難解な「十二縁起」(じゅうにえんぎ)をわかりやすく「図解」で説明します。ブッダは「苦」が生まれてくる、煩悩(ぼんのう)のメカニズムを十二縁起で説明しています。またブッダは十二縁起を説明することで、脳と心の違いを説きました。
四諦(したい)の集諦(じったい)にあたり、「苦の原因の真理」です。
こんにちは、お遍路するFP、三宝印沙門です。
十二縁起(十二支縁起)とは、一切の存在は自己も含めてそれ自身の本性,本質または実体といったものは存在せず,空であり、無である,と説く仏教の根本思想です。すなわち、すべて縁起によって事が生起しているいう意味です。で、あるなら縁起そのものを変えてしまえば。。。というのが三宝院沙門の考えです。
でも、そんなことできるのかと誰だって思いますよね。三宝院沙門はできると言います。
仏法では、『無明(むみょう)』をなくさない限り、親や先祖の『無明』が、子や孫へと受けつがれ、いつまでも、束縛やとらわれから、離れることも逃れることもなく、負の循環を継続してしまうのです。だからこそ「し合わせの追求’が循環を止めるようになると、あわせ技の改善を訴えます。
十二縁起では、「これあるが故にこれあり、これ生ずるが故にこれ生ず」というように順観すると次の順番で苦が苦を生むメカニズムだと説いています。
1無明→2行→3識→4名色→5六処→6触→7受→8愛→9取→10有→11生→12老死で終わりますが、「老死」は輪廻に入ることと考えられています。
『十二縁起』とは?
- 十二縁起(十二支縁起)は『無明(むみょう)』から始まります。
- 十二縁起は自己肯定感に繋がる金融資産、無形資産を育てる上で重要な「社会人基礎力」です。
- 十二縁起は、ブッダが四諦の原因を解き明かす上で、欠かせない真理です。
十二縁起には、物質的からとらえた外縁起(がいえんぎ)と内面から捉えた内縁起(ないえんぎ)があります。外縁起では肉体がどのように作られてきたかに12のプロセスに分割して注目し、内縁起では12のプロセスに分けた心の働きを中心にとらえています。1無明→2行→3識→4名色→5六処→6触→7受→8愛→9取→10有→11生→12老死。それぞれの捉え方は同じです。ここではミックスして語ります。
1.無明(むみょう)
1.無明(むみょう)というのは、現代でも「その方面に明るくありません」と言うように、「無知(むち)」ということです。つまり無知なる魂(たましい)という意味です。
2.『行(ぎょう)=行為』
無知なる魂は、両親(夫婦)の2.『行(ぎょう)=行為』によって母親の胎内に3.『識(しき)』が宿ります。「親の因果(いんが)が子に報い」とか「因果(いんが)は三代めぐる」などと言いますが、無明(無知なる魂)は識の行を支配します。
3.『識(しき)』
「識」とは知識の識で『生物の特性を備えたもの』という意味で人間のことです。
4.『名色(みょうしき)』
まだ人間の形になっていない不完全な識(しき)がだんだん形を整えてくると、4.『名色(みょうしき)』になります。
名(みょう)とは無形のもので、精神や心の状態をあらわし、色(しき)はその逆の形あるもの、つまり肉体を指します。
名色(みょうしき)というのは、魂(たましい)が入った人間の心身ということです。
5.『六処(ろくしょ)』
名色(みょうしき)が発達すると六入(ろくにゅう)、つまり5.『六処(ろくしょ)』と呼ばれる、眼(げん)、耳(に)、鼻(び)、舌(ぜっ)、身(しん)、意(に)、すなわち六根(ろっこん)が調ったという意味です。つまり人間として、この世に誕生する意味です。
五感(ごかん)と心、唯識論で言ういわゆる六識が発達してくると、視覚(しかく)、聴覚(ちょうかく)、臭覚(しゅうかく)、味覚(みかく)、触覚(しょっかく)などをはっきり感じられるようになります。
6.『触(そく)
このように、『身体と心=名色(みょうしき)と六処(ろくしょ)』が互いに影響(えいきょう)しあった状態で感覚器官が発達した状態を6.『触(そく)』といいます。
7.『受(じゅ)』
触(そく)の感覚器官が発達してくると、感受性が強くなってきて、好き嫌いの感情がでてきます。この状態を7.『受(じゅ)』と言います。人間の年頃で言えば、六、七歳を指します。
8.『愛(あい)』
さらに成長すると、8.『愛(あい)』が生じます。
愛にはいろいろな意味がありますが、お金への執着も愛から生まれています。
外縁起(がいえんぎ)での愛は主に異性に対する愛情です。
9.『取(しゅ)』
異性への愛情が芽生えてくると、相手を征服して自分のものにしたいという所有欲、独占欲がでてきます。それを9.『取(しゅ)』と言います。お金への執着も含まれます。
10.『有(う)』
また、逆に自分の嫌いなものから、離れようとしたり、嫌ったりします。
このように分ける感情が出てくることを10.『有(う)』といいます。
有とは、自己中心の心がもたらす差別・区別の心です。好きなものには親しんで、気に入らないものや嫌いなものは排除(はいじょ)するのが、人間世界の姿です。
10.『有(う)』のレベルまでくると、生きる葛藤、苦しみがいろいろな形で表れてきます。こうした葛藤は、人間に対立や争いを起こします。争いや対立は苦しみを伴います。このように苦しむ人生を11.『生(しょう)』と云います。
11.『生(しょう)』
このように、さまざまな苦楽の意識と行為を業として魂に記憶し、このような意識で人生を過ごすことを、11.『生(しょう)』といいます。親は子に自分の主張を伝授します。たとえば共産主義を信奉している親は子に伝え、民主主義を信奉している親は民主主義の良さを伝えます。
『生(しょう)』は本人だけでなく、子々孫々の『生』にも影響を与えます。
この状態が、当協会のメインテーマ「人生はエンドレスにワンダフル」の裏現象です。
12.『老死(ろうし)』
仏法では、『無明(むみょう)』をなくさない限り、親や先祖の『無明』が、子や孫へと受けつがれ、いつまでも、束縛やとらわれから、離れることも逃れることもなく、負の循環を継続してしまうのです。
そして、それは一生続いて、最後に老いて死を迎える12.『老死(ろうし)』に至るのです。
以上が、主に人間の肉体を中心とした外縁起による十二縁起(じゅうにえんぎ)です。
十二縁起のメカニズムで自己執着心が生まれてしまいます。
十二縁起は面白い
もう一度、おさらいしてみます。十二縁起はプラモデルのように素材でしかないことに気づくでしょう。十二縁起はあなたのし合わせ方(智慧の働かせ方)で、どのようにも変化します。
この心の流れが『十二縁起』であり、一筆書きの円で描かれた「十牛図」の八枚目の絵「人牛倶忘(じんぎゅうぐぼう」で描かれた最高度の完成された智慧の象徴です。
十二縁起は円環することで、「無明」に戻り、一時的に空白状態に陥るが、意思(し合わせ方)があれば、ある方向に向かって進み出す。刹那生減の連鎖が起こります。そこで大切になるのが志向性が働いている「環」であること、「意思(し合わせ方)」の存在です。大体、輪廻なんて本当にあるのか誰にもわかりません。「輪廻転生して犬やってます」なんて犬が喋ったなんて、聞いたことがありません。だからと言って輪廻をあれこれいっても仕方がありません。環も意思も人知れずやるから気分が盛り上がります。だってそうでしょう。種明かししたらなんでもつまらないのです。人知れず勉強していると、他者は「なんであいつ勉強してるの?」って不思議がるでしょう。それをいちいち言葉にするから他者はおもしろくないので、批判しかかえってこないのです。面白いから勉強だって楽しいのです。レジリエンス(打たれ強さ)が打たれ強い人を育て、レジリエンスのあるヒトが生きるスキルを高めます。
刹那生減を繰り返し意思がこじあける
刹那生減の理解を深めるために、ここで弘法大使空海についてお話しします。
弘法大師空海は774年〈宝亀5年)に香川県で生まれました。生誕地には四国八十八ヶ所霊場 第75番札所 善通寺が建っています。父は地方豪族の佐伯直田公、母は阿万氏の出、玉依御前。その三男として生まれ、幼名は真魚(まお)。兄二人は早世、弟の真雅は空海の弟子になりました。母方の阿万氏は代々皇族や貴族に学聞を教える職を務める名門で、伯父である阿万大足は、桓武天皇の皇子の教育係を務める儒学者でした。空海は幼い頃から聡明で仏教に親しみ、泥をこねて仏像をつくったり、仏様の夢を見たりというエピソードもあります。
十五歳になった空海は都にのぼり、伯父である阿万大足のもとで三年間漢籍を学び、十八歳になると当時の最高学府で官吏養成機関である大学に入学します。自身が書き残しているように「昔の人は雪明かりや蛍の光で勉強し、首に縄を巻き、錐で膝を突いて眠気を覚まして頑張る人もいると、自分を叱陀して勉強に励んだ」と書いているとおり、大学で主に儒教や道教の経典を猛烈に勉強し、成績は常にトップでした。このまま大学を卒業すれば、エリート官僚としての道は約束されていたのです。
しかし当時の大学は、出世のための箔をつけるためだけに通うエリート意識に満ちた貴族たちの施設であることに耐えられず大学を一年余りで辞めてしまいます。
空海のこころを動かしたのが、のちに24歳の時に自身の出家宣言書ともいうべき『三教指帰』(さんごうしき、さんごうしいき)を著します。この本は、戯曲の形をとり、儒教・道教・仏教の三つの教えを論じて、「四苦八苦」から解放される真理を説く点で、仏教が最も優れていることを表しています。自らの確信を深めたかったのでしょう。空海自筆とされるものが現在も金剛峯寺(高野山真言宗の総本山の寺院)に伝えられて国宝に指定されています。(大体、高野山という山が本当にあると思っている方が多いのですが、高野山真言宗の金剛峯寺というお寺はありますが、高野山という山は存在していません。空海って面白いでしょう。)
それを後押ししたのが、私度僧(朝廷の許可なく出家した僧)となり、山岳修行者として、沙門に授けられた「虚空蔵求問持法」を修行する日々でした。
「虚空蔵求問持法」が解く『マンダラチャート』
「虚空蔵求問持法」・・・それは、日の出から智恵と福徳をそなえた虚空蔵菩薩の真言を百万回となえれば、呪力が身につき超人的な記憶力と理解力が得られるという修行法です。
この修行は刹那との戦いで「八正道」の真理がぎっしり詰まっています。1時間は3600秒なので12時間で43200秒です。1秒毎に1回唱えても43200回にしかなりません。
弘法大師空海の修行は一日1万回の虚空蔵菩薩真言「ノウボウ・アキャシャギャラバヤ・オン・アリキャマリボリ・ソワカ」を唱えることでした。虚空蔵菩薩御真言です。
この真言を唱え念じると、願いが叶うと言われています。
意味は、「無尽の智慧と福徳を持つ虚空蔵菩薩よ、寶冠の如くの福智を与え、悟りの境地に導きたまえ」です。
100日で100万回を達成する行でした。おそらく空海は何度も煩悩と戦い挫折もしたと思います。
唐に渡る準備も含め、場所を変えたりもしたでしょう。いわゆる空海空白の7年間です。
お大師様が、ついに室戸岬の御厨人窟(みくろど)という洞窟で「虚空蔵求問持法」に壮絶な修行を続けて、早朝100万回を成し遂げたとき、空に明星(虚空蔵菩薩の化身といわれる)が現れ、その輝きが増したと思うと、光の塊となって、お大師様の口に飛び込んできたといいます。
明星は、金星のこと。金星は、虚空蔵菩薩そのもので、このときお大師様は「虚空蔵菩薩と一体化する」という神秘体験をしたと伝えられています。仏教に対する確信を深めたときだったのです。
洞窟の外には空と海しか見えなかったことから、ここで名を「空海」と改めます。
お大師様は、空と海の大自然以外、一切を放下著したのでしょう。
即身成仏して大日如来になる
大日如来は密教の根本本尊とされています。宇宙全体をつつみ込む絶対的な存在で、真理そのものということです。大日如来の慈悲と智恵の光はこの世のすべてのものを照らしだしていると考えられています。ちなみに、お釈迦様は大日如来が現世に現れた姿とされています。
大日如来の教えを理解する(さとりの境地に至る)には、自分自身が大日如来になりきることが最も大切なことだと説きました。つまり自身が生きいている間に仏になる「即身成仏」の教えです。(弘法大師空海さまがそう言いました)
なぜならヒトは「悟り(さとり)」と「現世利益」をあわせ持っているものと考えます。
すべてのヒトは仏性(仏と変わらぬ心)を持っているが、ふだんはそれを忘れていて、執着など煩悩で覆い隠されています。だから、一切を放下著して、自分が本来持っている仏性に目覚めることができさえすれば、仏と一体となって生きたまま、悟りの生活ができると教えています。
つまり四国お遍路でいう「同行二人(どうぎょうふたり)」の構えです。
人生を使って人生は楽しいと伝えるのがルール
あなたがあなたの人生を使って人生は楽しいと伝えるのです。それが十二縁起に託した本当の真理です。ループし続ける煩悩に反転攻勢を楽しむことで「し合わせ」のきっかけにする。菩提樹の下で痩せこけたブッダがスジャータの慈悲の力でついに悟りを得たようにです。
十二縁起は、人間の存在発生から死に至るまでを、物事が縁により生じるものを順に観察したものを『順観』と呼んでいます。人間は生まれて死に至るまで、さまざま人生苦を味わうこととなります。お釈迦さまはブッダガヤーの菩提樹下において、この人生苦を消滅し、輪廻から解脱する為にはどうすればよいかをお考えになり、無明から老死に至る人間の存在発生から死に至るまでの発想を逆転させ、根本の無明を滅する方法を『逆観』といいます。尚、老死については、脳科学の見解では、刹那生減の刹那減という説もあります。
ブッダは菩提樹の下で縁起を順と逆に観じて、悟りを開かれたといわれております。悟りとはいまでいうウェル・ビーイングな状態で最高にいきいきしている状態というのが適切です。
つまり「大日如来」とは、仏像の形をしていますが、森羅万象を奏でる宇宙を包み込む「真理そのもの」なのです。便宜上、大日如来坐像があるだけで、”あなた”の化身なのです。大日如来の教えを理解するには、自分自身が大日如来になりきることが最も大切なことだと説きました。しかし実体としての大日如来はいません。
”あなた”があなた”の人生を使って真理を語ることで、悟りに到達できるのです。
一人一宇宙
同じロジックは”あなた”にも、あてはまります。便宜上”あなた”は存在していますが、実体はありません。”あなた”は森羅万象を奏でる宇宙を包み込む「真理そのもの」なのです。真理はひとつであるとするのは危険ですが、公案の答えがひとつでないように、10人いたら真理に至る道は10あるのです。つまりそれぞれが真理に至る道を身につける。これが涅槃寂静なのです。あえていうなら自分の利益より他者の利益です。「自利利他」です。その真理そのものになる修行が『八正道』なのです。『八正道』を使ってマインドフルネスになれる状態を実現するガイドになるのが『ウェルビーイング』の心を大切にした『マンダラチャート』です。
- 苦諦(くたい)とは、苦しみという真理(あること)
- 集諦(しったい)とは、苦しみの原因があるという真理(あること)
- 滅諦(めったい)とは、苦しみの原因がなくなる真理(あること)
- 道諦(どうたい)とは、苦しみの原因がなくす方法がある真理(あること)
四諦になる原因を説明したのが十二縁起です。四諦から抜け出る方法はある。それは仕合せになることだとブッダは言いたかったのです。それが一人一宇宙ではあるけれど、私たちは大宇宙に暮らしている。一人一宇宙から自分は出ることも他者が入ることもできないが、大宇宙としてつながることはできると説かれたのです。自利利他です。その方法が両界曼荼羅です。
つまり両界曼荼羅は仕合せになる方法を表したものです。毎日はめんどうくさいことだらけです。毎日は面倒くさいことだらけだが、子供のように諦めずに元気を出してはしゃいでいたら必ず「し合わせ」の入り口は見つかると説かれたのです。
人生脚本は「し合わせ」で書き換えられる
三宝院沙門は、自分の業が同じ業を持ったヒトを引き寄せるので、世間の常識に従ってる限り、縁起は変わらないと思っています。恋愛経験のあるヒトは何度、恋愛しても同じようなヒトと交際していることに気づきます。同じことは会社経営しているヒトが雇用する社員のタイプにもあてはまります。偶然のようですが偶然は自分が作っているのです。つまり自分の人生は自分次第で思いのままになるのです。ブッダは「四苦八苦」という言葉を残していますが、「四苦八苦」だからどうする?とブッダは智慧の始まりをいいたかったのです。
四苦とは生(しょう)・老(ろう)・病(びょう)・死(し)、八苦とは
- 愛別離苦(あいべつりく)・・・愛するものと別れる苦
- 怨憎会苦(おんぞうえく)・・・怨み憎まねばならないものと会う苦
- 求不得苦(ぐふとっく)・・・求めて得られない苦
- 五蘊盛苦(ごうんじょうく)・・・総じて人間の活動による苦
の四苦に先の生老病死の四つを足して四苦八苦です。どうすることもできないと思いがちですが、それをお前の智慧で突破しないさい。というのが『自灯明・法灯明』の教えなのです。
人生脚本は無明の時期に思い込みで作られました。
因果関係と思い込みを実証する役割があり、一生かけて実証するという大変危険なものです。
子どもはとても素直なので、しあわせの範囲がとても広いです。臨機応変に遊びます。大人になるにほど、他人が作ったルールを尊重するので、しあわせの範囲が狭くなります。
「しあわせ」という日本語の語源は、「し合わす」だとされています。「し」は動詞「する」の連用形。つまり、何か2つの動作などが「合う」こと、それが「しあわせ」だというのです。別のことばで言い換えれば、「めぐり合わせ」に近いでしょう。自分がしあわせのルールをつくり、自らはたらきかけることで、偶然性を高める方法です。特に「執着」してしまうことほど、偶然性を高める傾向が強くでます。
それには気づきが必要です。
- 自分は欠点の多い人間であることに気づく
- 自分に苦があることに気づく
- 原因=結果に気づく
- ストレス低減の必要に気づく
- 人生100年時代を生きるライフデザインをライフプランに反映する大切さに気づく
- 過去と未来のことに一日の半分を費やしている自分に気づく
- 自分を受け入れる大切さに気づく
- 真理に気づきたがっている自分に気づく
- 気づきは誰かから与えられるものではないことに気づく
気づきがない人が修行しても何も起こらないと思います。
ストレスを低減して、本来の自分を力を発揮したい、人生100年時代をたくましく明るく元気なライフデザインをライフプランに反映していきたい思いとひとつになったたとき、つまり「めぐり合わせ」で気づきは起こります。「めぐり合わせ」は、自分で高めることができるのです。こうすることで、負のサイクルである「十二縁起」から抜け出しやすくなります。逆噴射が可能になります。
お金に執着するのも、愛+取の行程が、不安がお金にすり替わっただけです。お金は必要不可欠なもので、「めぐり合わせ」が大きく関係します。偶然にしないライフプラン・ファイナンシャルプランを通して、フーテンの寅さんのように、お遍路するFPである三宝院沙門が「し合わせ」を基準に共同作業で整えます。お遍路するように楽しいからです。あなたのセンスでいいめぐり合わせをを起こしてくださいね。
まとめ
『し合わせ』は、あなたのセンスであてはめるものです。
「し合わせ」という語源はない、間違いと考えてください。『し合わせ』に気づくためにブッダは思いつく限りの智慧を働かせるように、十二縁起、四諦、四苦八苦、五蘊など・・・・し合わせの問題集を提示してくれました。どういう「『し合わせ」ノート』を描くかはあなた次第です。
ゲンキポリタン大学
「ゲンキポリタン大学」では、「社会人基礎力」をコアに<人生100年時代の曼荼羅>を描くように、ライフシフトをバックアップするさまざまな講座を、さまざまな方を対象に、さまざまな形態で開催しています。ご都合に合わせた形態をお選びください。
「社会人基礎力」(全6回)
- 人生100年時代社会人基礎力3つの能力
- 社会人基礎力①12のの能力要素
- 社会人基礎力②前に出る力を育てる主体性と8つの基準
- 社会人基礎力③考え抜く力を育てる思考法
- 社会人基礎力④チームで働く力
- 社会人基礎力に追加された3つの視点
GTD®勉強会
- 社会人基礎力|GTD①マンダラ思考で情報をゴエスする
- 社会人基礎力|GTD②頭の中の「現実」もすべて把握する
- 社会人基礎力|GTD③アセスメントを設定して「できる」行動をリストにする
- 決定版「図解」十二縁起
コラム 自我と交流分析
- 100年「し合わせ」な整え日記
- 自他肯定をライフスタイルにする『お粥さんプロジェクト』
- 人生の方程式から外れない<イマジン>3つの自我の使い方
- メンタルモデルを変える5つの心とエゴグラム
- 般若のゴエス|自分を忘れるアサーティブ・コミュニケーション
- 般若のゴエス|アサーション・コミュニケーション|率直について
- ロジカルシンキング
- ラテラルシンキング
- システム思考
関連サイト
ゲンキポリタン大学は(社)いきいきゴエス協会の運営です。
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