社会人基礎力|『考え抜く力』が『前に踏み出す力』のコーピングになる

ゲンキポリタン大学
この記事は約26分で読めます。

(一社)いきいきゴエス協会は、自由で豊かなライフシフトをめざしている方の迷いやお悩みのお片づけ、価値観を実らせる内側の力を応援しています。自由なはばたきを支援する野鳥の会のような存在です。ここでは「社会人基礎力」にともなうストレス対処についてお話ししています。

ストレスにはストレッサーというストレスの要因があり、ストレッサーがストレス反応になるというお話をしました。
ストレス反応にはコーピングで対処するということもお伝えしました。
その際、たとえば酒を飲んだり、愚痴をこぼしてやり過ごすネガティブで気まぐれなコーピングでなく、ポジティブに自覚的・戦略的に対処する、つまり納得の上でのコーピングが大切だとお話しました。

  • 適応機制=その場しのぎの「無意識」な自己防衛
  • コーピング:=自覚的・戦略的「意識的」にストレスをマネジメントする

ここでは、ポジティブに自覚的・戦略的に対処する一例として、社会人基礎力の一つである<前に踏みだす力>で生じるストレス、たとえば主体性が不足している、実行力にかけるなど、踏み出したいけど自分には、いまひとつ勇気がないモヤモヤには<前に踏みだす力>がストレッサーになります。

毒を持っ毒を制す!<考え抜く力>が効果を発揮するのです。

おお、そうか!不足していることをエネルギーにして求めるスキルを育む戦略で突き進むというわけか!

自己評価でストレッサーとコーピングを見つける

社会人基礎力評価シート

自己評価シートはこちら

自分はどうしたいのか、何が必要なのか、どう感じているのかを、相手あるいは自分に対して誠実に、率直に、対等に、自己責任で伝えることのできるスキル、これが社会人基礎力であり、アサーション・コミュニケーションの基礎です。でもヒトは悩み事があると、混乱が生じて自分でも解らなくなるものです。そして、そういう時に、つまりストレッサーに血迷うものです。崖っぷちに立たされたとき、大きく息をして自分を忘れて、好奇心を整えましょう。

  • 好奇心を整えると、日々の雑事に振り回される状態にストップをかけて
  • 子どものように知識の吸収が拡大して
  • お坊さんにように、人生を深掘りできて
  • 新しい感動を得られるので、毎日を面白がる活力が湧いてきます

人生にもっとも大切なのは、毎日を面白がる活力です。それがあれば
ストレッサーも楽しめるから不思議です。ヒトはもともと不思議な存在だから不思議を愉しむことができるようになっています。

引き出せ!ミラクル!ミラクルはケーキを焼くようなものだ。
だから僕はケーキを焼くように会社を作る!新しい舞台に立つことを恐れるな!

私たちの多くは、何かあるいは誰かと正面切って対立することに不安を感じていて、万が一、そうせざるを得ないときは、つい身構えてしまい、挙句身動きできなくなります。チャレンジは望まない一方で、負けることも嫌という二律背反に追い込まれるからです。

2019年に「テスラ社は2020年の半ばにも自動運転タクシーのビジネスを開始する」と公言したが、2023年になっても未だできていない。カッコ悪いと思うかい?懲りずに「2050年までに火星に自立した都市を作ることは可能だ」とも公言したよ。アイデアを実行することはアイデアを思い付くより難しいものさ。これまで週80時間働いていたのを、120時間働くだけだ。

私たちの不安感はそれ自体が問題なのではなく、不安感に集中してしまうあまり、避けよう、隠そうとして、逆に不安感が高まってしまうのです。恐怖と向き合いたくないので、失敗を招いてしまいます。納得してコーピングを展開するのとは大違いです。

もしその不安感を内部に押し込めると、その感情は私たちがコントロールできない非言語的なシグナルとして現われ、結果として、自分あるいは相手にメッセージとして伝わることになります。不安を隠そうとすることは防御的な姿勢として現われるため、逆に相手に攻撃的な反応を引き起こしてしまうのです。

「好き避け」と言う現象はまさにこれです。

「好き避け」はホントは、嬉しくて前のめりになって、まだ起こっていないことを思い込んでいるのが、バレるのが怖くて反動で逆の反応をしてしまう状態です。まさしく不安感を内部に押し込めると、その感情は私たちがコントロールできない非言語的なシグナルとして現われ、結果として、自分あるいは相手にメッセージとして伝わるお手本おような現象です。アクティブになる習慣を身につけるには怖い方を選択しましょう。

なので、これまでの避けるパターンに代わるあたらしいアプローチは、自分の感情をより意識的に率直に表現することが重要なポイントとなります。
つまり避けたがっている自分を面白がるのです。

重要だと思えることなら、成功する確率が低くてもやるべきだ。

「不安を楽しむ」を自分のスタイル(コーピング)にする

次の三つの質問と、それに対する答えを持っていることは、むずかしい状況の中で自分あるいは相手にアサーティブに向き合うスタイルにするために必要不可欠です。

①何が起こっているのか?
②それについて自分はどう感じているのか?
③どのような具体的変化を望むのか?

攻撃的になるのでもなく無力になるのでもなく、アサーティブの4本柱である、誠実に、率直に、対等に自己責任をスタイルにして、自己主張するなら本気で相手と関わろうとする態度が、武器ではなく、あなた自身の道具になります。それには、この三つの質問とその答えが必要なのです。

質問その① 何が起こっているのか?

相手は何をしているのか。何をしてきたのか、してこなかったのか。あなたのストレサーになっている要因はどんなことだったのか。あるいは、あなたが嫌がっている行動とは具体的にどんなものか。ここで明確に具体的にしてみましょう。

誰かとの関係で怒りなどの不愉快な感情を持つと、その相手を非難したい衝動に駆られます。そのときあなたの焦点は、完全に相手に向けられています。相手が何をしているのか、いないのか。

どのように行動すべきか、すべきではないか。
相手の不適切なところや欠点、問題点など、もしあなたが慎重でなければ、このような点にばかり心を奪われてしまいます。

慎重でなければ、自分がどツボにはまるというわけか!
デス・ウィッシュ!

まず、その人の行動を「その人自身」から切り離すことを学ばなくてはなりません。なぜなら、誰かを批判するときにその相手に否定的なレッテルを貼ることは、言葉で平手打ちを食わすのと同じことなのです。

変化は恐れずに受け入れなければならない

たとえば、恐れから、「あなたは愚かだ」「怠け者だ」「自己中心的だ」「無能だ」「ずるい」「信頼できない」などのレッテルを、平気で相手に貼り付けたくなります。

つまり、ここに人生脚本が隠れているんだ。問題解決したいのではなく、相手を傷つけて、自分が見捨てられるのが真の目的か

一見、相手と係わっているように見えますが、自分の世界に入り込んで、世界と自分を遮断しているのです。

変化を恐れるからだ。

「だって、本当に私は、あるいは彼は、そうなのだから仕方ばいでしょう」と思うかもしれません。しかし、争いのシナリオを避けたいのであれば、自分にも誰かにもレッテルを貼る「ラベリング」は避けなければなりません。ラベリングは仮想空間の入口なのです。別世界に入り込むとコーピングにはならないので注意しましょう。

ラベリングとは、ある人物や物事に対して、特定の出来事を判断基準とし、「この人は~だ」「あの会社は~だ」など、評価を固定する行為のことです。

よくある傾向は、漠然とした不平不満から始めてしまうことです。

なるほど、これが秘密の扉の入口だな。

  • 夫は私に攻撃的だ
  • 母は私を子ども扱いする
  • 私の秘書は慎重に仕事をするべきだが雑すぎる。

最初の質問「何が起こっているのか」に対する答えは、的を絞った具体的なものになっている必要があります。

  • あなたを不愉快にさせている行動とは具体的には何なのか。
  • 何をどのようにして欲しいのか。
  • あなたは彼らが行なう何が嫌なのか。

その答えはつぎのようになるではないでしょうか。

  • 夫は私に怒鳴る
  • 母は私に相談しないで予定を入れる。
  • 私の秘書はすべての仕事をきちんと見直さない。

ここまで答えの的が絞れてくると、それは相手との具体的な交渉材料となります。
伝えるポイントを具体的にすることで、相手に対して独断的になったり一方的に批判的なレッテルを貼ったりすること(つまり相手より自分を優位に置く、あるいは相手が自分だった場合には自己嫌悪になる)を避けることができます。
少しばかり問題から距離をとって、「何が起こっているのか」を具体的にしていくことで、感情に押し流されるままストレスになってしまうパターンから脱することができます。

質問その② それについて自分はどう感じているのか?

この質問に答えるのはむずかしいと感じる方が多いのではないでしょうか。
誰しも自分の感情を、具体的に言葉にするのは容易ではないからです。
さまざまな理由から、私たちは自分が「感じること」よりも「考えること」に信頼する傾向があります。曖昧さよりロジックを尊ぶ癖があるからです。

なので「それについて自分はどう感じているのか?」に対する答えは、自分の感情を表現するものではなく、相手への苦情をさらに説明するものになってしまうのです。その場合、自分が相手より力が劣ると感じる場合、この質問の答えは、奇妙なことに相手への言い訳にように思えるはずです。たとえばこんな感じです。

  • 彼は私に対して怒鳴っているわけじゃない。ただちょっと神経が高ぶっているだけだ。
  • 母は私に親切にしようとしているだけだ。善意の親ごころにすぎない。

これでは、何かを伝えようとする自分の決意そのものを弱めてしまいます。
一方、自分が相手より力が優っていると感じていると、相手に対するコメントはあなたの道徳的優位性を表わすことになります。

  • 夫は自分の怒りをコントロールできるようにならなければならない。
  • 母はもう自分を一人前の大人として扱ってもいいはずだ。
  • 彼女はもっと丁寧な仕事をすべきだ。

自分が優っている思うと、このように、「〜してもいいはずだ」「〜すべきだ」というような、命令の延長に近い、決めつけたアプローチしてしまうと、当然ながら相手には攻撃として受けとめられてます。

それを防止するには、自分の「考えること」ではなく、「感じていること」つまり<感情>を自身が理解することが重要になります。
そこで重要な問題が浮かび上がります。ロジックより感情で伝えるには、「感じていること」を適切に言語化する必要が生じることです。感じていることを自分の思い込みや考えにとらわれず、先入観なしに話し合うには、適切に言語化できないと相手に伝えられなくなります。

これが「感じること」よりも「考えること」を信頼する癖の原因です。ところが「考える」ことによる弊害も大きいのが現実なのです。この問題を克服するにはトレーニングが必要です。

トレーニングによって自分の中にある「内側の力」は、「感じていること」を特定し、それを言葉で表現することで感情のコミュニケーション能力を発達させていくことができます。つまりアサーション・コミュニケーションです。

それにしても、感情をただ伝えることが、なぜ、これほどまでにむずかしいのは、いったいなぜなんだ?

それは、私たちが今までの人生を通して身につけた感情に対する態度に原因があります。

感情の重要さを知る

ものの見方を根本的に変換する準備をしてみましょう。

私たちの多くは、感情についての適切な教育を受けていないために、感情に関する間違った神話を受け入れています。

感情にまつわる数々の神話

  • 感情は、ポジティブかネガティブであるかのどちらかだ。ポジティブな感情のみが、社会的に受け入れられる。
  • 私たちの感情は、他の人間によって引き起こされたもので、それがネガティブな感情だとしたら、私たちが苦しむのは彼らのせいだ。

  • 感情というものは、子どもじみていて、面倒で、コントロール不能なものである。

  • 二十歳以上になっても激しく泣き出すような「大人気ない」ことがあれば、病院かカウンセラーのところに連れて行くべきだ。

  • ものの見方を根本的に変換する準備をしてみましょう。私たちの多くは、感情についての適切な教育を受けていないために、感情に関する間違った神話を受け入

  • 葬式のような場では感情を表に出しても許される。しかしあまりにも長い間、あまりにも騒がしく涙に暮れるとすれば別問題だ。

  • 幸いにも今は、鎮痛剤、ホルモン剤、抗うつ剤などの、否定的な感情を和らげるさまざまな薬が手に入る。だから自分でコントロールすべきで、感情が日常生活の妨げになることへの言い訳にしてはいけない。

  • 攻撃と怒りは同じものであり、私たちが必要なときはそれを許せるが、そうでないときは絶対許容できない。いずれにせよ、女性がこのような感情を表に出すべきではない。

  • もし私たちが何らかの感情を持っているとしたら、それは家族の中だけにとどめておくべきであり、職場の同僚やあまり親しくない人たちには感情を見せるべきではない。

  • 感情は私たちを待ち伏せして、最も予期していないときに現われ、手に負えなくなることがあるので、危険なものである。よって、感情についてはまったく話題にしないほうが望ましい。会話は合理的で安全なものにとどめておくべきだ。

  • カウンセラーや精神科医以外の前では、感情に流されて泣き叫んだり騒いだりして自分を愚かに見せるべきではない。そんなことをすれば、まわりは皆、混乱し困惑するだけだ。

これらの神話を信じて生きてきた私たちにとって、二番目の質問「それについて自分はどう感じているのか」という聞いに答えにくいと感じるのも無理はありません。
最初はむずかしいかもしれません。そのためにまず、感情を不安、怒り、悲しみの三つのカテゴリーに分けて考えることが役に立つと思います。

Think different/シンク・ディファレント

アサーション・トレーニング

ここで、今までとは違う視点から感情を見てみましょう。
感情を理性より価値の低いものとして見るのではなく、「良い感情・悪い感情」という善悪の判断でとらえるのでもなく、すべての感情は、海に向かって流れる川のようなもので、泡のように浮かんでは消える、自然で人間的なものであって、私たちに大切なことを教えてくれるものだという視点で見直してみるのです。マインドフルネスでいう評価も判断もせずに、いまここにある「感情」に集中します。

  • 感情は、自分の個人的成長を知るうえでも、また対人関係においても貴重な情報源です。
  • 私たちが感情を恐れ、社会生活を正常に送るうえでの障害と見なしてしまうのは、感情を潜在的エネルギーとして見ることを学んでこなかった。
  • 感情は、心身ともに起こる事象である。つまり、心とからだの両方が同時に経験するものであり、感情を解き放つことは自然でありかつ健康的なことです。
  • 私たちは、大人になるにつれて短時間で感情をコントロールすること(たとえば周りの状況に配慮して腹が立っても我慢するということ)を、学ばなければならない。しかしこれは、すべての感情をタブー視し、長期にわたって押さえつけること(たとえば私生活においてすら、悲しみゃ怒りを表わさないようにすること)とは、まったく別のことです。

感情は、当たり前の人間としての経験を表わしているものですが、さまざまな状況でのコミュニケーションにおいては、感情があるがゆえに、むずかしさを感じてしまいます。

またどんなことが起こっても理性的にふるまえば何とかなると信じてはいても、いったん感情が掻き立てられるやいなや、どう対処してよいのかわからなくなる複雑さを孕んでいます。そして私たちは厄介さを避けようとして、率直に感情と取り組むのではなく、感情を隠そうとしたり、感情を感じていない振りをしたりします。そうすることによって、自分自身の弱さを相手に悟られないようにしようとします。

自分が何を感じているかを言葉で表現することこそが、私たちの会話を人間的なものにします。

そうでなければ、いくら「正しい」言葉を使ったとしても、会話は不誠実で表面的なものになってしまいます。私たちは感情を極力表現しないように教わってきたため、自分の感情に向き合って言葉にしようとする試みは、あたかも未知の世界への旅に出るようなものだと考えてしまうのです。

二番目の質問「それについて自分はどう感じているのか」という問いに明確に答えるのは、最初はむずかしいかもしれません。そのためにまず、感情を不安、怒り、悲しみの三つのカテゴリーに分けて考えることが役に立つと思います。

3つの感情

3つの感情

これからこの三つのカテゴリーを順に見ていき、あなたが何を感じているのか、そしてその感情はどこから来ているのかについて、おおよその感覚をつかむことにしましょう。

そうするのは感情を分析することが目的ではなく、自分が感じていること(感情)は伺なのかを自分で理解することが目的です。

自分が相手のある特定の態度や行動にどんなふうに反応するのか、その傾向を知ることによって、相手を一方的に責めたり非難したりすることなく、自分の感情を相手に伝えることが容易になるのです。

不安

不安は、大きな恐怖感から軽度の不安定感まで、広い範囲の感情の核となるものです。ここには懸念、恐れ、パニック、緊張感、あるいは困惑といった感情が含まれます。

暴力的な状況を見て恐怖したり、がん検診の結果を待っていたりという大きな出来事から、ふと感じる孤独感やおびえなどの、ささいなことまで広い範囲にわたって見られる感情です。

この感情は、自分の子どもの安全を心配するあまり落ち着きをなくしたり、多数の聴衆の前で話したり、あるいは誰かの反発を買うことを恐れたり、ということでも起こります。誰かに良い印象を与えたかどうか心配になったり、愛している人の健康を心配したり、あるいはよく知らない環境に入っていくことにとまどいを覚えたりというのは、すべてこのカテゴリーに含まれる感情です。

これらの感情は、不確実性、不安定さ、安全ではないこと、無防備であること、あるいは自分に起こっていることがコントロールできないことなどの経験から来ています。

私たちは、安全な自宅や、テーマパークのような守られた空間でスリルを求めてホラー映画やイベントに関わることもありますが、それは実際にその恐怖を経験することとはまったく違うものです。

ホラー映画やテーママークなどの恐怖イベントに参加することの魅力には、周囲から非難されることなく想像上の恐怖を感じたりおおg叫んだりできることがあります。実際の現場で恐怖を感じると、私たちは自分をコントロールする力を失い、あまりの恐怖感のため叫ぶことさえできないでしょう。

恐怖や恐れを感じるときに、私たちの心だけでなく肉体もまた強烈な経験をします。そのことは、感情はあくまで心の内部でだけ起きるという見方が真実ではないことを教えてくれます。激しい鼓動、吐き気、下痢、発汗、動惇、寒気、胃の痛みや首や肩の緊張などは、感情が肉体的にもシグナルとなって表われているのです。

怒り

これは、激怒、フラストレーション、恨みなどを含む広い範囲の感情です。この感情もまた、その程度や重要性を問わず、人生の出来事に対する反応です。誰かに保護者づらをされる。

公衆の面前で批判される、情報を共有しているはずの仲間から排除されていることに気づく、台所が散らかっている、洗濯機が壊れた、お気に入りの番組を見ているときに邪魔された、といったようなさまざまな出来事です。このような感情は、自分が無視されたとき、あるいは誰かが差別や暴力、偽善的行為の犠牲にさらされているのを目撃したときにも起こります。嘘をつかれたときや自分の要望に対して何の返答もないときにも、このような怒りの感情が湧いてくるかもしれません。

私たちが選択肢を持たないとき、また何らかのかたちで自分の領域が侵されたと感じたときにも、このような感情が起こります。たとえば、空き巣に入られたとき、自分宛の手紙が誰かに読まれたとき、自分が言ったことがその文脈を離れて解釈されたとき、または信頼が裏切られたときなどです。

このような場合でも、私たちの身体は怒りの感情が湧き上がっているというサインを発します。体温の上昇、発汗、頭痛、心拍数の上昇、首、肩、あごの筋肉の緊張、あるいは落ち着きのなさなどとして現われてきます。このような感情が勢いを増すと、しばしば過剰なエネルギーがあふれ出し、誰かを殴ってやりたい、怒鳴りたい、逆上して何もかも破壊したいという欲求が出てくることになります。

悲しみ

悲しみ

これは、心の痛み、喪失感、あるいは孤独感といった範囲の感情です。この感情は、拒絶されたり、いわれのない批判を受けたり、グループから、のけものにされたり、愛されなかったり、という経験への反応として起こります。

悲しみの感情を呼び起こすのは、私たちから愛や親密さを奪う出来事、別離の悲しみ、人間関係の崩壊、あるいは愛している人の死といった人生における大きな出来事かもしれません。休暇が終わったとか、誰かにさようならを言わなければならないといった小さな出来事かもしれません。誰かが自分のもとを去っていくとき、自分の存在を無視されたり軽視されたりしたときにも、悲しみの感情は湧き上がってきます。

このような感情を持つとき、私たちの身体はまた別のサインを出します。けだるさ、寒気、空虚な感じ、食欲不振、意欲の喪失、胃や喉や目の周りが緊張することなどです。

支配的な感情を特定する

この三つのカテゴリーの感情についての、あなたは自分自身の体験と重ね合わせることができたでしょうか。実際にはいろいろな感情が入り混じった状態を経験することが多いのですが、コミュニケーションに関しては、そのことは大きな意味を持ちません。誰かの批判に対して傷つくと同時に怒りを覚えることもあるだろうし、脅しに対して恐れと悲しみを感じることもあるでしょう。

自分が感じている感情をひとつの感情だけに特定する必要はないのですが、二番目の質問「それについて自分はどう感じているのか」に答えようとするうえでは、「支配的な感情」を特定することが役に立ちます。それは、あなたが会話を始めるときの出発点になるからです。

感情のレベル

感情のレベルとは、あなたが何かを感じているその水準を表わします。あ
なたは少し気に病んでいる状態にあるのか、少しイライラしているのか、怒りに燃えているのか、それとも爆発寸前なのか。自分の感情を相手に適切に伝えるためには、感情をコントロールする訓練が必要になります。感情はホルモンと関係しているので身体に変化が生じますが感情を認知しないと身体の変化にも気づくことができません。

したがって、まず、あなたの感情を認知して、意識を高めることであり、高くなり過ぎた感情のレベルが適切に行動することの障害となっているなら、まずはそのことに気づく必要があります。

最初はあまり自意識過剰にならず、身体が発している感情のサインをキャッチすることから始めてみましょう。

あなたがやらなければならないのは、すでに身体で起こっていること。それは今まで見過ごしてきた、ささいな肉体的な兆候を認識し、そして感情のレベルがどの程度のものなのかを確認することです。

感情が動き始めるのは低いレベルからであり、その時点ではさまざまな感情を持つてはいても、日常生活や社会的責任に対処することは完全に可能です。あなたはちょっとばかりの悲しみやしこりのようなイライラをあちらこちらで感じてはいても、それらの感情が生活にはたいした影響を与えないと思うでしょう。

しかし、何日か経ち、それが何カ月から、さらに何年かが経過していくと、感情のレベルは上昇していきます。眠れなくなる、食欲がなくなる、強迫観念にかられたように食べ始める、普段よりお酒の量が増えている、などのことに気づき始めるのです。誰かに八つ当たりしたり、涙もろくなったりするかもしれません。大きなストレスにさらされたりプレッシャーを感じたりするときに、このような兆候が出るときがあります。精神的・身体的な緊張を解き放とうとして感情を爆発させてしまったり、病気になったり、うつになることもあります。

だからこそ自分の感情のレベルが上昇していることに気づくことが大切なのです。感情を自然に解放することによって、この過程をより穏やかにコントロールすることができます。

恐れは身震いをすることで解放することができ、怒りは声を発すること(怒鳴る、叫ぶ、ため息をつくなど)、あるいは体を動かすこと(クッションをたたく、走る、家事を精力的にこなす、ジムで汗を流すなど)によって解き放つことができます。
悲しみゃ悲嘆は涙を流すことで解放できます。

私たちはもともと、自然に感情を発散させる力を持って生まれてきました。しかし、大人になる過程で感情に関する間違った情報のために、感情を安全な場で適切に解き放つことができなくなってしまったのです。

自分の感情を長期間押し殺していると、コントロールしたはずなのに、むしろ自分がその感情に支配されてしまうことになります。そうなると感情は私たちの生活のありとあらゆる側面に波及していきます。目的にそくしていえば、あなたが何か重要なことを話そうとするときに、感情のレベルの目盛りが上限に近ければ近いほど、冷静な状態で話すのは困難になることを覚えておいて欲しいのです。

したがって、コミュニケーンにおける大切な原則は感情のレベルが高いときには、話さないように務めることです。

そういうとき、私たちは非常に無防備な状態にあるので、爆発するか、相手に攻撃を加えるか、または自制心を失いやすくなっています。
もしあなたがイライラしていたり、涙に暮れていたり、あるいは恐怖やショック状態にあるなら、落ち着くまで少し待つようにしてください。自分の感情にある程度、距離をおき、十分落ち着くまで、話すのは思いとどまるのが賢明です。

それには一時間かかるかもしれないし、あるいはもっと長くかかるかもしれません。いったん冷静になって状況や感情そのものから距離をとることができるようになると、「別にもう話さなくてもいい」「たいしたことではないのだから」などと、その問題に取り組む必要がもともとなかったかのように自分を納得させることもあります。しかし、それは基本的に間違いです。ずっと言いたかったことを言うために感情をテコにして自分を鼓舞しようとする一方で、冷静になった途端、自分が誰かに話そうとした苦痛がまるでなかったかのように軽視するのは、問題の本質的な解決にはなりません。

「前に踏み出す力」がなかなか出なくて、自己否定してしまうときも同じです。考え抜く力は、自分が誰かに話そうとした苦痛がまるでなかったかのように軽視することではありません。落ち着くのを待って苦痛を話すことで共有するのです。それが他の友達が苦しんでいる時も同じで「いつでも聞くので辛くなったら話してください」と促しておくのです。特に男性は苦手なので抑え込みがちですが、我慢がメリットになることはありません。大切なのは感情の渦中にいるときではなく、落ち着いてから話すという不文律を遵守することです。実際にはいろいろな感情が入り混じった状態を経験することが多いのですが、コミュニケーションに関しては、そのことは大きな意味を持ちません。誰かの批判に対して傷つくと同時に怒りを覚えることもあるだろうし、脅しに対して恐れと悲しみを感じることもあるでしょう。自分が感じている感情をひとつの感情だけに特定する必要ははありませんが、二番目の質問「それについて自分はどう感じているのか」に答えようとするうえでは、「支配的な感情」を特定することが役に立ちます。

しかし当面は、自分自身の感情というものに興味を持ち、批判的にならずにそれを認めることだけでも十分です。そうすれば、「それについて自分はどう感じているのか」という二番目の質問への誠実な答えを見つけることが容易になってくるはずです。

押し付けがましい意見を話すのではなく、しっかり聞いてあげることが大事なんだ。俺はほとんど話さないだろう。
黙って聞いてあげることが大事なんだ。デス・ウィッシュ!

質問その③ どのような具体的変化を望むのか?

アクティブ

三つ目の最後の質問は、さらに答えるのがむずかしいかもしれません。
先の二つの質問に答えることができたとしても、この質問がきびしい最終テストとなります。不足する力で不足する力を身につけようとするのですから、簡単ではないはずです。
これは相手への単なる不平不満を、建設的な意見や要望に変換することです。

但し、ここでは、タイトルにあるように『「考え抜く力」を「前に踏み出す力」にしたい』が答えになります。

他人あるいは自分に対する批判をどのように建設的なものにできるのかと問われれば、これこそがその答えです。

自分が相手あるいは自分に対してどのような具体的変化を望んでいるのかを提案するのです。命令や小言、脅迫や漠然としたヒントではなく、明確な代替案として相手(自分)に提示するのです。

あなたが希望している結果は出ないかもしれません。しかし望ましい結果が出るかどうかは、相手(あるいは自分)にはっきり伝えないかぎり分かりようがないのです。
それが『「考え抜く力」を「前に踏み出す力」にしたい』です。

この質問に対する答えは複雑である必要はありません。
ときには「やめて欲しい」というだけで十分です。
相手があなたが不快だと感じる言葉を使っているとき、または話している相手の手があなたの腕に触れてくるとき、「やめて欲しい」というのは明確で要領を得た言葉です。つまり、この質問に対する答えの多くは単万直入なものです。

  • 私に怒鳴るのはやめて欲しい。
  • 何か計画する前に私に相談してくれるとうれしい。
  • このオフィスから出る書類はすべてチェックしてもらいたい。
  • 前に踏み出すために、踏み出せない要因を徹底的に考え抜いて対策しょう

いいかい。黙って聞いてあげるんだよ。

なぜ自分が欲しているものを知る必要があるのか

なぜ自分が欲しているものを知る必要があるのか

どのような具体的変化を望むのか」という質問がなぜ必要なのかといえば、コミュニケーションというものが、見境いのない攻撃ではなく、意見交換の場であることを確認するためです。

ダメージを与えるための攻撃に訴えることなく誰かと向き合うのであれば、立場や身分といった外部要因だけに焦点を当てることをやめなければなりません。

部分ではなくもっと全体から、対等な視点で相手を見る必要があります。
あなたは、あなたの隣にいる誰かとまったく同じように意見を表明する権利を持っており、あなたが具体的な提案をするのであれば、争いではなく相互の意見交換が必要なのです。

「あなたはいつもそうなんだから。もういいかげんやめてよ。うんざりだわ。あなたがそんなふうにふるまう権利はないわ。だって、私の要求や意見のほうがもっと重要だからよ!」

これは、おなじみの対立パターンに見られる特徴を大雑把に要約しています。
ここで三番目の質問に答えるうえでのの考え方を示してみましょう。

いま述べた例でいうと、会話をつぎのように始めてみましょう。

「あなたの行動のこの部分に私が問題を感じていることを、私はあなたに知ってもらいたいの。私はそれについて◯◯○と感じているし、具体的にはあなたが◯◯○をしてくれるとうれしいのだけど。そのことを理解してくれるかな?それは可能だろうか? できたら、あなたにも支えてもらって、踏み出す勇気をリストアップして、解決できないかしら?」

この三番目の質問に対する答えが明確でなければならないと知って、ほとんどの人が驚きます。それはあまりにも些細なことだし、わざわざ言う必要はないのでは?という具合に。

自分の内側に秘めた思いや要求を、何も言わなくてもみんなが察してわかってくれればいいのにと思うこともあるでしょう。

しかし現実にはなかなかそうはいきません。自分の望む変化をはっきり言葉で伝えることは、相手が自分のことをきちんと理解するうえでの大きな手助けになります。

あなたがどんなかたちにせよ、相手に対して批判的であるとき、あなたにできる最も建設的な態度は、あなたが相手に具体的にして欲しいこと、そしてそれがどのように現在の状況を改善することになるかを、アサーションなコミュニケーションで、相手にはっきりと伝えることなのです。それは自分に対しても同じです。

まとめ

納得はすべてに優先します!

アサーションであることは、他者ばかりではなく、自分とのコミュニケーションにおいても重要な働きをします。思うようにいかない場合、イライラが募り不安・怒り・悲しみといった感情に巻き込まれ、気持ちの整理が追いつかなくなりがちで、ストレッサーの餌食になりがちです。納得はすべてに優先する。いかなる行動も納得あって本領を発揮しっます。
感情が乱れていると、自分の願望を認知していないので、認知できず、感情的になるばかりでストレッサーを増加させます。ストレッサーに比例してストレス反応が増え、「前に踏み出す力」や「考え抜く力」も「社会人基礎力」も停滞します。これを避けるには、ストレッサーになっている感情を特定して、ストレッサーを丁寧に潰して戦略的にコーピングするようにします。ストレッサーを楽しむアクティブさを身につけましょう

ストレッサー、コーピング、など、なぜわざわざ、わかりにくい言葉が使われているのか。理解を深めて、ストレッサーを楽しむ習慣を身につけましょう。

いいかい、ほんとにアドバイス求められら時以外、いいかい。黙って聞いてあげるんだよ。デス・ウィッシュ!

 ゲンキポリタン大学

般若のゴエス

「ゲンキポリタン大学」では、「社会人基礎力」をコアにライフシフトをバックアップするさまざまな講座を、さまざまな方を対象に、さまざまな形態で開催しています。ご都合に合わせた形態をお選びください。

「社会人基礎力」(全6回)

GTD®勉強会

コラム

関連サイト

ゲンキポリタン大学は(社)いきいきゴエス協会の運営です。

友だち追加

友だち追加

マインドフルネス 不器用女子の好き避けライフ ライフスキル2.0
アサーティブ ライフプラン&ライフシフト 整理収納(整理・整頓・清掃・清潔・習慣のゴエス)

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました