新型コロナウイルスで起こっている世代間ギャップはどんな問題を突きつけているのでしょう。「お年寄りに感染させない配慮をしている」なるほどな答えですね。
でも、事態はそれほど簡単ではないのです。
感染させたか、させなかったのか、自分では認識できないのですから。
同じことは高齢者からも聞きます「やれることはやっている(つもり)」・・・
自粛という曖昧さに潜んでしまった知性。
自粛とは主体的、自主的(=ボランティア)にかかわること。
世代間ギャップは、社会の仕組み(=因果、縁起)の理解(知性)があれば解消します。
他人の痛みは自分の痛みになる
新型コロナウイルスの蔓延は、いかに人の痛みに気がつくかという問題を突きつけています。
病気そのものを他者に感染させないことはもちろんですが、長引くと経済的にも社会に与えるネガティブな影響も大きくなります。
大きくなればなるほど自分に返ってくる。これが社会の仕組みです。
しかし、もともと人は「一人一宇宙」です。誰も他者に入れないし、自分も入れない。つまり自分と他者は別の生き物なのです。そこでなにが起こるでしょう。世界はバラバラに砕け散ってしまいます。
新型コロナウイルスで起こっている世代間ギャップは、世界はバラバラでOKと言ってるようなものです。
先に書いたように、長引けば長引くほど社会に与えるダメージは大きくなり、必ず自分に返ってきます。
ネガティブな影響も大きくなります。社会にダメージがあっても自分は大丈夫という人でも、エゴの塊にような人は締め出されます。
単なる子育ての失敗ですが。
「人のあり方」がなぜ重要になるのか
一人一宇宙なので他者の痛みは感じられない。他者が痛い、痛いと言っても痛みは感じることはできません。
別々の世界にいる。世代間ギャップはこの典型的な事例ですね。
そう捉えることで、人は、一人一人の心の中に住んでいることがわかります。
誰も入ってこれないし、ウイルスのように、誰にも入ることはできません。
だから他者の心を観察することでしか他者のことはわかりません。
そこに「人のあり方」(ライフデザイン)という概念ができます。
「一人一宇宙のあり方」をいい方向に持っていこうという考えです。
あり方が重要になる理由は、一人一宇宙で誰も入ってこれないし、誰にも入ることはできないという世界は、ひとりひとりがバラバラに存在しているという問題が生じます。
これが原因となって対立が起こるという結果になります。
世代間ギャップはその初歩的な事例ですね。
お釈迦様が説いているのは、一人一宇宙だけど、繋がっているという真理です。
この「繋がり」とは縁起であり、因果です。
縁起とは、全ての現象は、原因や条件が相互に関係しあって成立していることをいいます。ある現象は、独立しているものではなく、条件や原因がなくなれば結果も自ずからなくなることを指します。つまり因果と同じですね。
バラバラな世界になる原因
因果関係を考えると、悲惨なことが想像できます。
そこで原因を変える必要がでてきます。
原因に「真理」をはめこむとどうでしょう。
お釈迦様が最初に説かれた真理「四諦」はどうでしょう。
お釈迦様が最初に説いた真理「四諦」
四諦とは四苦八苦を減らす方法(真理)です。四諦には次の4つがあります。
- 苦諦(くたい)
- 集諦(しったい)
- 滅諦(めったい)
- 道諦(どうたい)
苦諦(くたい)
お釈迦様は、人間の歴史が始まって以来、天災地変・飢饉・疫病・暑さ寒さ・貧困・不仲・不安・老い・死など、「人生は一切皆苦」だと説かれました。
- 生老病死(しょうろうびょうし)
- 愛別離苦(あいべつりく)
- 怨憎会苦(おんぞうえく)
- 求不得苦(ぐふとっく)
- 五蘊盛苦(ごうんじょうく)
であることを諦(さと)りなさい。つまり諦めなさいと説かれたのです。
集諦(しったい)
集というのは「集起(しゅうき)」の略で「原因」という意味です。人生の苦には必ず原因があり、その原因を探求し、反省しそれをはっきり諦(さと)ることをいいます。
渇愛(かつあい)といって諸々の欲望の満足を求めてやまない心の状態、無制限にものごとを貪り求めること。
本能そのものは善悪以前の自然のものであるとブッダは説かれています。
しかし、欲望を必要以上に増大させ、人の迷惑などおかまいなく貪りを増大する行為が、不幸を呼び起こす原因になると説いておられます。この原因を悟る方法として十二因縁の法門を説かれています。
滅諦(めったい)
集諦を通じて、苦の原因は人間の心の持ち方にあることが解ります。
「心の持ち方を変えることによって、あらゆる苦悩は必ず消滅する。」という真理です。
渇愛を捨て去り、解脱し、執着を断ち切る。
あるいは、渇愛を捨てようとしないまま、ただ捨て去ろう、解脱しよう、執着を断ち切ろうとすればするほど執着を強めてしまうこともありうる事から、お釈迦様は「道諦」の真理を説いておられます。
道諦(どうたい)
お釈迦様は苦を滅する道(方法)として、苦を滅する道は苦から逃れようと努力することではなく、正しい行いをすることだと「八正道(はっしょうどう)」を説いておられます。
- 正しく物事を見る「正見(しょうけん)」
- 正しく考え「正思(しょうし)」
- 正しく語り「正語(しょうご)」
- 正しく行為し「正行(しょうぎょう)」
- 正しく生活し「正命(しょうみょう)」
- 正しく努力し「正精進(しょうしょうじん)」
- 正しく念じ「正念(しょうねん)」
- 正しく心を決定させる「正定(しょうじょう)」
四諦と無明
四諦を説くひとつは、四諦が理解できると私たちはみんな関係性に生きている。生かされてある。ということに、気がつきます。この気づきが知性です。
世代間のギャップの問題は、自分のことばかりで、関係性を考えないために生じている点です。
世代間のギャップはひとつの結果で、その原因は子育ての失敗にあり、子育ての失敗が生じた原因は親の無明にあることになります。
このように原因=結果ですが、ひとつの因果にはいくつもの因果があり、元となる原因まで立ち返らないと真の原因が解らない場合は少なくありません。
つまり先に述べた縁起です。
全ての現象は、原因や条件が相互に関係しあって成立しています。
ある現象は、独立しているものではなく、条件や原因がなくなれば結果も自ずからなくなることを指します。つまり因果ですね。連鎖(つながり)をポジティブに言えば縁起であり、ネガティブに言えば因果と言えます。
縁起と因果の違い
縁起とは、因果のことですが、微妙に違うので説明しておきます。
すべての現象は、原因(因)=条件(縁)で、結果(果)=生起(起)という考えです。
好ましい結果、生起を得るには、ふさわしい原因、条件を用意する。
それが知性というえます。
まとめ
すべての現象は、原因(因)=条件(縁)で、結果(果)=生起(起)なのだから、あり方でよくできる。それには「八正道(はっしょうどう)」を実践しようというのがお釈迦様、命がけの最後の説法です。
世代間ギャップは、社会の仕組み(=因果、縁起)の理解(知性)があれば解消します。物事の道理(=真理)について無明(明るくない)から起こっていることです。
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