
十牛図(じゅうぎゅうず)は,十牛禅図(じゅうぎゅうぜんず)や牧牛図ともいい、10枚の図と詩で表したもの約900年前,中国北宋時代の臨済宗楊岐派の禅僧・廓庵(かくあん)和尚によって書かれた「悟り」に至る禅の入門書として使用されています。
十牛図では、真の自己を尋ねる旅を、牛を探してゆく道として表しています。
2.見跡 (けんせき) ・・・・・・・・・・・牛の足跡を見つける
3.見牛 (けんぎゅう) ・・・・・・・・・・ようやく牛を見つける
4.得牛 (とくぎゅう) ・・・・・・・・・・野生の牛はすぐに暴れ出す
5.牧牛 (ぼくぎゅう) ・・・・・・・・・・暴れる牛をいかに飼い馴らすか
6.騎牛帰家 (きぎゅうきか) ・・・・・・・牛に乗って故郷に帰る
7.忘牛存人 (ぼうぎゅうそんにん) ・・・・ 飼い馴らした牛は忘れてしまっていい
8.人牛倶忘 (じんぎゅうぐぼう) ・・・・・人も牛もいないゼロの世界
9.返本還源 (へんぽんげんげん) ・・・・・無の世界から有の世界へ還る
10.入鄽垂手 (にってんすいしゅ) ・・・・・町に出て人々のために働く
10枚の絵とそれぞれ漢文の「序(じょ)」と、漢詩の「頌(じゅ)」があります。
漢詩の「頌(じゅ)」は、廓庵師遠(かくあんしおん)禅師が作り、漢文の「序(じょ)」は、慈遠(じおん)禅師がのちに付けました。
「十牛図」3枚目の絵「見牛(けんぎゅう)」には、上の詞がついています。
音に誘われ、ふと顔をあげれば目の前に牛がいる。
ちなみに江戸中期の名僧、白隠禅師(1686~1769)は悟りを開いた瞬間は、遠い寺の鐘が宇宙を揺るがすような音に聞こえた時だという。
しかし、牛はまだ一部しか見えません。まだ一部しか見えないのが「見牛」のポイントです。

牛に「気づく」エゴを手放す
「禅」では「気づき」がとても重要です。
「気づき」は行動の動機付けになるからです。
禅、仏教で伝えようとする「気づき」は、生きることのあれこれは頭で理解すればよしとするものではなく、行動で触れることが目的なのです。
気づきのレベルがあがるほど、自分への信頼のレベルもアップします。
悟りとは、気づいたことを「行動」(実践)することです。
人生の智慧とは、表面的なことではなく、行動の底辺にあるものです。
しかし、みんなが気づくわけではありません。
そこで「公案」という気づかせることを目的とした質問を投げかけます。
エゴを捨てて、愛に出会う

一部しか見えないのが「見牛」のポイントだと先述しましたが、なぜだかわかりますか?自分の感情や精神に対してハートで理解している人はほとんどいないのが現実だからです。もしあなたが他者に優位に立つことを捨て去ってハートで行動すれば、つまり自分の感情は自分の責任だと引き受けて行動すれば牛はその姿をよりあなたの脳裏に鮮明に映し出すでしょう。
「本来無一物」=(全てに対する執着を捨て切った)お悟りを自負する弟子の厳陽尊者は、師匠である趙州和尚に尋ねました。「私は全てを捨てて、もはや拘泥する何ものをも、もっておりません。この先どんな修行をすれば良いのでしょう?」と。すると師匠は間髪入れず「捨て去ってしまえ!」。弟子は納得のゆかず「一体何を?」。最後には「その、なにもない、との意識をどこまでも担いで行け!」と一喝されたのです。
とかく過去への未練やプライド、培ってきた思い込み、先入観、苦手意識が楔(くさび)となり、言い訳となって、新たな自分への脱皮を妨げ、自分で自分を苦しめてしまう私達はエゴの塊です。
エゴを断ち切らないと人生を楽しむことは未来永劫できないのです。
生きることは愛に他なりません。
自分を愛したければ人生を体験することです。
そこにいる=気づきの瞬間=いまここに
「十牛図」3枚目の絵「見牛」の問いは、「なにが牛を見るのか」です。
なにが。。。私が本当の私を見ている、
ふと顔をあげてみると、牛の姿が目に入った瞬間を想像してみてください。
牛の姿が一部ですが目に入った瞬間、そこにいると思います。
つまり次の5枚目の絵「得牛」の瞬間になります。
「見牛」と「得牛」は、ほぼ同時に起こったと言えるのではないでしょうか。
つまり「見牛」の気づきが「得牛」という行動に駆り立てました。
もし「見牛」の気づきあっても、気づきで止まっていたら行動に進みません。
私たちは、知っただけで、終わっているケースってないでしょうか?
「それは身体が知ってます」とは自慢気に言うけど、行動しない人って多いですよね。
得牛できない人です。
第三図「見牛」(けんぎゅう)は、牛の足跡をたどってきた牧人がついに牛の尻尾を発見した瞬間を描いています。自分の追い求めていたものが、決して幻想ではなく、確かな実在として目の前に現れて来たのです。仕事であれ、恋愛であれ、本気で物事に取り組んだことのない人間には、この喜びは到底分からない。
牛は、自分です。
見牛の段階で、全体像に近づけば近づくほど、修行を積めば積むほど、遠くにぼんやりと見えていた本来の自己が「いまここ」にはっきりとします。
目的がはっきりすると、強いる生き方ではなく、手放す生き方に変わります。
牛の足跡を追ううちに、ついに牛を見つけました。
仕事を続けるうちに、最初の壁もしくは修羅場に当たります。
これはさらなる成長のために乗り越えるべき“何か”です。
たとえばライフプラン、ライフシフトの経験を通じて私は成長するのかと質問を続けることです。
「十牛図」見牛の本質は、そこにいると知った瞬間、心の底では「いまここ」にいることになります。気づいた自分を知ることにあります。
そこに見牛の意味があり、同時に得牛に発展します。
もし見牛しても、得牛に発展しないのなら、見牛の価値はなくなってしまいます。
自分を愛する
責任を引き受けることは、決断し行動して結果を引き受けることです。それが生きることです。
自分を愛するとは、いろんな経験を通じて学ぶことを自分に許すことです。それが万人に通じる愛の法則です。
まとめ
真に生きること、愛することがなければ、「十牛図」をいくらこねくり縄しても意味を為さないのです。しかし三枚目の絵「見牛」で牛の全体像は見ることはできなかったにしろ、真に生きること、愛への理解があれば、あと少しで牛は姿を見せます。この「見牛」は見逃されやすいのですがとても重要な絵です。
「十牛図」は人生や愛への思い違いを気づかせ、限りなくなく、とても素晴らしい十枚の絵なのです。


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