般若のゴエス|アサーション・コミュニケーション|自己責任について

アサーティブ・マトリックス PAC交流
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知らないと損する「アサーティブの4本柱」。アサーションとは自己主張という解釈が広がっていて、そのため言いたいことをいえばいいんだと誤解している方も少なくありません。結論からいうと違います。

ご質問
アサーティブの4本柱
は、率直誠実対等であること、そしてそれらを支える自己責任といいますが、詳しく教えてください。

お問い合わせありがとうございます。
アサーティブの4本柱は、率直であること誠実であること、対等であること、そして自己責任です。知らないと損する「アサーティブの4本柱」今回は4つ目の自己責任についてご説明します。

エンドレスにワンダフルなライフステージに、欠かせないアサーション・コミュニケーションは、率直であること誠実であること対等であることそしてそれらを支える自己責任の4つの大きな柱からなる仕組みで成り立っています。特に自己責任は4本柱を支えるものなので特に重要です、

犯人をさがせ!

私たちは、人を責めることが好きです。自分が不幸なときはいつも、誰かを責めたり何かのせいにします。何かがうまくいかなかったときも、私たちは他者または自分自身を傾向に傾向にあります。何か「問題」が起これば、あたかもその問題が起きた原因が自分の至らなさにあるように感じて自分をを責めてしまうのです。つまり「問題がある」ということ自体を否定的なことと受け止めてしまうのです。

だからこそ、コミュニケーションの中で何かあると、その犯人探しのスイッチを入れてしまいます。原因探しをして「誰のせいにするか」ということになってしまうのです。

このとき私たちは、二つの選択肢しか思いつきません。「あなたのせい(非難)」か、「私のせい(罪悪感)」かという選択肢です。

そしてパートナー、同僚、友人との間で生じた無作法な行ないや些細な過失をいつまでもあれこれ考え、誰をどれだけ非難するべきかを決めようとします。

誰かを責めるとき、「自分が怒るのは当然のことだ」と考えて、相手に優位な立場からものを言うことが許されるように思ってしまいます。

一方、自分自身を責めるときには、黙っていることが多いものです。
相手より下の立場にいるというだけで、自分には何も話す権利がないと感じてしまうのです。
非難あるいは罪悪感を持って物事に対処しても、結局は建設的な問題解決には至りません。
「誰かのせいにしたい」という誘惑から逃れることさえできれば、あたらしい可能性が見えてくるはずです。

自分の責任も認める

責任の概念について考えてみましょう。

相手を特定せずに、何度も同じ問題が繰り返されるなら、心の中には不平不満やフラストレーションが積み上がっているはずです。

その場合、もし、もっと。。。

  • 相手が話がわかる人だったら、
  • 有能であれば、
  • 頑固でなければ、
  • 神経質でなければ、
  • 良い上司だったら

    こんな問題は起こらないのに、解決するのにと、考えてしまうと、真実から目をそらしてしまうことになり、不平不満が山積みになっていきます。

毒親から自立するチャンスに遭遇したとき

このトリックつまりに気がついた時点で、「どのような具体的変化が考えられるか」を考えてみましょう。

冷たい冬のあとには、春がやってきたように、チャンス到来です。

相手の行動パターンだけではなく、それ以上に自分自身の反応と行動パターン変えるチャンスであり、自己マスタリーを一段も二段もアップできる時です。


これは、起こったことに対して、犯人探し、自責で自分を追い込むのではなく、自分の側の責任も認識するチャンスなのです。

私たちは、自分は被害者であるとか自分のせいではなかったと主張したくなります。

でも本当に無力な子どもでないかぎり、自分から動き出す選択肢を持っていたはずです。
他のやり方を知らないために、または何らかの報復を恐れていることで、無意識にこの選択肢を制限してきたのかもしれません。
しかし大人であるかぎり、選択肢はあるのです。で、あるのに、なぜ他の選択肢を選ばないのでしょう?

つまり、このような癖を身につけた原因である(ひとつである)毒親から自分を解放できるチャンスです。
13の禁止令毒親から身を守る手段として身につけた対策、つまり黙っているか特定の話題を避けることで、自分を誰かに合わせたり、相手の言いなりになるというパターンを繰り返しているとき、または言いにくいことでもあえて正直に伝えることができるにもかかわらず、そうしないとき、私たちは「そうすること」を選択しているのです。

このように行動することで、私たちは自分の「内側の力」を使うチャンスを無駄にしています。個人の「内側の力」の中心には、誠実さと対等性があるということを思い出してください。

これは相手に合わせるのはここまでだという限界を、必要に応じて自分で決めることであり、相手に対する思いやりと自分自身への配慮のバランスをとることを意味します。

バランスをとるということは、簡単そうに思えるかもしれませんが、実際にはとてもむずかしいことです。問題のある人間関係を直視してみると、中途半端な妥協を繰り返してきたこれまでの傾向に気づくことがあるでしょう。言葉を変えれば、自分の要望をはっきり伝え、対等な条件で合意を得るという努力をする代わりに、むしろ現状を黙って受け入れることを選んでいるのです。

しかしあまりにも長い間、自分自身に誠実に向き合うことから逃げていると、結果的には痛みを伴う結末になるのは目に見えています。
対等であろうと心に決めれば、それはいつでも話し合いをする準備があるということです。

納得のいかないことを容認したり、言い訳で自分を慰めたり、トラブルを避けるためだけに努力することは、相手との聞に真の妥協点を見つけることではなく、むしろ自分の感情を押さえ込んでいることに過ぎません。

自分自身を偽ることは、ときとしてどうしょうもないストレスとなって現われます。
あまりにも多くの不平不満を口に出さずに飲み込んでいると、そのうちどうしても誰かにぶつけたくなる非難の山を抱え込むことになるのです。

誰かとまっすぐ向き合って話し合いをするときには、問題となっている現在の状況に対して、自分にはどんな責任があるのかを考えてみるといいでしょう。相手とあなたの責任は、五分五分です。

そのことが心から納得できれば、一歩前に進んで相手と向き合い、相手を罰したり非難したりすることなく話し合いを進めることができるはずです。

自己責任とは、自分の選択に自分が「責任を持つ」こと

アサーティブになるということは、人が決めたことに従ったり、あるいは人の意向に合わせて自分の方針を変えるのではなく、自分で意志決定をすることです

自分で意思決定するということは、自分に起こったことを周りの環境や他人のせいにせず、自分が責任を持つことを意味します

また、自分の生活に対して自分で責任をとるということは、自分が「こうありたい」と願う方向へ変えることができることを意味します。つまり自由なのです!自分の人生、つまり自分のヒマつぶしの不運を周囲や環境のせいにして、周りを責めることは、自分の置かれている好ましくない環境を変えることに他律的になることを意味します。他人に言わせたら「おまえのヒマつぶしがなんでオレの責任なんだよ。勝手に楽しくやってろよ」と言われそうです、

アサーテイブは「主体的に生きる」、「主体的にかかわる」ことなので

過去と他人は変えられません変えられるのは唯一、自分。そしていま、ここ、この瞬間から先の未来です自分で自分に責任を持つことが、いちばん自由なことであり、分を活かす道なのです

まとめ

知らないと損する「アサーティブの4本柱」。
アサーションとは自己主張という解釈が広がっていて、そのため言いたいことをいえばいいんだと誤解している方も少なくありません。結論からいうと違います。アサーティブの4本柱と言われるように、率直・誠実・対等を束ねているのは自己責任です。つまり「自由」ということです。自己責任とは良識であり自由なのです。

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