こんにちは。生きるのが楽しい人間関係を創る、あなたの願いを叶えるNaomanミノル(いきいきゴエス協会)です。戒名は複利雪ダルマです。
今回のお題はアサーティブなコミュニケーションの有害物質「万能感って?」です。
続きは「万能感でやる気ホルモンテストステロンを垂れながせ❗️」です。
アサーションコミュニケーションについてお話ししていますが、今回は「アサーションコミュニケーション」の障害になる「万能感」です。
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子どもにとって、百害あって一利なしと言われる「万能感」ってなんですか?
万能感のご質問、今回が最後になりますので、「万能感でやる気ホルモンテストステロンを垂れながせ❗️」と含めて、万能感の意外なメリットについてもご説明します。
万能感
万能感とは、「人間は全知全能の万能の神ではない」の万能です。
万能感は、アサーティブな自分、アサーションなコミュニケーションをする上で、邪魔になるだけです。万能感は、自分には好都合な感覚ですが、他者には不都合な感覚だからです。
万能感は、子ども特有のものですが、ヘタすると自分の人生だけでなく、心理的に近いヒトの人生も台無しのする危険があります。
2022年秋、安倍首相暗殺事件と併せて話題になった宗教団体と信者、信者二世のトラブル。お金の問題がクローズアップされましたが、事件の本質は「人間関係」にあります。話題は教団と信者、信者二世のお金が中心ですが、信者が人間関係に触れたくないので「お金」にすり替わっているだけです。お金の問題が片付くとフタ(お金)で隠したように人間関係の問題が個人の上に露呈します。
ブロンソンならこう言ったね。
「父親のことを二度と卑怯だなんて言うな。お前の親父はおれみたいに銃を持たなくても責任感のある勇敢な人だ。家族全員を守っている。親父たちはみな重い責任を負って墓に入るまでそれを守り続けているのだ。人に言われてやるンじゃない。お前たちを愛しているからだ。オレにそんな勇気はない。毎日畑でラバのように汗を流して働くことこそ本物の勇気だ。」
人間関係で揉めている家族にはブロンソンの言葉は通じません。一番手取り早いのはそのようにしか生きられない親だから許してやることだね。構っているといつまでも終わらない。構われたいんだです。形の上では親だけど事実は逆転してる、受けた傷は絆創膏でも貼って気長に自然治癒を待つのがいい。
「幼児性万能感」は子どもの問題のように扱われますが、そこには「親の問題が隠されていることに注意が必要です。
幼児的万能感を隠さずナルシスト全開タイプのヒトが尊大型自己愛人間(尊大型NPD)。それに対し、心の中には幼児的万能感をしっかり持ちつつも、表向きは穏やかな良い人を演じているのが隠れ自己愛人間(脆弱型NPD)です。
そんな自己愛人間が抱える幼児的万能感は、ただ駄々をこねるだけの幼児感覚ではありません。
親や家族から十分な愛情が得られないような不適切な養育環境が歪んだ自己愛の形成に大きく影響しているのです。構っているといつまでも終わらない。構われたいんです。形の上では親だけど事実は逆転してる、子どもが親なんですよね。
ヒトは感情→思考→行動で動く
人間は感情の動物です。
なりたい(BE)!
したい!(DO)
欲しい!(HAVE)
感情から動き、思考、行動へと発展していきます。
なりたい、したい、ほしいは、行動の原動力、」つまり生きる力です。
このむきだしの生きる力を高い次元に押し上げるのが、自己マスタリー(ヒトとしての熟練度)です。ところが万能感の持ち主は殿様ですから動きません。自己マスタリーも実際には関係ありません。
ブロンソンならこう言うね、(もう一度)
「父親のことを二度と卑怯だなんて言うな。お前の親父はおれみたいに銃を持たなくても責任感のある勇敢な人だ。家族全員を守っている。親父たちはみな重い責任を負って墓に入るまでそれを守り続けているのだ。人に言われてやるンじゃない。お前たちを愛しているからだ。オレにそんな勇気はない。毎日畑でラバのように汗を流して働くことこそ本物の勇気だ。」
いつの時代もはっきりしているのは、自分がコントロールできるのは、自分だけです。
ところが「万能感」の持ち主は、自分をコントロールしないで、相手をコントロールする。
自分をコントロールしたら「万能感」にならないからです。
赤ちゃんは自分をコントロールできない生き物です。そこで保護者が泣いている状態から望んでいること察知して、願いを叶えます。この繰り返しで、赤ちゃんは万能感を強めていきます。
しかし、いつまでも続けていると自立できなくなるので、保護者は徐々にサポートを緩め、一方子ども自身も自立を求めます。ここで大切なのは両者のバランスです。
保護者は赤ちゃんの成長に合わせて、できる範囲を認識しながらサポートを加減します。この間、サポートの加減はしても、愛着の絆は緩めてはなりません。なにができて、なにができないのかと愛着は別の問題です。万能感は、将来の無力感の裏返し、大人になりきれない幼児的万能感になるので、愛着の軽視、白か黒かのような扱いは厳禁です。
ところが自己愛人間が抱える幼児的万能感は、甘やかしすぎなのと子どもへの無関心がもたらした弊害なのです。矛盾してますね。この矛盾こそ「愛したいけど愛せない」という本質なのです。
愛してもらえないけど愛されたい子どもは自分への関心に注意をひきます。
気をひくのは、生死を賭けた戦いなのです。
- 「大きくなったら、ヒーローになりたい!」
- 「ユーチューバーになりたい!」
- 「プリンセスになりたい!」
- 「バスの運転手になりたい!」
- 「お医者さんになりたい!」など、体験を通して感動がやりたいこととして浮かんできます。
これは『幼児的万能感』で、子どもなら誰でも持っている当たり前の感覚です。
子どもの頃は「自分は何だってできるし、何にでもなれる」と信じているのです。
大人になるにつれて、この幼児的万能感は徐々に打ち砕かれますが、見かけは立派な成人・老人になっても次のような幼児的万能感を持ち続けている大人もいます。
- 自分は特別で優秀
- 自分は与えられて当然
- 理想以外は受け入れない
- 周りは自分を評価すべき
- 他人の感情は理解したくない
- 些細な否定に打たれ弱い
- 不都合な状況は他人や環境のせい
我が家は特別!死ぬまで言い続ける「オレはエラい!」
幼いうちは自分や自分の家族や所有物に対して、ある程度誰もが持っている感覚です。ところが自慢できるものならなんでもいい。つまり劣等感を覆い隠すためならネタはなんでもいいのです。
- 「自分は何でもできるんだ。」
- 「自分が一番かっこいい!」
- 「私が一番かわいい!」
- 「ボクの家は特別だ」
- 「ボクの両親は特別に立派なヒトだ」
- 「お父さんとお母さんは何でもできて本当にすごい!」
この感覚は、乳児期に親が自分の望みを叶えてくれたという安心感の名残でもあり、近隣の人々と比べて、立派に見えるなど、基本的信頼感あるいは優越感がしっかりと育った証拠とも言えます。
また、この頃に身につけておきたい「根拠のない自信」にも通ずるものがあり、幼いころに幼児的万能感を持つことはとても大切なことです。
幼児的万能感は挫折で打ち砕かれる!?
幼いころは大切だった幼児的万能感ですが、大人になっても同じように持ち続けていると厄介なことが起こってきます。幼児的万能感は、成長する過程で、打ち砕かれる必要があります。
- 「俺よりすごい奴がいる」
- 「私よりよくできる人がいる」
- 「案外、自分はそんなにすごくなかった。」
- 「上には、上がいるもんだ」
- 「どんなに頑張っても、できないことがあるんだ・・・」
- 「親なんて、意外と大したことない。」
それまでは「自分はすごい」と信じていたけど、成長する過程で、自分の限界を知り、ショックを受けたり、がっかりしたり、落ち込んだりする経験の中で、幼児的万能感は自然と打ち砕かれていきます。
人生のどのタイミングでどのような挫折体験が訪れるかは人それぞれですが、万能感を象徴するできごとがあります。
ラケットが育む万能感
ラケットがそうです。
ラケットとは他者を操作するためのテクニックです。
その呪文は「○○○さえすれば、相手は思うように変わる」というものです。
ラケットは、アサーティブとはほど遠いコミュニケーション手法です。
- 私がひどく悲しんでいれば、親はあの考え(あるいは行動)を変えるに違いない。
- 私が腹を立て続けていれば、親は態度を改めるだろう。そこで私は欲しいものを手に入れることができるのだ。
- この不快な感情に浸っていれば、きっと親は私を認め、可愛がってくれるだろう。
- この感情を手離さないでいれば、今以上の不幸がやってくることはあるまい。これは楽しい感情ではないが、一生、使う価値があるものだ。といった、ひそかな確信です。
ラケットは幼児のファンタジーから身についた感情的態度で、ラケットで他人を変えることができると、思い込んでいる魔術のようなものです。
ブロンソンなら「扉の影に誰かいる」というはず。
そう、交流分析するなら、CP(厳格な父親)とNP(保護的な母親)が高い。厳しすぎる父親と世話をやきすぎる母親がラケットの温床になっているのです、
出来る子でなければならない子どもにとって、自分が変わらなければならない局面で変わらなければ、相手を変えるしかないのです。このような場面で、親が態度、行動をを変えるのは必須なのです。
こうしてファンタジーは成功します。
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