般若のゴエス|自分を忘れるアサーティブ・コミュニケーション

「見えないもの」を大切にする ゲンキポリタン大学
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お釈迦様は「無我」であれと2500年前に説きましたが、1970年前後の日本では「自分探し」が流行りました。なにがあったのでしょう。トイレットペーパー不足を解消するために「自分探し」をしたとは思えません。

自分忘れの修行者に贈る「世界の代表的な呪文」

  • 「人生は苦である」お釈迦様
  • 「どんな気がする?」ボブ・ディラン
  • 「でもやるんだよ」根元敬
  • 「元気ですか!」アントニオ猪木
  • 「そこがいいんじゃない!」みうらじゅん
  • 「探し物はなんですか」井上陽水
  • 「僕は誰にも似ていません」エルヴィス・プレスリー

アサーティブ、アサーションなコミュニケーションとは、率直・誠実・対等・自己責任を念頭に自分にも相手にも同様に自己主張することです。わざわざアサーティブ、アサーションと念押しするのは、そうでないヒトが多いからです。つまり自分でない自分に見せようとするから悩みが絶えないのです。人生100年時代は当たり前。いまでは200年を視野に入れて生きる時代に、自分でない自分になって生きるのは曲芸のようですが、動物虐待を申し出ても自業自得と注意されるだけでしょう。

いままさにアサーティブなコミュニケーションが必要です。人生200年時代に必要なのは我を忘れて、子どものように夢中で生きる遊び方です。必要なのは好きなことに夢中になれることです。

ところがほとんどのヒトは子どもの心を忘れてしまっていて、好きでも嫌いでもないことに囲まれて暮らしているのが実情で、好きでも嫌いでもないことをフツーつまり正常を幸せと言い換えているようです。フツーとかノーマルとかを正常だと思い込んでいますが、「私、フツーでいいんです」といった彼女が10年間ほぼ毎日無言電話してくるのって犯罪ですからね。
つまりフツーとはフツーでないことが前提にあって、自分が置かれた一喜一憂する退屈な毎日のことなのです。楽しく生きるに「まあまあ」はありません。

ヒトは自分でない何者かに見せようとして悩みます。結局、周囲から、ありもしない自分がどう思われているか、ありもしない幻想を投げ捨てて、好きなことと夢の中へ、つまり、禁断の猛獣と密林の中へ、入り込めば自分を忘れて、あるがままの自分になれるのです。

アサーティブになるとは、子どもみたいに好きなことに夢中になるしかありません。
ヒトは夢中になれば『率直・誠実・対等・自己責任』になるしかないからです。

 

一歳半で描いた人生脚本は、幼児特有の万能感がベースになっています。
自分しか考えられない皮膚感覚での愛着のこじれで書かれたものです。
「人生脚本の書き直し」をするには、感情を排除した冷静で合理的なライフプランがもっとも簡単です。

つまり、幼児期の人生脚本は気にすることなく、忘れて、あらたに描けば良いということですね。

感情が絡むとドロドロするので、非常に重く、川を流れるようにはいきません。
コレステロールのようなドロドロは戦っている感がありますが、実な余計なことばかりです。私を忘れて、打てば響く有形・無形の『ライフプラン』にしぼって、魔除けの戒名でもつけて、アサーティブに本質に取り組んだほうが健康的な警戒心を働かすことができるのでおすすめです。

アサーティブであるために基本を理解する

18歳になると、「成人」扱いになり一人前(=社会に於ける責任を果たせるヒト)と認められ、憲法で保証されたさまざまな自由 を手に入れることができます。「一人暮らしの自由」「パートナー選びの自由」「パー トナーとの同居の自由」「服装の自由」「考え方の自由」「生き方の自由」が認められます。
一方で「責任」を果たせる者として、自立していることが前提になります。チームワークの発想ですね。

だから、つまり、「考え方の自由」「生き方の自由」を主張しても、30歳にもなって親と同居している人は、社会的に認められないのが先進国の基準になります。 アメリカは1950年代中期まで、ティーンエージャーいう概念がなく、大人か子どもしかありませんでした。つまり子どもは親と同居するのがスタンダードでした。


そこに登場したのが「エデンの東」「理由なき反抗」のジェームス・ディーンであり、『キング・オブ・ロックンロール』のエルヴィス・プレスリーでした。彼らはいままでなかった価値観を表現したことで若者のヒーローに躍り出ました。そしてティーンエージャーという概念が広まり、親と離れて一人で暮らすのがスタンダードになりました。

エルヴィス・プレスリーのシール

彼らが表現した自由は、アサーティブの礎になり、当初公的には煙たがられましたが、今日では、実は親が教えることでもあったのです。親の役割を彼らが代わって成し遂げたともいえるのです。子どもたちもバイブルとなる見本が欲しかったのです。

現在のアメリカやイギリスあるいはヨーロッパの先進国の自由の前では、男だから、女だからという差別はありません。女の子は心配だといって、親が過保護になったり、同居を強いたりはしません。注意、小言を言って後はムスムの責任と押し付けるのではなく、それどころか、どうしたら自立できるか、どのように自分を守ることができるかを、成人前に徹底して教え込むのが、親のするべき基準になっています。
日本の管理職に占める女性の割合は10%程度で、国際的に依然と低い真の原因は家庭教育のあり方に由来しているようです。たとえば、女の子の夜の外出に対しても、危険だからと禁じるのではなく、 「信頼できる男友だちに、必ず送ってもらいなさい」「防犯スプレーを持ちなさい。使い方を練習しておきなさい」「護身のために柔道など武術を習いなさい」と教えて、逆に、積極的に外出するよう勧めます。同時にお金の使い方や節約方法も教え込みます。


成人前にそれらを教え込むことで、さっそく一人暮らしのやりくり、さらに以降の長い人生で、仕事、ボランティア活動、恋愛、趣味などあらゆることに積極的にかかわって自律し同時に自立した人間になれると、信じているからです。

自律も自立も、有形・無形のライフプランに不可欠な要素としてスタンダードになっているのです。一般の人は、 それほどお金を持っているわけではありませんから、節約で貯金をして、投資に回します。お金があれば、精神的に自由になれるからです。また、パートナーがいたとしても、そのパートナーに依存しない、 という精神的自立が得られるからです。
貯金は転職するときにも「気軽にワークシフトにできる自由」を与えてくれます。
節約の心を持たずに、浪費グセをつけてしまうと、 はじめにお金に困ることがあり、精神的な自由を奪われてしまいます。

自然

世界の先進国の親は、自由を尊びます。国防と同じく自由は勝手に手に入るものではなく、「健康的な警戒心」を持つことが自立していくうえで大切であると教えます。「人を信じるのはいいことだけど、誰を信じるか自分の責任で選びなさい。最初に警戒心を持ち、人と距離を持って接し、後になり、いい人だとわかって心を許すほうが、逆より賢明だ」と、 子どものころから植えつけます。

コミュニケーションもお金も基本は同じ

200年婚のパートナー資産

こうした警戒心は、対人関係だけではなく、コマーシャリズムにのせられて衝動買いをするのを禁じ、不要な買い物をしない人間にします。外国人女性は「日本人は買い物が趣味のようね」と驚いたように言います。クリスマス・シーズンには、消費が高まりますが、普段は買い物をしないので、デパートに行っても平日は店の規模に反して従業員は疎らです。飲食店も同じです。


「ハッピーフライデー」という言葉があるのもコマーシャリズムではなく、金曜の夜しか遊びに出かけないからです。造語の主体性は生活者にあるようです。


ついでにいうとセルフの概念も日本と他の先進国ではかなり違います。セルフはサービスの進化系ですが、日本ではコストカットが主たる目的で、主体性が店側にあります。日本ではコストカットに伴うサービスカットなのです。
Storeという単語は「預かる」が語源です。つまりお客様のモノを預かっているという感覚です。

シングルマザーをアサーティブに選択する理由

シングルマザーを選択する理由

シングルマザーに対する認識も、ずいぶん違います。
仕方なしにシングルマザーになるのではなく、アサーティブに主体性をもってシングルマザーを選びます。
自立した成人女性の場合「私は離婚なんか絶対にしないで、幸せな家庭を築くわ。大丈夫よ」などという自分だけは「特別なヒト」という無謀な考えは持ちあわせていないようです。


ヒトの一生とは、起きて・食べて・働いて・寝るだけの繰り返しです。暮らしとは、この世に生をうけた生き者すべてに共通した行ないで、ヒトもクマも犬も猫も、誰もが避けようがありません。
シングルマザーを望むのも、離婚が多い結婚生活事情もありますが、初めの何年かはうまくいっていても、一人のヒトと一生暮らしていくのは難しいことだというアサーティブな視点に立った基準から生まれたことです。


嫌になっても我慢しなければいけないのはつらいことです。しかも、子どもの前で、浮気をした、しないでケンカをしてまでも結婚生活を続けることはしたくないので、それならと、シングルマザーになりたいと主体的に考えるのです。


2500年前に、お釈迦様は「人生は苦なり」と仰せになっています。さらに「苦」には、「四苦八苦」と呼ばれる八つの苦しみがあるとまで仰せになりました。生まれた限りは死が待っています。すべてに始まりがあれば終わりがあるのです。


「永遠に愛する」といわれたら「狂っている」としか見てはいけないのです。それでも、死ぬまで愛し抜いたとしたら、よほど相性が尋常でなかったか、壮絶な努力の賜物であり、救い難い狂気だったのです。そのしあわせならず「しわ寄せ」は妻の知らないところで、無関係なヒトに津波のように押し寄せています。なぜなら尋常でなく無報酬に絶え抜いた功績は尋常な肉体と精神からは生まれず、ひたすらアホウにならないとできないからです。ただただ自分を忘れて相手に尽くす一方でセクハラ、パワハラどこ吹く風、同じアホウならガス抜き放題、人生恥知らずでやらなきソンソンは絶え難きを耐え、忍び難きを忍んだ苦節数十年の必殺仕事人のつもりです。

俺には仕事がとか、趣味とか、血迷って生き甲斐がとか、やり甲斐とかいいますが、その実際は起きて・食べて・働いて・寝るでしかなく、すきま時間を埋めているだけでしかないのです。本当に時間を好きなことにつかっているかというと、ほとんどは嫌いなことか、好きでも嫌いでもないことに使っているのです。メディアに煽られてにわかサッカーファンになって、サッカー選手に「ありがとう」と感謝するのは、自分を忘れさせてくれて「ありがとう」という意味です。だから娘が母親に「結婚ってなに?」と聞いたら、腹の底から噴火するように、実感こめて「我慢だ」と答えるしかないのです。こういう母親の実態に触れて真実を知り「シングルマザー希望」を選択することは素敵なことなのです。

私が200年婚を推奨しているのは、自分を自己マスタリーの最高峰に導く修行だと考えているからです。出家するよりつらい行(ぎょう)です。
「君を応援することが生きる歓びだから結婚したい」と言える相手を見つけたら赤飯炊いてお祝いしたいものです。ただし死ぬまで思い続けられるのは、自分を忘れて、アホウを超えて、来る時間も来る時間も、奴隷になることを厭わないマインドフルネスなヒトでないとできないことは覚悟の上に覚悟をしてください。結婚には種類があるので、身の丈に合ったコースを選択されてください。

アサーティブに生きるすすめ

法律婚

愛するとは、自分を忘れて、自分より重要な存在を生きることです。どの程度、自分を忘れられるかは本人次第です。法律婚だけが結婚ではないので、自分を忘れられる能力に見合ったコースを選択しましょう。

お釈迦様は、「いま、ここ、この瞬間を生きる」をモットーにされ、10人いた弟子にもそう説かれたようです。つまり刻々と移り変わる「いま、ここ」の置かれた状態になりきることが、自分を忘れる唯一の方法です。

マインドフルネスとは、そういうこと(なりきる)であって、瞑想することではありません。瞑想状態にあるときは、瞑想になりきるというのがマインドフルネス瞑想です。嘘を学んではいけません。その意味では食材、お料理になりきるマインドフルネス食事もあり、睡眠になりきるマインドフルネス睡眠もあります。
三大欲求とは、食欲・睡眠欲・性欲のことをいいいますが、これは日本人が考えた嘘です。他の国でそんなことをいう国はありません。


実際にセックスしないからといって死ぬことはありません。電気製品(電気冷蔵庫、電気洗濯機、 白黒テレビ)を買わせるための「三種の神器」に続き、高度成長を促す「文明の三種の神器(カラーテレビ、クーラー、自動車)」、日本三大都市圏(東京圏、大阪圏、名古屋圏)、さらに徳川御三家(尾張、水戸、紀伊)にならっての流行歌手の三人娘、御三家、新御三家は庶民に愛されました。
このパターンを欲求にもあてはめようとしたの三大欲求です。しかし、外国ではこのような言い方はされませんから、外国人に三大欲求などと言ってもジョークにもなりません。

嘘を信じないのはアサーティブの前提です。

ありもしない自分がこの世に存在していないように、嘘には気をつけましょう。

  • もの分かりのよい人が好かれる
  • 愚痴はこぼしてはならない
  • おとなは子どもより偉い
  • 先生は生徒より優れている
  • 負けることはよくない
  • 上司には従うべき
  • 人を傷つけてはならない

のような、べき論は、それが望ましいというだけなので、気にすることはありません。

三大欲求と同じく、たとえば「先生は生徒より優れている」の場合、生徒より劣っている先生が願望を広めただけなのです。生徒より先生が劣っているケースはカウント不可能なほど目の前に広がっています。それを知っているアサーティブな子どもたちはおとなに対して石ころをミルキーの包装紙に包んだり、蛇を蛇のおもちゃの包装紙に包んでプレゼントします。気をつけてお過ごしください。戒名は自戒の意味をこめて名付けて名刺にしましょう。べき論の最たるものになります。

物分かりの良いヒトだからという理由で好かれません。都合がいいから好かれるのです。このように言葉の意味をよく理解することが大切です。身の丈に合ったヒトはアサーティブの条件かも知れません。

お粥さんPJ|基本的なPAC交流・3つの交流事例・あるある事例
ライフスタイルは個人の生涯を決定づけることを目的に、自らが選択、目的を達成するために日常的に使われています。一般に「性格」として認知されています。交流パターンはいくつもあり、具体的なシナリオ(人生脚本)に仕上げられています。基本的なPAC交流・3つのPAC交流事例・あるある事例に分けて説明します。
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