「お義母さん、一緒にお菓子を食べましょう」「皆で一緒にテレビを観ましょう」と、誘っても、「自分の部屋で食べるからいい」とか、「テレビなら自分の部屋で観る」と断ります。
それで済めばいいけれど、あとになって「みんなは楽しそうにお茶を飲んでいた」と実の娘に言われると「いったいなによ」と複雑な心境にならざるを得ません。
この状態・・・「引きこもり」なんですよね。
「引きこもり」は健康年齢を縮めてしまいます。
政府は、引きこもり防止に力を入れてますが、部分的な衰えがきっかけになって、引きこもる場合が少なくありません。
耳が遠くなると、皆で話していても、何度も聞き直さなくてはいけなくなります。
大人数の中で一人だけ会話に加われないのと、一人きりで部屋にいるのとでは、どちらが寂しいでしょう?
本当はみんなと一緒にいたいのに、一人でいる孤独の方が気が楽です。
気が楽もなにもそれしかないのです。
耳が遠くなったことを知られたくないのは、「心配させまい」「心配してほしくない」という気配りである場合が少なくないのです。
テレビというのは、スポンサーのための道具です。
だからいまの自分に満足を与えるようなことはしません。常に不安を与えるようにするのが王道です。ネガティブな情報を次々を送り込まれたら、意味もなく焦ってきます。
人生は自分が主役です。終活だって自分が主役です。
自分は「終活のゴエス」を運営しているので、いきいき頑張っている方々のいる場所に出向くことが多いので、「老いても生きがいを持つように心がけている人」にたくさん出会います。
でも、みんながそうであることはありません。
弱音を吐いていると、「おばあちゃんは弱者なのだから、私たちが守ってあげないといけない」と思うかも知れませんが、それが必要な場合とそうでない場合があります。もしいつもそうするなら価値の値引きでしかないのです。
価値の値引きをされたがっている人もいれば、そんな悔しいこと、絶対イヤだ。という人もいます。それは年齢に関係ないのです。若いときも同じだったと思います。常に自分を否定的に考えたい人と、肯定的に考えたい人がいます。いつも肯定的な人だって心が折れるときがあります。そんなときには静かに応援してあげることが必要でも、そこまで凹んでいないときに「守ってあげないといけない」と過剰に保護的に接したら失礼です。
テレビに出てくるおじいさんと、目の前のおじいいさんは決して同じではありません。紋切り方の決めつけで考えたり、行動しないで、いつも肯定的にとらえた上で、その時々の状況で対処しましょう。
「年寄りは弱者だから若い世代が気を配る」。
親切そうでも、実は価値を値引きして、上から目線で見下していることなのです。
と、いっても、気を配らないでいたら、「年寄りをいたわれ」と思いたくなるものです。わがままですね(笑)だからテレビに出てくるおじいさんと、目の前のおじいいさんは決して同じではないのです。
つらい思いがないか聴いてあげて、引きこもりさせないように、背中を押してあげましょう。引きこもりは健康年齢を短くしますから。
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