経営の神様ドラッカーは、誠実さが欠けていたら組織は腐敗するといいました。
同じことは個人や家庭にもいえます。
アサーティブの4本柱のひとつである誠実さ(Integrity)とは何でしょう?
「誠実な人」は最高の褒め言葉とされています。
- 私利私欲を交えずに、相手のことを真心で思いやり、人や物事に向き合う
- 法律や社会規範を守る
- 顧客や取引先、株主、社員、また社会に対して誠実で真摯な経営をする
誠実なヒトは見えないことも見ようとします。聞こえないことも聞こうとします。そのストレスに屈しない強さがあります。
対照的に、誠実でないヒトとはどのようなヒトなのでしょう?
- 人の強みでなく弱みに注目する
- 冷笑家
- 何が正しいかではなく、誰が正しいかに関心を寄せる
- 部下の人格ではなく、特徴を重視する
- 有能な部下を歓迎するのではなく恐れる
- 自分の仕事に高い基準を掲げない
どこにもいない自分と他者を比較して、「どこにもいない自分が劣っている」と思うと絶望するのです。いくら頑張っても「どこにもいない自分」にすら、なれないのだから絶望するしかありませんのです。と、いっても物の道理で解るように「妄想」の上に繰り広げている「妄想まつり」です。
そもそもおおかたのことは、暇つぶしぐらいの適当なのに、自分について、真面目すぎるのです。必要以上のムキになって妄想を捉えてしまうので苦しくなってしまいます。
私たちはお釈迦様が悟られた「無我」を連想します。
誠実なヒトのエゴグラムとは
アサーティブ、アサーションなコミュニケーションはメンタルモデルと深く関わっています。メンタルモデルは3つの自我(PAC)のバランスです。3つの自我(PAC)を整えるには使う言葉、態度、表情、行動の適正化で可能ですので、不足する自我、過剰な自我を認識してトレーニングします。(お粥さんPJ)たとえば恥ずかしいカレンダーを臆面のなく販売し、それ以上に恥ずかしい戦争を仕掛けて、さらに恥ずかしい言い訳を繰り返すPマン大統領は、一目でわかるように保護的な母親の自我、無邪気で自由な子ども自我が不足しており、一方で厳格な父親の自我が生き写しMAXです。
不足する自我など自我のバランスは、エゴグラムで数分で認識できますので、ぜひこちらでトライしてみてください。(設問に答えてグラフを仕上げるだけです)
誠実なヒトのエゴグラムの特徴は愛着の絆の強い環境で育っているので「保護的な母親の心」が目立つはずです。さあ、どうなっているでしょう。エゴグラムを作成してみてください。
誠実な「会話」からはじまる「働き方改革」
日本の企業421万企業のうち99.7%が、中小企業です。とりわけ、小規模企業は我が国全企業数の9割弱、2,800万人が中小に雇用されています。一企業体の従業員も少ないので個人の考え方が色濃く反映されます。すなわち個人の特に経営者の自我が雇用にも反映されています。従順な子どもの自我が強い経営者のもとには、システムのメカニズムで従順な子どもの自我が強い社員が集まる傾向があります。つまりグローバルな荒波を超えるには不向きなのです。
強い企業を育てるには、企業経営に適正な自我を育む必要に迫られているのです。言い換えるとエンドレスにワンダフルな家庭を築ける能力が強い企業づくりに欠かせないのだから、雇用する社員を家庭円満にすることが優先課題なのです。つまりワークライフバランスの追求こそ企業の活性化につながります。併せてアサーティブ、アサーションなコミュニケーション能力を高める指導が有効です。(般若のゴエス)
しかし実態は、滅私奉公の風土がブラック企業を生み、従順な社員が残り、生産性の低い会社を大量に輩出、負のスパイラルが延々と続いてきたのです。しかしグローバルな社会では、これでは立ち行きません。多額の法人税が支払える企業を育てないと国力は低下し、ますます国も個人も負のスパイラルに沈むしかないのです。
この危機を回避するには、逆回転させるしかありません。つまりアサーティブ、アサーションなコミュニケーション能力を高めるのです。その羅針盤がライフシフトであり、健康なライフシフトを可能にするライフプランです。つまりライフプランは健康なワークライフバランスと共にあるのです。
アサーティブ、アサーションなコミュニケーション能力を高めるためのアサーティブの4本柱( 率直、誠実、対等、自己責任)を強化していきましょう。 4本柱である率直、誠実、対等、自己責任はライフスキルと密接に繋がっています。
以上の相互補完の関係を整えるあり方を貫くことが「誠実」の基礎です。
誠実であることの強み
では、次に「誠実な会話」とは、どんな会話のことでしょうか。ひとことで言うなら単語で会話しないことです。
家庭で、子どもに対して「宿題は?」と言っても「宿題は何なのか?」と聞いているのか、「宿題は終わったのか?」と聞いているのかわかりません、相手は自分の子どもだし、愛情を持って育てていますという思い込みがあるので、これで通じるはずだと思っています、
だからといって、もし子どもが「宿題が何?」(A→A)と大人の自我から親の大人の自我へ質問してきたら、それを単に質問と受け止めるのは難しいはずです。
「ゴチャゴチャと屈理屈、言うな、宿題は?と聞いたら、したのか、どうかを聞いているに決まっているだろう」と感情的になって親の自我から子どもの自我に投げかけると、双方が喧嘩腰になります。このようなコミュニケーションの積み重ねが「親父はなにも解ってくれない、聞こうともしない」という怒りになります。親はそれを反抗ととらえてしまいますが、原因を積み重ねているのは親です。
そもそも親子だからという甘えがあって、親側が「宿題は?」という言い方で聞くことに原因(P→C)があります。しかも成長過程にある大人になりたい子どもの自我は無視して、お前は子どもだといわんばかりに、きちんと伝えていないことにあります。
これでは、子育てを破壊しています。
さらに具合が悪いのは、正確に理解していない質問にも適当な解釈で回答していいという間違ったトレーニングしていることになります。
こんな会話を繰り返していると、やがて成人になっても、あいまいなやりとりしかできないような大人になってしまいます。部下を持つ上司になった時が心配ですね。誠実さが感じられないコミュニケーションが普通になってしまいます。
親と子のコミュニケーションは、成人に向かって子育てをしている意識を明確にもって、「成長」を念頭にしないと台無しになります。話の途中までで「伝えたつもり」にならないように、単語だけで「言ったつもり」にならないコミュニケーションを心がけましょう。
最後まできちんと言葉にして言う習慣をつけるには、買い物の時もトレーニングと思って、単語で始まり単語で終わる会話でない丁寧な会話を心がけます。
お客様と店員さんの間でも、対等だと考えてコミュニケーションします。「コーヒー」ではなく「トールサイズのホット・コーヒーをひとつお願いします」です。相手が準備しやすいように、注文するようにします。常に相手の立場で考えてオーダーする習慣を当たり前にするのです。
自分を大事にしたいから同じく相手を尊重する
誠実とは、自分にも他者にも、嘘をつかないことが基本です。
自分に嘘をつかないとは、自分の心の声に傾聴することが、原点です。
そこには、相手や周囲の人が、どう思うかで判断するのではなく、自分がどう感じているか、自分がどうしたいのかで判断する態度があります。
この態度が誠実であって、その態度は、そのまま他者に反映されます。
心にもない態度は、誠実から脱線した態度で、対等と密接に絡んでいます。
私たちは、自分の気持ちをよく知っているようで、そのくせ、自分ことがよく分らないといいます。
自分の気持ち知る力は、ライフスキルでいう自己認識スキルで、ライフスキル全般を支える重要なスキルです。自分の気持ちがわからないと、感情の表現ができなくなり、感情的な行動をとるようになってしまいます。
感情的な行動は、自分と周囲の人を無意味に傷つけ、率直なコミュニケーションができなくなるので、アサーティブを破壊します。
時と場合によっては、自分に嘘をつくことが必要と考える人もいるようですが、そうとは言えません。自分と周囲の人を尊重するために、誠実さは欠かせないスキルなのです。
誠実は「じぶんを忘れる」
ヒトは決して同じではありません。カラダも違えば受ける教育も違います。
なるほど学校教育のテキストは同じでも、一人ずつ違う教師も違えば教え方も違います。家庭の環境も違えば考え方も教え方も違います。これだけ違えば、ほぼ完全に違います。
言葉で会話することを怖れて、行動で示し、言葉足らずの部分は、あとは自分で考えてください。というスタイルをとるツンデレ、好き避けのヒトが増えています。ある種のヒトは、それを可愛いと評しますが、いわゆる「照れ屋」「恥ずかしがり」の範疇ならともかく、レベルが違う場合には危険なみかたです。もし自分の都合優先で関わるなら深く傷つける可能性があります。もうこれ以上傷つけてはいけないヒトなので、慎重な誠実が必要です。ツンデレ、好き避けは家族の問題であって、因果には理不尽に耐えてきた歴史があり、隠された痛みがあり、癒さなければならない痛みがあり、間違って思い込まされた自己否定があります。道理を超えた、私を忘れる誠実で健康な愛情が必要です。家族の問題を突破するには、好きでも嫌いでもない、ヒマだからというような一瞬の感情力では不可能です。永遠に近く、なりきる勇気なしには解決できませんが、メカニズムは理解できても、学校の答えのように単純明快な答えはないのでより速気持ちと行いが必須です。
まとめ
ドラッカーの伝えたいことは「原理原則」に徹した、当たり前のことばかりです。
原理原則は共通の事象から発見された共通の答えです。ですから大量のデータから導き出されます。特殊な例を省きますが、ニュースは言葉通り、新しい情報です。
しかし誠実に新しいも古いもありませんが、ヒトは諸行無常です。誠実も変わることから、避けられません。それでも、根本が変わらないのが「誠実」です。
誠実なヒトは見えないことも見ようとします。聞こえないことも聞こうとします。そのストレスに屈しない強さがあります。そこには苦を抜き楽を贈ろうする抜苦与楽の『慈悲」があります。
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