7つのマイスタンダードがブレたり揺らいだりしたら、「放下著』をしてみまsrんか?
『放下著(ほうげじゃく)』です。下着ではありません。
『放下著』は禅語で、禅の世界では馴染み深い言葉ですが、いうのは簡単、実行は難しい。
だから馴染み深い言葉になっています。
正しい呼吸と放下著は、200年婚を豊かにする秘訣です。
放下著(ほうげじゃく)
一回や二回捨てたらいいというものではなく、一生続けること。 つまりルーティンワークです。
傲慢も捨てるものですから、捨てていない証です。
まとめて捨てるからです。
毎日溜まった分だけ捨てたら、「捨てた以上に背負ってしまった」ということもありません。
清掃の意味
清掃の真髄は埃や汚れに関係なく、常に洗い清めることです。
続けると身体で理解できるようになるので、禅寺での修行僧は一日中坐禅三昧、掃除三昧です。
「著(じゃく)」は命令の助辞(じょじ)で放下の意を強めるのに用います。
つまり「放下著」とは、煩悩、妄想はいうに及ばず、仏や悟りまでも捨ててしまう、すべての執着を捨て去れ、すべてを放下せよ!という意味です。 ですから高僧ともなれば学びに用いた書物まで捨ててしまいます。
教え、学びすら執着だというわけです。
執着を整える
事を成し遂げた人の口からは「執着心がなければ上達しない。」とこぼれます。
仏教ではいつも悪者扱いされる「執着心」と真逆の教えです。
スポーツ選手が大会で優勝したいとか、世界一になりたいと願うときには、必ず強固な信念が必要になります。「絶対に諦めない」「なにがなんでも手に入れる」という情熱なしに成就できないのも事実です。
このように物事を真に理解するには実は同じことを説いているのに表現が全く逆ということが多いのです。しかし、常に真理はひとつです。
マインドフルネスとは、なりきっている状態です。掃除になりきる、食事になりきる、作業になりきる、勉強になりきるなど、いましていることに没頭していることです。
「執着心がなければ上達しない。」の執着心とは、「自然に没頭できないようでは上達しない」という意味です。
エネルギーだけが膨れあがり、行き場をなくして心に溜まりはじめると、執着は瞬く間に苦しみを生みはじめます。
エネルギー(信念)とストレス(執着)は紙一重
私たちが暮らす娑婆は「諸行無常」が常なので、「いま、ここ、この瞬間」しかないのがあるべき状態です。
自然に逆らうと血流が止まるように苦しくなり大きなストレスを自らの身心にもたらします。
没頭は重要だけど、成功、特に過去の成功への執着は必ず前進、成長の足かせになります。
ヘタするとそれで終わってしまいます。
いままでプラスに働いていたことがマイナスになっていることに気づかないのは、「いま、ここ、この瞬間」から離れてしまっているからです。
川を堰き止めているゴミ(執着)を放下著します。
呼吸がすべて
それが「呼吸の仕方」の教えにつながっています。
力こめて大きく長く吐く。吸う。体内を常にポジティブに新陳代謝を繰り返すことで、主体的に「いま、ここ、この瞬間」に身をまかせる状態を創ります。
つまり「生きろ」と言い続けているのです。
呼吸を止めたら死んでしまいます。
ところが、ヒトは「諸行無常」つまり変化を嫌う性質であり、食欲も、睡眠欲も満たしたい「無欲」になれない者であり、わかっていてもできない、理想と現実を一致させられない生き物であるからです。
つまり仏教は、生を希求しながらも、反対の行いをする、どうしょうもない生き物に対する「慈悲」を「生きろ」という言葉に置き換え、集約しているのです。執着するなとは「生きることへの激励」なのです。
私は、大好きな富山県を流れる神通川を思い浮かべて呼吸します。
寡黙にゴエス
つまり「生きろ」とは仮装空間から出て「ほんとうの自分のいのちを生きろ」という意味なのです。
マインドフルネスになれ(=なりきれ、没頭しろ)というのは仮装空間から出る唯一の救出手段なのです。ほんとうの自分のいのちを生きるのに、お金は一切かかりません、
一生、いつだって無料です。「放下著」とはそういう意味です。
「いま、ここ、この瞬間」を生きて使い果たす秘訣はガイドラインとなる「物語」を自分の心身に描くことです。
この物語のベースは「愛着」で、要注意ですが、気づくことができないので、新しく大人の私が描く必要があります。
過去も未来も自分を助けてはくれません。いつだってヒトには「いま、ここ、この瞬間」しかありません。
愛するとは身体を動かすことなり
呼吸を通じて体動の重要さに気がついた人びとはランニングやマラソン、ジョギング、あるいは種々のスポーツ、武道などに心を向けていますが、元々は普通に暮らしているとできていたことです。
意識的な体動は、普段あまり体を動かさない人がやると危険も伴います。
走り出すと、脈拍は一分間に130〜 200にもなります。安静時は60~80なので、およそその二倍です。それは心臓の仕事量がふえる負担で、若いうちはそれに耐えるだけの余裕をもっていたはずが走行中に胸が苦しくなるのは、心臓にそれだけ多く負担がかかっていることに他なりません。
マインドフルネス瞑想では、まずは瞑想で心身ともにバランスのとれた呼吸を実践することで無理なく整えます。丹田呼吸をすると横隔膜はよく働くので、その結果、心臓は安静時よりもはるかに多くの動脈血を送り出すことができます。
それが重点的に諸臓器に配分されるので、各種臓器の機能が向上します。
呼吸をするだけで身体が温まり、不調が修復されるのです。
一方、浅い呼吸が身体におよぽす影響は想像以上です。
深く強い呼吸に導くマインドフルネス瞑想
たとえば不安・心配・憂うつなどに心が占領されると、呼吸は驚くほど浅く弱くなります。
そうした場合、出る息をポリエチレンの袋にとって量ってみると、1分間1リットルにも満たないということが報告されています。
出る息が少ないとは、入る息も少ないわけなので、血中酸素も少なくなります。血中酸素とは血液に含まれている酸素です。
極端に浅い呼吸では出る息、入る息ともに少量なので、二酸化炭素(CO2)の体外排除が少なく、同時に血中酸素も減少します。二酸化炭素とは炭酸ガスのことです。体内でできた炭酸ガスを体外に放出するという肺の本来の働きを果たせなくなった状態つまり呼吸不全を引き起こします。
つまりマインドフルネス瞑想は、心から、身体から、あるいは両面から攻撃を受けるストレスを上手に空気中に放出します、
まとめ
疲れたら、自分がなにかに執着していないか、寡黙に自問してみましょう。
気づいてからの『放下著』も効果がありますが、ストレス対処としては効果がありますが、禅は対処療法ではありません。
『放下著』は、全部投げ捨ててしまうこと。
一回や二回捨てたらいいというものではなく、一生続けること。
つまりルーティンワークにしないと執着は片付かないものです。
哲学として身につけ、行動で実践することが欠かせません。
丹田呼吸法を取り入れた呼吸と清掃をルーティンワークにします。
モヤモヤが消えていくのが実感できるように手加減しないで取り組むようにします。、
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