仏壇の掃除を毎朝一番のルーティンにするとは、ご先祖全員と真理と道理で今日も頑張りますと時空を超えて約束することです。愉快な家族だからできることです。
私たちは、突然誕生したわけではなく、みんな太古の昔から続いている『いのち』を受け継いでいます。真理と道理に裏付けされた『もともとのいのち』を大切にする日々の象徴は、「いのち」を守るための『家事』にあり、「家事」は人間形成の型と捉えることができるのではないでしょうか。
ブッダはこの世を去る時に、「不放逸にして修行を完成させなさい」という言葉を残して去りました。「不放逸(ふほういつ)」とは、不死という意味です。「不放逸(アッパマーダ)」はすべての道徳の基礎となります。真理と道理の結晶である道徳という言葉は、宗教的な意味ではありません。
生命はいつの瞬間でも幸せになりたいと思い生きています。私たち現代人も、野生の動物たちや昆虫も皆同じです。平和で満たされて生きていたい。敵や闘いがなく、食べ物が豊富で、安全な場所で生きていたい。これは生命の根源的な希望なのです。生命ならば必ず持っている希望が叶えられる道、これを道徳と言います。一般的に現代人が目にするものは道徳から遠く、しかしほとんどの人は根源的な悩みを抱えている矛盾を口にすらできない気がします。
仏法では、自己のほしいままに過ごすことを「放逸(ほういつ)」と言い表し、避けるべきこととしています。そして、その反対を「不放逸」と言い、仏道を歩む上で大切なことと教えています。
つまり「不放逸にして修行を完成させなさい」とは、諸行無常の世にあって、逆風を突き進むが 如く「怠けることなく、善の道をひたすらに精進してシステム学習でいう”自己マスタリー”を極めなさい」という意味なのです。
こんにちは。愛が溢れる200年婚のために、3倍とんがる!モチベーションで歩き遍路であるべきようわを愉しむFP.アセットドクター、ゲンキポリタンの三宝院沙門です。
暮らしを整えるゴエス(①整理②整頓③清掃④清潔⑤習慣)は清掃を頂点にして、家族のアイデンティティーにします。その意味、理由も説明します。
四門出遊
『仏本行集経』という経は、四門出遊の場面を描写する際、当時王子だったゴータマ・シッダールタ(出家する前のお釈迦様の名前)が、他者の老病死を見て恐懼(きょうく)し、城に戻って後、自己のほしいままに過ごしたとエピソードに記しています。
恵まれた生活に不信を感じる王子シッダルタ(お釈迦様)が城の外へと散策に出た時のこと、東の門から出ると醜い老人、別の日に南の門から出ると今度は病人、また西の門から出ると死人を運ぶ葬列に、それぞれ出会って強いショックを受けます。
それは、老病死という事実を、娯楽によって、ごまかし、覆い隠し、忘れようとした姿が描かれているということです。しかし、ゴータマは、葛藤の末、王子として過ごすことに満足できず、すべてを投げ捨てて出家したしたのです。それほどまでに、ゴータマにとって、老病死は、真理と道理を総動員しても。叶わぬ重い課題であったと言えます。ついに不放逸によって正覚を得られたお釈迦様は、弟子のひとりである五比丘(こびく)に初めて教えを説く際、二つの極端(二辺)に近寄ってはならない、と中道を説かれた。その極端の一つが苦行であり、もう一方が、先に示したような、放逸(ほしいままに過ごすこと)と語られています。放逸(パマーダ)な人は、理性が無く、感情の奴隷になって、自分で生きるのではなく感情に生かされている生命です。
思考・感情に捉われない生き方としての中道
「貪・瞋・痴・慢・疑・悪見」が六煩悩と言われています。 はじめの貪瞋癡は三毒とも言って、煩悩の根本です。
これらの感情のを捨てた暮らし方が「愉快な生き方」であり、感情のままに生きない「面倒くさい生き方」こそが本来のすがたです。面倒くさいことをあえて選択することで、楽しみは倍増します。
それを具体的に表現したのが「掃除」で、部屋だけでなく心もきれいにする姿です。つまり掃除とは過去に学んできたこと、信じてきたことを、全て手離した先にこそ、輝く未来を体験する準備「自灯明・法灯明」なのです。
曹洞宗 永平寺を開いた道元禅師は吾我(ごが)を離れることを強調するのは、吾我にしがみついている限り、変容はできないと説いたのです。道元禅師は自我のことを”吾我(ごが)”と呼びました、学童はすべからく”吾我(ごが)”を離れるべし。として”吾我”を離れることが大切と説かれました、
その心は“諸行無常”という、万事が変化していくというこの世の道理を、我が事として受け止めてくことが、菩提心を発す上で欠かせないからです。ルールは大切ですが、ルールに捉われると間違いの元になると危惧されたのです。ルールは言うまでもなく大切であるが、変容を受け入れられないのは壁のように立ちはだかることを危惧されたのです。お釈迦様が最初に二つの極端(二辺)に近寄ってはならない、と中道を説かれたのと同じことです。
自己が中道の妨げにならないように自分を戒める言葉が
「仏に逢うては仏を殺せ 父母に逢うては父母を殺せ」です。
その真の意味は「過去に学んできたこと、信じてきたことを、全て手離した先にこそ、本当の未来がある」ということです。
「他人の作ったものを崇拝している限り、自由にはなれないし、1人前にはなれない」ということです。たとえ、尊敬する相手の言うことであっても、きちんと距離をとりましょうということです。SNS、人工知能の時代には特に気をつけたいですね。どんなに学んでも自分の頭で考えた、つまり考えを飛び越えた般若の智慧から生まれた清掃、清潔を心がけたいものです。
ジェットコースター(ローラーコスター)の走行に似て、変わり続ける世界にいて、変わらずにいようと自分の内側だけは頑なに影響を避けようとするのは至難の技で身構えているようなものなのです。
理性と勇気を積み上げた道徳は、必ず不放逸からはじまります。不放逸には気づきがあり、幼いうちから不放逸の実践者に、解脱に達するまで人格向上することができます。自己マスタリーの極みです。究極の幸福に達したければ、気づきを実践するしかありません。「不放逸=サティ」です。今の瞬間に己がやるべきことをやる、それだけです。つまり①整理②整頓③清掃④清潔⑤習慣にあるのは、「いま、ここ、この瞬間」です。200年婚も然りで、「いま、ここ、この瞬間」の積み重ねしかありません。
『家事』のこころ
家事といっても範囲は様々。愉快に生きるためには、太古の昔から脈脈と受け継いてできた生きている本来の自己が大切です。
思考や感情が作った自己と同じではありません。自我の本来の関係を認識します。小さな自己よりも、もともとのいのちに軸足を置いていることを大切にします。このために道元禅師は本来の自己を”吾我(ごが)”と呼ばれました。掃除に使う自己はもちろん”吾我”です。掃除する大元は仏壇仏具にはじまりトレイ、風呂、台所になります。掃除に使う自己はもちろん”吾我”ですが、それは思考や感情を離れる自己でもあります。
真理と道理の来た道である大切なお仏壇は、いつも綺麗にしていたいものです。そこで、日頃のお手入れから、定期的な大掃除まで、お掃除の内容を説明していきます。自分でお掃除する方法には、日々の掃除と全ての仏具を取り出して行う掃除の2種類があります。
毎朝、日々の掃除をすることで、仏具の不具合に気がつきが早かったり、劣化防止にもなります。
掃除を毎日の習慣にするだけでなく、使いやすい道具を準備し、いつでも取り出せるようお仏壇の引き出しに入れておくことをお勧めします。
一般的に木で作られているお仏壇に、湿気は天敵です。
お掃除後の湿気によりカビが発生し、お仏壇が傷んでしまう原因になります。できるだけ、お天気の良い日を選んで、お掃除することをお勧めします。
唐木仏壇と金仏壇あり、材質の違いがあるので気をつけましょう。しかもお天気の良し悪しがありますが、日常的な習慣としてのお掃除ですが、しかし、予定していた日しか日程を取れないなど、ご都合もあるかと思います。
もし、雨の日や湿度の高い日にお掃除をすることになった場合、お掃除の後、乾拭きを丁寧に行い、扇風機やエアコンをかけ、湿気を極力取るようにしましょう。カビの発生を減少することができます。
▼手順は以下のように進めます。
①ご本尊様とご先祖様に、これから掃除をすることを伝えます
②埃を払います
③汚れを取る
④ご本尊様とご先祖様に、掃除が終わったことを伝えます
▼これから掃除をするので、少し騒がしくなることを伝えます。
▼使用するハタキは、専用のハタキを使うことをお勧めします。
一般的なハタキは仏壇を傷つける可能性があります。
▼サッサなどの化学繊維雑巾で汚れを取ります。汚れを無理して取ることはせず、力を入れずに優しく拭くことをお勧めします。
▼金仏壇に関しては、金箔や金粉が施されている箇所は、絶対に触れないようにすることです。
▼お掃除が終わったことをお伝えして、お花を新しくするもしくは お水を入れ替え、お線香をあげましょう。
(役割分担を予め決めておいてそれぞれの担当者が手際よく実施します)
▼お掃除が終わったことを伝えるとは、今日も真理と道理を生きることをご先祖様全員にお伝えして、「見ていてくださいね」と家族全員が約束をする瞬間です。
お仏壇の前で合掌礼拝することによって、仏さまの心と解けあうこと。それを朝夕、繰り返すことによって、知らず知らずのうちに日々の生活の中に仏さまの心が染み込んでいき、本当の自由、幸福な生活に導かれていくことになるのです。私と仏さまが一つになる、これが此岸が彼岸になること。彼岸とは浄土のことです。お仏壇は仏さまの浄土です。私たちの人生を、より向上させて浄土のようにの理想に向う姿が、日々の暮らしであることを体験しましょう。
拝むというのは、仏さまに対して心を向けるということです。お仏壇を修復することを「お洗濯」と言いますが、八万四千と言われる煩悩に汚れた私たちの心を、洗濯するところがお仏壇です。服を着ていると、汚れます。下着には、垢がつきます。洗濯をして、また着ます。洗濯物は、貯め込めば、洗うにも乾かすにも大変です。すぐに洗えば取れる汚れも、そのままにしておくと、こびりついてしまいます。
それと同じように、日々生きていると心の中にも、いろいろな垢がつきます。垢とは、執着と未練です。毎日毎日、洗っても洗っても、またしてもまたしても汚れやすいのが、この心です。その心に積もる塵や垢は、どこで洗われますか?お寺が私たちの心をきれいに洗濯してくださるのです。
念仏、お題目、真言の数々は洗剤、灰汁とシャボンのようなものです。そしてお寺にお参りすると、感謝と機悔、忍耐という水で洗い清めているのです。そうして、心をきれいにして帰っていく。だから、お寺へ参ると気持ち良いのです。そうすると光明は輝きます。光明とは慈悲です。仏壇は仏さまの浄土を顕わしたものです。慈悲は誤解の多い言葉です。菩薩 (ぼさつ )が人々をあわれみ、楽しみを与え、苦しみを取り除くこと。 というのが一般的な解釈ですが、さとりを促して止まない働きが慈悲です。つまり不放逸によって菩提心が育つのに通じています。お洗濯をして拝むからこそ、仏さまから離れることなく、遠ざかることのないようにできる心が、不放逸を働かせて菩提心が育ちます。なによりも、仏さまを忘れない心がけこそが大切なのです。
日々の掃除と全ての仏具を取り出して行う手順
日々の掃除は、目立つ汚れや埃を払う程度で大丈夫ですので、ここで大切なことは、唐木仏壇と金仏壇に分けて、詳細を説明しますので、お掃除する時期とタイミングに合わせて掃除をしましょう。
仏壇をお掃除するタイミング
自分で全ての仏具を取り出して、本格的に掃除をするときの流れについて、ご説明します。掃除をする際のポイントについてもご紹介していますので、併せて参考にしてください。数日かけて掃除をしても問題ありませんので、無理の無いペースで進めましょう。
①ご本尊様とご先祖様に、これから掃除をすることを伝えます
②仏具を全て取り出します
③埃を取ります
④上置きの汚れを落とし、乾拭き、つや出し(磨き)をします
⑤下置きの汚れを落とし、乾拭き、つや出し(磨き)をします
⑥仏具を乾拭きします
⑦仏具を全て元に戻します
⑧ご本尊様とご先祖様に、掃除が終わったことを伝えます
唐木仏壇の掃除の手順
▼取り出す前に、写真を撮っておくと、戻す時に助かります。また、新聞紙を準備していると、取り出した仏具を置く時に便利です。
▼細部の掃除前の準備として、お仏壇の外側を中心に簡単に埃を軽く取ります。
▼上置き部分の汚れを落とした後、乾拭きをし、専用の仏壇クリームでつや出しをします。欄間(らんま)や高欄(こうらん)など、彫刻が施されている繊細な箇所は、注意が必要です。
仏壇掃除専用の筆を使い、無理して汚れや埃を取らないようにしましょう。
▼濡れた雑巾は、湿気の原因となりますので使用を控えましょう。
▼上置きと同じですが、下置きは引き出しがあります。引き出しの内側は乾拭きのみを行いましょう。
▼仏具を傷つけないよう、クロス等、傷が付きにくい拭き布を選びましょう。
▼燭台や経机に蝋(ろう)が落ちている時には、蝋取りスプレーを使いましょう。
▼事前に撮った写真を元に、仏具を戻しましょう。
▼お掃除が終わったことを伝えましょう。
その際、お花を新しくし、お線香をあげましょう。
(役割分担を予め決めておいてそれぞれの担当者が手際よく実施します)
▼お掃除が終わったことを伝えるとは、今日も真理と道理を生きることをご先祖様全員にお伝えして、「見ていてくださいね」と家族全員が約束をする瞬間です。
金仏壇の掃除の手順
金仏壇の場合、金箔が剥がれたり、漆の部分に吹き跡が残ったりますので、掃除をする時には細心の注意が必要です。
手順は、唐木仏壇と変わりませんが、金箔や金粉が施されている箇所には、決して触れないよう気をつける必要がありますので、掃除ができる箇所がとても少ないということを覚えて置くと良いでしょう。
また、吊灯篭(つりどうろう)や盛菊輪灯(もりぎくりんとう)など、簡単に外すことができない場合、破損の原因となりますので、ご自分で無理に取ることは控えましょう。
無理して、自分で掃除をしてしまうことで、金箔が剥げる、漆が白濁してしまう等のトラブルが発生し、修復に予想外の金額がかかることがあります。
では、金仏壇を自分で掃除する時の手順について説明しましょう。
ポイント
脈々と続く「いのち」を肥っているのが、お仏壇でお仏壇のこころす。仏さまやご先祖さまは、自には見えません。しかし、いつも見守ってくださっている、日々一緒に暮らしているという感覚が、日本人にはあります。いつもご先祖さまがご覧になっている、仏さまが見守ってくださっているという情操教育を育む場あり、感謝と憤悔の心を培う家庭教育の礎となる場です。自分勝手な願い事をするのではない、ただ素直に真剣に、お仏壇の前で手を合わせる親の後ろ姿は、必ず子供の心に良い影響を与えます。合掌の姿ほど美しいものはないからです。
▼これから掃除をするので、少し騒がしくなることを伝えます。
▼取り出す前に、写真を撮っておくと、戻す時に助かります。また、新聞紙を準備していると、取り出した仏具を置く時に便利です。
▼細部の掃除前の準備として、お仏壇の外側を中心に簡単に埃を軽く取ります。
▼上置き部分の汚れを落とした後、乾拭きをし、専用の仏壇クリームでつや出しをします。欄間(らんま)や高欄(こうらん)など、彫刻が施されている繊細な箇所は、注意が必要です。
仏壇掃除専用の筆を使い、無理して汚れや埃を取らないようにしましょう。
▼濡れた雑巾は、湿気の原因となりますので使用を控えましょう。
▼上置きと同じですが、下置きは引き出しがあります。引き出しの内側は乾拭きのみを行いましょう。
▼仏具を傷つけないよう、クロス等、傷が付きにくい拭き布を選びましょう。
▼燭台や経机に蝋(ろう)が落ちている時には、蝋取りスプレーを使いましょう。
▼事前に撮った写真を元に、仏具を戻しましょう。
▼お掃除が終わったことを伝えましょう。
▼お掃除が終わったことを伝えるとは、今日も真理と道理を生きることをご先祖様全員にお伝えして、「見ていてくださいね」と家族全員が約束をする瞬間です。その際、お花を新しくし、お線香をあげましょう。
ご仏前に親子並んで手を合わせる行いを通じて「箸とらば仏や親の恩を知れ我が一力で食うと思うな」という歌のように、日々食事ができるのも、仏さまとご先祖さまのお蔭ですという、天地の恵みに感謝する躾をしたのです
まとめ
毎朝いちばんのルーティンワークにご仏壇の清掃を組み込みました。
家庭の寺院である仏壇の掃除に関してご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか。
掃除は日々行うことで、汚れや劣化の減少に繋がります。
毎朝のお参りの前にハタキをかけるなど、習慣化してしまうと面倒くさいがとの楽しいに変っていきます。その最大の要因は自分が関わっているからです。人生はなにごとも自分が主体的に関わるから楽しさも比例します。つまり清掃を通して、自分を最高に輝いている状態にするのです、
大掛かりな掃除に関しては、年間スケジュールをたてるのも良いですね。
大切なご本尊様、ご先祖様も気持ちよく安置される環境を作ることで喜んでくれる上、現世に生きている私たちも気分がよくなります。
毎日、手を合わせたくなるようなお仏壇の環境を作り、身を引き締めた状態にリセットするのは愉快の最骨頂です。
寺院が家にあるお仏壇のライフをお楽しみください。
ゲンキポリタン大学
「ゲンキポリタン大学」では、「社会人基礎力」をコアに<人生100年時代の曼荼羅>を描くように、ライフシフトをバックアップするさまざまな講座を、さまざまな方を対象に、さまざまな形態で開催しています。ご都合に合わせた形態をお選びください。
「社会人基礎力」(全6回)
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- 社会人基礎力①12のの能力要素
- 社会人基礎力②前に出る力を育てる主体性と8つの基準
- 社会人基礎力③考え抜く力を育てる思考法
- 社会人基礎力④チームで働く力
- 社会人基礎力に追加された3つの視点
GTD®勉強会
- 社会人基礎力|GTD①マンダラ思考で情報をゴエスする
- 社会人基礎力|GTD②頭の中の「現実」もすべて把握する
- 社会人基礎力|GTD③アセスメントを設定して「できる」行動をリストにする
- 社会人基礎力|GTD④アセスメントのために見極める
社会人基礎力|GTD⑤マンダラ思考で整理する
社会人基礎力|GTD⑥システムをマンダラ思考で見直す - 決定版「図解」十二縁起
コラム 自我と交流分析
- 100年「し合わせ」な整え日記
- 自他肯定をライフスタイルにする『お粥さんプロジェクト』
- 人生の方程式から外れない<イマジン>3つの自我の使い方
- メンタルモデルを変える5つの心とエゴグラム
- 般若のゴエス|自分を忘れるアサーティブ・コミュニケーション
- 般若のゴエス|アサーション・コミュニケーション|率直について
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