悩の根本が無明。明るくないことのままという意味=無知)のままだと、無意識の人生脚本が、人生をあるべき場所に持っていきます。
そして自分が親から学んだライフスタイルは子どもに受け継がれます。

これまで数多くの数千人の方に関わってきましたが、人生脚本がどのように作られるか、自分の人生脚本がどうなっているか、読み解くお手伝いをして頭で理解しても、無意識の人生脚本に任せようとされます。

理由は簡単、変えなくていいからです。
選択した覚えもないまま、もう生きてしまっている事実
は嘘のままが楽だと判断して、自分が身につけた”思いに従わない仕組み”を利用して、金儲け戦争に身をまかせて、昨日までと同様に明日も仮想空間(マトリックス)に生きるのです。

マトリックス ワークブック|マトリックス完全解析
映画『マトリックス』が20年を過ぎても、まったく色褪せないのはCGでないこと以上に、無駄なシーンが一切ない尻尾の先まで上質の餡子がぎっしりつまったアクセル全開の傑作だからです。なかでも、預言者オラクルとの出会いのシーンが重要なシーンと言われていますが。オラクルは「選択」を作り出すことにより人間の曖昧さ(=心)を追求する...

あなたは本当の自分と嘘の自分の、どっちを生きたいだろうか。
本当の自分を生きるとは、必ず死ぬという事実をしっかり受けとめて、しっかり生きることです。
嘘の自分を生きるとは、必ず死ぬという事実から逃げて、ごまかしながら生きることです。

事実を受けとめるのが、怖いので見ないようにして面白、おかしく生きようとして、仮想空間に住む。嘘だということを自分がわかっているのでライフスタイルも相応しいものを選択している。

本当の自分を生きるヒトにも、ただ生きているだけのヒトにも、ライフステージはある。
ライフステージは、葛藤を処理する場所として、そのためにあるので、質的に全く違ったものになるが、金儲け戦争のスタンダードは、ライフステージさえ都合よく塗り替え、嘘の自分を生きるヒトは嘘と不安を蹴散らすのに忙しく、右往左往して老いる。

一人で自分を変えるのは難しいのですが、ダイナミックに変えた方も少なくはありません。
モチベーションになるインパクトのある「こうしたい」があれば、比較的簡単にやってのけます。
ヒトは寂しさ、不安の前には弱いのです。
エンドレスにワンダフル、縁は自分で作れませんが、縁の転がり方で、人生は変わります。

ただ生きてるだけのライフステージでいいのか。
もともとのいのちになりきるためのライフステージにするのか。
使命を持って、情熱と決断で一歩一歩(別に三段跳びでもOKです)、階段を昇っていく。
縁を転がってありのままの自分を駆け上がる。
さあ、ドラゴンのようにあなたの人生のある場所で駆け上りましょう。

無明からはじまる「十二縁起」こうして人生脚本は描かれる。
仏法では、『無明(むみょう)』をなくさない限り、親や先祖の『無明』が、子や孫へと受けつがれ、いつまでも、束縛やとらわれから、離れることも逃れることもなく、負のループを継続するといいます。現代的に言い換えれば「ライフスタイル」の是正の必要です。「私はOK,あなたもOK」に整えます。

縁は転じる、いのちは生かされる

一人一宇宙

この世のすべては、縁によって生起するといいます。
しかし原因=結果であっても、同じ結果にはなりません。縁の力が違うからです。
ヒトとの関わり、モノとの関わり、いのちさえ、縁によって成り立っています。

縁は自分で選ぶことはできません。縁は転じていくのが常なので、転がる石のように、縁を転がるのは自分のあり方次第なのです。その秘訣はいま、ここ、この瞬間に「なりきること」です。

ところが、それが簡単ではないのです。自我執着心が「なりきる」ことを邪魔するからです。

ライフスキルも、ライフスタイルも、ライフステージも、ライフプランも、ライフシフトも、自分を磨く材料です。それは朝いちばんのトイレ清掃からはじまる200年婚のルーティンワークからはじまり、システム思考を育みます。

なりきって、なりきって、本当の自分

異性とくっつくのは簡単です。YouTubeでも恋の手ほどきが山ほどあります。大切なのは方法論ではありません。投資の話も同じです。大事なのは「哲学」があるかどうかです。

哲学があるからいい生き方ができる保証はありません。なくても「し合わせ」なヒトはいるでしょう。
「し合わせ」の定義が違うからです。ヒトはそれぞれに宇宙があり、自分の内部の法則が違います。
子どもの時からの法則があります。違う法則で動けといっても動けないのです。
だから「あなたの人生脚本替えたほうがいいですよ」と警告しても思いに従わない仕組み自分の内部にあるので、人生脚本も替わらないのです。
つまり絶対に思いが叶わないゲームをやり続ける仕組みがあります。これが縁起の隠れた側面です。

そこで哲学が必要になります。
哲学で目覚めるかどうかは個人の法則次第です。

内部の法則が違うので、なりきる力にも違いがでます。

なりきる力を高めるのが「五感」を高め「集中力」を高める練習です。毎日のルーティンワークです。

パートナーシップで目標を達成しよう。SDGsのテーマのひとつですが、目標を達成する方法論より、二人でパートナーになりきって人生を使い切る「哲学」が大事です。パートナーになる前に確認しておかないと大変なことになります。

いのちと時間の関係

私たちはいま、ここ、宇宙の涯てで、何億光年前の光の輝きを見ています。つまり全宇宙とは自分なのです。一人一宇宙が集まって全宇宙だけど、自分の宇宙から出ることも入ることもできない。人生とはとっても不思議な構造なのに、未だに見たこともなければ、解けたという話を聞いたこともない。時間はヒトそれぞれに死に向かって流れていて、みんな違うのに、待ち合わせ時間を決めてデートしている。不思議です。だって生きている限り死んでいないことに気がつくと時間は流れなくなる。

たとえば子どもへの教育のあり方はどうでしょう?少子化の原因は費用がかかりすぎる。政府はもっと支援金を出すべきというハウツーが議論になりますが、どういう子育てをするのか、時間に哲学が必要だと思います。

いのちとライフスタイルの関係。

上の図のように、見えるものは、見えないものを見るための装置、言葉にできないものを言葉にする装置です。ですが、見えるものは見えないものに触れているので、全部は見えません。見ようとして見えないが続くのが200年婚です。

ライフスキルは「生きる力」と翻訳できます。その意味は、あるがままの自分でどこでも生き抜く力。世界中の子どもは自由で無邪気にいま、ここ、この瞬間を生きています。大人になるための教育が生きる力を別な限定的なものにしていきます。つまり古い建物を壊して新しいビルを建てるようなことをしています。確かに見た目は以前より立派になったけれど、何かが足りない。

いのちが命に変わってしまう過程で、ライフスタイルも変わってライフスキルが本来の「生きる力」でなくなると、ライフデザインもライフプランもライフシフトの方法も、ライフステージのあり方も変わります。見えるものしか関心がない大人でないようにしたいですね、

両親、祖父母だけが、あなたのいのちの源泉ではありません。
太古の昔から受け継いできた「いのち」は気づいてほしくて哲学のあるライフスタイルに期待しています。

結果がすべてではない。いま、ここ、この瞬間をなりきって、なりきって、生きる。
200年婚はあるべき場所に出るために頑張ることではなく、思想なのです。

いのちと愛の関係。

愛は焚き火のように

人生という構造の不思議に気がつくと、不思議は次々に出現します。
そのひとつが「シンクロニシティSynchronicity)」
愛の力を感じて、シンクロニシティは、偶然でないのでは?」と疑問を持ちます。

時間は死に向かって流れている。現在は「いま、ここ、この瞬間しかない」ことをリアルに感じさせるのが、愛です。もともとのいのちになりきるために本当の自分を生きる時、愛は特別な意味のあることだと気がつきます。

流れている時間の上で起こった、愛は一瞬です。だが、永遠に近い。
なぜ好きになったの?どこが魅力だったの?答えられるヒトは後付けで説明を加えます。

愛は一瞬だと知ったヒトは、再現できないことを感じる。
一瞬だが、消えないことも感じる。
くすぶって、くすぶって、焚き火。
燃えても消えず、またくすぶって、くすぶって、また焚き火。
燃えても消えず、またくすぶり続ける。

なりきって燃え尽きるしかないことを知る。
なりきってもなりきってもなりきれず、くすぶり続けます。
また燃えての繰り返しが死ぬまで続くことを知る。

とんでもない不思議に気がつくと、ありきたりなライフプラン、ライフステージがつまらなくなります。それも確かに自分の人生なんだと思い直すと、とことんパートナーと一緒に生き尽くしてやれと200年婚は本当の自分を生きる。
はじまりも終わりもない宇宙に自分たちがいることの、これ以上ない面白さを愉しまないでいられない。自由で無邪気な子どものようにライフシフトすることを宣戦布告する

まとめ

縁は転じる、いのちは生かされる

「もったいない」は日本人のライフスタイルでした。残さず食べたつもりでも、一粒のごはん、魚の骨にひとかけらの身が付いていて「ごちそうさま」をしたら「もったいない」と親に叱られたことです。まだ書ける鉛筆、トイレの電気、出しっぱなしにしない水道の水なども同様です。

見えるものは見えないものを見せる装置として、「もったいない」には、見えないものに対する畏敬の念を表し、生かされているいのちの不思議、宇宙の神秘といのちの恵みのとんでもない不思議に気がつくと、ありきたりなライフプラン、ライフステージがつまらなくなります。それも確かに自分の人生なんだと思い直すと、とことんパートナーと一緒に200年婚を本当の自分を生きて、人生を使い切る宣戦布告にする。パートナーシップで目標を達成しよう。

200年婚|7つのマイスタンダード①時間との関係
男性脳と女性脳が違うので、「200年婚」は至難のワザです。何をしてくれたとか、何を言ったとかではなく、パートナーの存在が大切だと思えたら、100年でも200年でも仲良く暮らせます。愛するとは一瞬。200年、持続する愛とはどんな愛だと思いますか。7つのマイスタンダードの答えがあります。先ずは時間から。

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