知らないと損する「アサーティブの4本柱」気持ちのあり方のように感じるかも知れませんが実は技術の問題なのです。
お問い合わせありがとうございます。
アサーティブの4本柱は、率直であること、誠実であること、対等であること、そして自己責任です。知らないと損する「アサーティブの4本柱」今回は3つ目の対等についてご説明します。
エンドレスにワンダフルなライフステージに、欠かせないアサーティブは、率直であること、誠実であること、対等であること、そしてそれらを支える自己責任の4つの大きな柱からなる仕組みで成り立っています。
リッツ・カールトンでは、“紳士淑女”であるお客様にお仕えするスタッフも“紳士淑女”であると定義しています。お客様と同じ目線で、つまり対等に積極的にコミュニケーションを取ろうとする企業文化、風土が広がり根づいています。一方、お客様は上位の存在で、サービススタッフは下から仕えるものという認識がまだまだ強く、”こちらからお客様に話しかけたりしては失礼ではないだろうか”と考える習慣が残っています。
このためスタッフは、お客様より一段へり下ってサービスすることが、古い体質の企業では常識になっています。それを悪用する顧客もいて、たとえばマスクをつけずに飛行機に乗り込み、注意されると食ってかかり、裁判沙汰になった乗客は、スタッフを見下していたのではないでしょうか。
価値観の違いはいつ、どこにでもあります。対等であるためにどうすればいいのか、一緒に考えましょう。
- アサーション(assertion)は、自己主張ですが、誤解を招くことのないようにするために、自分を率直に表現すると解釈をしたほうがいいしょう。
- アサーティブ(assertive)は、アサーション(assertion)の形容詞です。
- アサーティブネス(assertiveness)は、自分を率直に表現しあう「関係」です。
因果関係から不幸なライフステージを過ごしたヒトからは不幸なライフステージしか生まれません。これにストップをかけるのが、ライフデザイン、ライフプランですが難易度が高くなります。
般若のゴエスで整える
モチベーションを高めるうえで欠かせないアサーティブは、 率直であること、誠実であること、対等であること、そしてそれらを支える自己責任の4つの大きな柱からなる仕組みで成り立っています。
対等であること
モチベーションを影響を与えるアサーティブは、 率直であること、誠実であること、対等であること、そしてそれらを支える自己責任の4つの大きな柱からなる仕組みで成り立っています。4つの大きな柱からなる仕組みで成り立っています。
対等とは、自分も相手も大切に、人権尊重の精神を反映した態度、行動です。
言いやすい人にだけ言うようなすることをせずに、誰に対しても、分け隔てなく、どんな場面でも、態度を変えず、同じように脱力状態で接することです。
へつらうかと思えば、尊大な態度をとる。このように相手によって、態度を変える人を見かけまることが少なくありません。
相手に対して失礼ということもありますが、不必要に力を入れてるのはおかしいですね。
その構図がそのまま「自分の仕組み」と考えることができます。
ギフトを渡すときにも、「つまらないものですが」と言うように、会議をしていても、「つまらない考えですが」と、つまらいを前置きして話すことも少なくありません。
その本心がどうであれ、自己卑下した態度は、コミュニケーションに支障をきたします。
新訳 弓と禅 付・「武士道的な弓道」講演録 ビギナーズ 日本の思想
「大事な事だから真剣に聞いてほしい」と意欲は大事ですが、脱力はさらに大事なので、オイゲン・ヘリゲルのように、「こんなに抜いて、誰が矢を放つんですか?」という位、チカラを抜くようにしましょう。それが射ってくれますから。
しかし、もっと大事なことがあります。対等であるためには、話の主語を変えないことです。
主語を変えると対等に話せなくなる
「見積書は、どうなった?」と上司に尋ねられたとします。
「それが大変なんです。前回の交渉で納得していただいたはすですが、金額が高いということで見積書を、再提出することになりました。」
つまり会話力が不足しているので「対等」を自ら放棄した格好になるのです。しかし謝罪は解決になりません。
このような主語に対して主語で返していくやり方を身に付けるには、繰り返し練習で改善できます。
トレーニングで会話力をアップする
トレーニングの目的を理解する
- 会話には目的がある
- 相手は何を達成しょうとしているのか/達成したか
- 目的を知って会話をしないと交叉する
- 自分の因果の解決にしない
トレーニングでは、まず論題の言葉を定義するという作業をします。研修で行なうときには定義づけの議論をしている時聞がないので、司会する進行係であらかじめ設定した定義を肯定側も否定側も共有の定義として使用しています。
深く考えたわけでもなく、ただ与えられた定義を使いますので、もしかしたら受講者(トレーニー)は重要な意義を感じていないかもしれません。しかし、自分たちの使う言葉を定義づけし、それを相手にも伝え、共有してから議論を進めていくという作業はコミュニケーション・トレーニングとして、とても大切な意味があります。
言葉の意味する範囲が違うのでは?と明確に指摘してくれる人は日常生活ではなかなかいません。
ですから相手の使った言葉を徐々に似たような言葉にすりかえて、相手の意味する範囲を無意識にずらすということをしてしまいます。
また、噛み合わない会話をしてしまう人は、最初から自分がいたいことを優先してしまうので相手の話と噛み合わせることが二の次になるということがよくあります。
そのような考え方や発言に対して適切なフィードバックを受けながら訓練できるのがディベートです。議論の練習として体験してみるのは有効な方法です。
対等の極意は「自分忘れ」
会話になりきるのに自分は不要です。目的を知って目的になりきったなら、対等な議論は有効なので、自分は不要です。
友人関係に対等を学ぶ
おそらく対等な立場を維持するのが最も容易な人間関係といえるのは「友人関係」でしょう。どんな年齢でも、友人同士の間に見られる力関係は、当然ながらお互いが対等であることに基づいています。それに比べると、年齢、地位、身分などのヒエラルキーが現実に存在する社会での人間関係においては、対等な立場を主張することはむずかしくなります。私たちは身の周りに存在している上下関係には、隠された上下関係も含めていつも大きく影響されています。
特に男女の場合、人は相手に対して礼儀正しくありたいがために、対等な立場を主張しないこともあります。自分以外の誰かの要望を最優先させてあげたいと心から望む場合はそうでしょう。
しかしそれ以外の場合では、対等な関係が可能であるにもかかわらず、つい無意識に上下関係にとらわれてしまいます。親密な間柄においても、どちらか一方が相手に対して力をふるうという力関係がいまだに支配的です。平等が誼われている現代においですら、男女の間で利害が衝突した場合には、いまなお多くの女性が、「自分たちは男性とは対等ではない」という考えを判断材料にして、行動してしまう傾向があります。
親密な人間関係の中においてさえ、あらゆる年齢層の女性たちが、男性と対等であるとはっきり主張しなかったことによって、対等でない関係に自らがおちいる傾向から抜け出せないでいます。
しばしば女性は表立って反対することをためらい、声を上げて主張するのではなく、黙って状況に身を任せてしまいがちです。相手の男性と対立するのではないかという不安が大きな恐怖になってしまい、いまだに多くの女性は、率直に意思表示をするために必要な勇気や手段を行使しない、あるいはできないでいます。
女性がしばしば口にする男性に対する不満として、「男は自分の感情について語ることを好まない」ということが挙げられます。たしかにそれまで与えられてきた固定観念によって、自分の感情を表現することに居心地の悪さを感じる男性は少なくありません。しかしここで抜け落ちている視点は、女性も自分の感情については、非常に漠然としたことしか話さない、ということです。
対人関係において、自分自身の「内側の力」をどのように主張すればよいのでしょう。第一に、対立は勝者と敗者を生み出すという考えをきっぱりと手放さなければなりません。対立は必ずしも争いに発展するとは限らず、むしろお互いの意見の違いを探るチャンスになるという可能性もあります。お互いの意見や要求が異なるときに対立が起こるのであって、それは必ずしも深刻な不和を意味しているとは限りません。
女性は、男性と比べて自分たちは感情的にバランスがとれていると自負していますが、その感情というのが明確さを伴っていることはまれです。女性はしばしば感情的に混乱してしまい、今まで口に出さなかった多くの不平不満が溜まっていることもあって、男性に対する単純な要求が他のいろいろな感情とごっちゃになって収拾がつかなくなることがあります。
それを受け止める男性の側では、問題は明らかに単純であることはわかっていたとしても、結果として感情の領域に深く巻き込まれてしまいます。そうして男性たちは、いったいどこから飛んでくるのかわからない辛らつな言葉や手厳しい非難から身をかわさなければならなくなります。男性の感情的なあいまいさに不平不満を言うだけでなく、女性の側も自分が具体的にどうしたいのかをはっきりさせ、もつれた自分の感情をより明確に表現することを学ばなければなりません。
会話を巧みに操作して結果をコントロールしようとするのではなく、率直で明快な発言をすることが必要になってくるのです。自分はどうしたいのかを明確に認識することが対等の条件なのです。
エンドレスにワンダフルであるために
エンドレスにワンダフルなライフステージとは、
ヒトは生まれ、そして死にます。その間に子どもが生まれ、子どもを育てますが、育て方がワンダフルなら次世代を生きる子どももワンダフルな人生を歩みやすくなります。
逆に十分なケアをせずに育てると、子どもは不安のなかで成長するので、健康的なライフスキルを身につけないまま歪んだライフスタイルで他者と交流を重ねるので場合によっては不幸なライフステージを歩みます。
無為自然がよろこびだと悟っていても、全く知らないところで起こったことまで把握できませんから、諸行無常からして、ヒマつぶしの最後の防波堤が自分だと覚悟したなら、なるほど、率直、誠実、対等、自己責任の大事が解ります。
コメント