自分のルーツ
宗派調べは自分のルーツを調べるようなものです。
ご両親が亡くなった場合、まずは父方の実家、あるいは親戚に聞くのがいいでしょう。
ご仏壇があれば過去帳がありますが、読んでも分からない場合が多いでしょう。
お参りに来ていただいていたお寺に聞くことになるかもしれませんが、時には高額な要求(見積もり)をされる場合があります。
実家の宗派にこだわらず、自分が信じる宗派に宗派替えをすることもできます。あるいは法事やお墓参りに便利だからと自分の家の近くの寺を菩提寺に決める人もいます。
しかしお墓は代々受け継いでいる場合がほとんどなので、安直に決めるわけにもいかないでしょう。
菩提寺とは、代々一家が信仰し、葬式や法事などを営むお寺のことです。
菩提寺とする宗派が自分の宗派になるので、納得できる宗派を選ばないと後悔することになります。
それでは、仏教誕生から渡来、宗派が増えていったプロセスについてお話しします。
仏教誕生
まず仏教はインドで生まれ、西暦500年頃、大陸から漢字と共に伝わってきました。
聖徳太子が天皇を補佐する摂政になってからのことです。
この頃、豪族だった蘇我氏と物部氏が対立していました。
仏教に熱心だったのは蘇我氏です。
「蘇我氏は渡来人でなかったのか」というほど蘇我氏と渡来人の結びつきが強く、当時の日本にはなかった情報を得ていたようです。
漢字が入ってくるまでのコミュニケーションは口伝に頼っていました。
聖徳太子の死後、豪族・蘇我氏の権力は天皇家を上回るほど大きくなり、天皇家の即位、退位に介入あるいは決定するほどになっていました。
このような時代に唐から帰国した留学生や僧侶は、国家体制を整備して中央集権国家の建設を考えました。
この考えに邪魔となる蘇我氏を打倒し、646年に改新の詔を発布して開始された一連の政治改革である大化の改新だったという説があります。
(聖徳太子の死後、蘇我氏が著しく権力を握っていることから、聖徳太子と蘇我氏は同一人物ではないのかという説があるほど、未だに歴史的に解明されておらずミステリーなのです)
いずれにしろ、神道の国である日本に入ってきた当時の仏教は宗教というより学問の意味が強かったと思います。
『日本書紀』には、第33代、推古天皇の時代、初の女帝であられた推古天皇のもと、蘇我馬子と協調して政治を行った聖徳太子こと厩戸皇子(用明天皇の皇子)は推古9年(601年)、飛鳥から移ることを決意し、法隆寺の建造に着手、推古13年(605年)に移転されたと残っています。
法隆寺にある国宝玉虫厨子が日本最古の仏壇と言われています。
仏壇のはじまり
仏壇の始まりは第40代、天武天皇の時代。
「日本書紀・第二十九巻」には、白鳳14年(686年)に「諸国の家ごとに仏舎を作り、仏像や経巻を置き、礼拝供養せよ」という天武天皇の勅が出され、これが日本の仏壇の始まりとされています。
仏教より仏壇が早く浸透したのは意外ですよね。
その勅が出された3月27日は「仏壇の日」になっています。
仏教文化、花開く奈良時代
天武天皇の勅から55年。
奈良時代になると仏教文化が開花します。
奈良時代の741年・・・第45代、聖武天皇が国を守るために「諸国に国分寺・国分尼寺を建立せよ」との詔が出されました。
いまも全国に「国分寺」の地名がありますが、その名残だといえます。
都(奈良)には聖武天皇により天平15年(743年)に造像が発願されました。
天皇・貴族・庶民が一体となって作った東大寺の大仏が建立され、全国にお寺が建立されました。
実際の造像は天平17年(745年)から準備が開始され、天平勝宝4年(752年)に開眼供養会が実施されました。
大仏さまは、全国の仏教のシンボルになったのです。
いよいよ、ここから仏教文化のはじまりです。
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