「四苦八苦」は、一般に「苦労する」という意味で使われます。
仏教では、どういう意味があるのでしょう?
「四苦八苦」は「一切皆苦」と併せて、誰もが避けられない8つの苦しみのことを教えておられます。
いつの時代、どこの国でも、すべての人が経験する人生の苦しみを8つで表現されています。
まず誰も避けられない人生の大きな苦しみを「四苦(しく)」。
1.「生苦(しょうく)」
2.「老苦(ろうく)」
3.「病苦(びょうく)」
4.「死苦(しく)」の4つです。
さらに4つの苦しみを加えたものを「八苦(はっく)」といいます。
5.「愛別離苦(あいべつりく)」
6.「怨憎会苦(おんぞうえく)」
7.「求不得苦(ぐふとっく)」
8.「五陰盛苦(ごおんじょうく)」
以上の8つです。
では、「四苦八苦」の世界へようこそ。
素敵な関係
高倉健さんは、訳あって離婚しましたが、昔、結婚していた頃。
海外から取り寄せた車が自分のために船旅をして届いたことに感激して、深夜、奥さんの江利チエミさんを乗せてドライブしたそうです。
一緒に走っていると、チエミさんが「欲しかった車で走っている健さんを見たいから停車してほしい」というので、降ろしました。
走ってというのでチエミさんの前を走行すると、道路から手を振って全身で「カッコいい!」と何度も何度も繰り返しはしゃぎました。
真夜中に二人で遊んでいた健さんは「この女のためならなんでもできる」と思ったそうです。
「この女のためならなんでもできる」と思った健さんを裏付けるように、当時一緒に仕事をした監督たちは異口同音に「健さんは、なんでもやった」と振り返ります。
「キング・オブ・カルト」として世界に知られる石井輝男監督も応えるかのように、「もう少し辛抱してな、きっと大スターにするからね」と励ましたそうです。そして「網走番外地シリーズ」の大ヒットでその約束を実現しました。
年間興行収益の1/4を賄う大スターになった健さんとチエミさんに災いが起こります。
江利チエミさんの義姉が嫉妬から二人の仲を裂こうとします。
このままでは健さんへの迷惑は計り知れないと思ったチエミさんは離婚を決断します。
愛別離苦
「愛別離苦」
親愛な者と別れるつらさ。親子・夫婦など、愛する人と生別または死別する苦痛や悲しみ。「四苦八苦」の一つです。
深く愛しながらも離婚を余儀なくされた二人は一緒に暮したい願いを抱いたまま別れたのです。
健さんに仕事への気持ちにも変化が起こり、先のことが見えないまま、馬車馬のように働いた東映を退社します。
明日が見えないフリーになって、一からの出直しを図ります。
怨憎会苦
「怨憎会苦(おんぞうえく)」
・・・怨み憎んでいる者に会うことは避けられないとお釈迦様は「四苦八苦」のひとつに挙げておられます。
離婚の前年に自宅は全焼。数億円が横領され、チエミさんはやがて義姉を告訴します。
いまここ、この瞬間
フリーになった健さんに一本の仕事が入ります。
超大作「八甲田山」です。
制作は3年に及ぶもので険しい雪の八甲田山で長期ロケが待っていました。
この作品で失敗したら後がないと背水に陣で臨んだ健さんは、この一本だけに集中します。
3年間無給です。
持っていた財産を売り払い、それで食いつないだと言います。
やがて公開されたそれまでの記録を更新する映画は大ヒットになります。
お釈迦様のいう「四苦八苦」に満ちた世界を「いまここ、この瞬間」に生きることで落ち着きを得たのです。
求不得苦 五蘊盛苦
・求不得苦(ぐふとくく)・・・・求める物が得られないこと
・五蘊盛苦(ごうんじょうく)・・・・五蘊(人間の肉体と精神)が思うがままにならないこと
そんな健さんでも、最後には「五蘊盛苦」つまり死を受け入れざるを得ませんでした。
まだ次回作を準備していた矢先です。おそらく日々覚悟して暮らしていたと思います。
「求不得苦」は限りがありません。多くのものを手に入れられたと思いますが、真実はどうでしょう?
ご本人に聞くしかわかりませんが、三毒に負けない生き方を貫く内に、気にならなくなったかも知れません。
もう十分に悟りの境地に達していたのでは・・・・仏になられたのです。
晩年の作品では、江利チエミさんんぽ代表曲「テネシーワルツ」が流れます。
三毒に負けない生き方
仏教では三毒と呼ばれる3つの要素が人をネガティブにすると言われています。
欲望、嫌悪、愚痴・・・この3つは、私たちの不幸に直接的に結びついています。
金銭的欲望や、惨めな過去への嫌悪感。恨みつらみ。
それらは何も生み出しません。
「四苦八苦」が語るように、人生は思うようにはいかないものです。
“苦を楽に変えて生きる”ための知恵が、「いまここ、この瞬間」です。
健さんが投げやりにならず踏ん張ったのも、チエミさんの存在が大きかったのでしょうね。
言葉で足りない部分は行動で伝える
「目に見えないことを大事にしろ」とよく言います。
言葉では伝えきれないことを伝えようとすると行動で伝えるしかありません。
しかしその行動さえ説明しないと意味が通じない場合が多々有ります。
行動で伝えているのは言葉では足らないことがあるからです。
『無表業』という言葉があります。良い行いを繰り返せば、自然と善が身につくという意味です。
「業」という言葉には、なんとなくオドロオドロしい響きを感じます。
サンスクリットの「なす(クリ)」という動詞から派生した名詞で「行為・行い」を意味します。
業にも様々ありますが、「表業(外に表れた行為)」と、「無表業(外に表れない行為)」の2つがあります。
良い無表業を繰り返し行えば、それは習慣化し、意識して「善を実践しよう」と思わなくても、気がついたら善を実践していたという状態に達します。
逆に悪の無表業も習慣化するので注意が必要です。
呼吸をするように、自然に善が実践できるようになりたいものです。
まとめ
人を正しいあり方で、愛することはエネルギーになります。
欲望、嫌悪、愚痴を忘れるからです。
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