ここまでアサーティブ、アサーションなコミュニケーションについて、説明してきました。
般若のゴエスでは、とても困難なことですが、一切を放下する(捨てる)般若の智慧で生まれたまんまのすがたでコミュニケーションすることを推奨しています。それを阻害する原因のひとつが「万能感」です。
このようなご質問をいただいています。
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子どもにとって、百害あって一利なしと言われる「万能感」ってなんですか?
万能感とは、「人間は全知全能の万能の神ではない」の万能です。
万能感は、アサーティブな自分、アサーションなコミュニケーションをする上で、邪魔になるだけです。万能感は、自分には好都合な感覚ですが、他者には不都合な感覚だからです。
万能感は、子ども特有のものですが、ヘタすると自分の人生だけでなく、心理的に近いヒトの人生も台無しのする危険があります。
一般に、弊害をたくさん生むばかりで、良いことは一つもない「万能感」と信じられています。しかし、アサーションなコミュニケーションができていたらなら、実はそうでもないメリットと、デメリットについてご説明します。
自分の時間は100年生きても10年しかない
人生100年、200年のヒマつぶしといっても、なにをやり遂げるにも、時間がたくさんあるわけではありません。睡眠29%、仕事11%、教育3%、生活(家事・メンテナンス・リラクゼーション)57%を除けば残るのはわずか10%程度しかないので、100年生きても自分の時間は10年分しかありません。だから、ひとつの問題で悩む時間は少なく、先人が解き明かした原理原則でよく吟味して、短期集中で片付けるようにしたいですね。万能感も使い方でうまく使えば100人力。
万能感というのは、ありもしない能力を持っていると錯覚した幼児特有のものです。子どもも、いつか必ず裏切られる期限付きのものです。
自分は万能だと意識して生きている成人はいないと思います。そんなことを言えば狂人扱いされます。万能感は幼児期に体験する『他者をコントロール』することと結びついています。
保護なしに生きていけない無力なこどもが安心して生き延びるには、他者のケアと力が必要です。
もし、自分が何をしても変化を起こすことができないとしたら乳児には恐怖です。自分がしてほしいことを代わってやってくれるヒトが欠かせません。肌着が濡れて気持ちが悪いとき、泣いて報せれば爽やかな肌着に着替えさせてくれる。空腹になれば、やはり泣いて報せれば空腹が満たされる。・・・泣けば欲求は満たされるので、右も左もわからない地上の舞い降りた子どもにとって大きな安心感になります。そこで万能感を得ることができます。
幼い子どもは自分で生きていけません。保護者のケアが必要です。
子どもたちは、自分が泣きわめくと親が態度を変えてくれる、あるいは親の気にいるようにすれば、親が行動を変えてくれる・・・「○○○さえすれば、相手は思うように変わる」と思い込むようになります。自分には状況を変える力があると確信することで安心するのです。
ブロンソンならこう言うね。
それって2500年前に、お釈迦様が禁じた呪術的行為と同じだな。
万能感のメリット
万能感は成長の過程で、みんな経験します。子どもは、自分が「○○○○さえすれば」というゲームを通じて、身の回りの世界を自分の安全、安心な世界に作り変える努力をしています。主体的に生きることができないこどもにとって、コントロールすることは「サバイバル」苦肉の策なのです。
- 「大きくなったら、ヒーローになりたい!」
- 「ユーチューバーになりたい!」
- 「プリンセスになりたい!」
- 「バスのドライバーになりたい!」
- 「サムライになりたい!」
なりたい(BE)!
したい!(DO)
欲しい!(HAVE)
人間は感情の動物です。感情から、思考、行動へとステップアップしていきます。
なりたい、したい、ほしいは、「行動の原動力」つまり生きる力です。
生きる力が働いて、本当に実現してしまうヒトがいます。
無力感を受け入れた時、喜捨がはじまる
ファンタジーでしかない万能感との違いは、感情だけで終わらず自分が思考し、行動へとステップアップするか、しないかの違いです。行動すれば、挫折があり、万能感は破壊されます。
途方もない夢を持てるのは大きなメリットですが、夢を現実にする行動が伴うなら天の啓示といえるメリットです。
10%の自分の時間を神に捧げる覚悟で行動すれば、神様は人間に不要な物を与えなかったことを証明できるのです。
天の啓示を知り、無力感を受け入れて捨て身になった時、喜捨がはじまります。
喜捨とは、喜んで捨てること、損得から解放されて、誰かを思って生きる喜びです。
捨てるほどに心が軽くなります。余計なものがなくなると「根源的なもともとのいのち」が溌剌とするのはミニマリストの道理と同じです。
万能感の違い
万能感から目覚めるヒトがいる一方、死ぬまで自分は万能の神だとずっと信じているゾンビのようなヒトもいます。
このヒトたちの関心は、自分自身の万能感ですが、自尊感情の低さにあり、ヒトに見下されていないかが気がかりなので、虚勢を張って隠そうとします。求めているのは「すごいね」のひとことですが、虚勢のネタが自身になく、利用できることはなんでも利用するので、却って「空虚さ」がバレバレになってしまうのです。
カリスマ、ジョブスの自利利他に結晶化した万能感
万能感が自分を突き動かしても、実際に起業するには資金が必要です。日本の場合、いまは起業がしやすい環境が整っていますが、以前はハードルも高く困難でした。事業を起こすには万能感だけでは動けませんでした。
幼い誇大自己が温存され、何か偉大なことを成し遂げることで自分の価値を示し、認めてもらうチャレンジに行動を起こしたヒトです。ジョブズの特徴はマイクロソフトのビル・ゲイツ氏と違い、自分でプログラムを書かず、プロデューサー的でした。一般の企業にない特異な「あり方」に共感した人々はアップルの熱烈なファンになりました。
実際にプログラミングしたのは、友人のスティーヴン・ゲイリー・ウォズニアックでした。彼の証言を聞くと、万能感による行動力が認識できます。
「とはいえ、スティーブは私がいなくてもコンピューターの会社を作ると決めたかもしれない。彼はパーソナルコンピューターを作るアイデアを話し、『会社を作るにはウィズニアックがいなければできない』と言った。私はそれに対し、『ノー』ときっぱり断った。我々の投資家は火曜日までにHPを辞める決断をするよう言ってきた。火曜日になって、私は再び『ノー』と伝え、『HPは辞めない。エンジニアとして生涯、HPに勤める』と言った」
「結局、スティーブが私の友達や親戚にまで電話をかけさせて一緒に会社を始めるよう説得され、やむなくHP退職をのんだ。『オーケー、アップルに加わろう。でも、あくまで一人のエンジニアとしてだ』。会社で重要なポジションにはいるが、経営にはタッチしないでいいようにしてもらった。というのも、政治的なことは全く苦手だし、自分はただ製品を設計したいだけだったからだ」
万能感が豊富なヒトの場合、新しいことへの発想も豊富なので、チャレンジ精神があれば、リスクは大きいが大成功する要素を持っています。こうしたタイプは既成の企業文化にはなじみにく、組織からはじき出されることが多いものです。
ラフなアメリカに於いてもジョブズでさえ、自分が創業したアップルから追放されました。
しかしジョブズには、自分の価値を示し、人々の暮らしをもっと良くするというポリシーがありました。無意識に万能感をうまく使い、自らの壁を突破して、誰かを思って生きる喜びに気づいたとき、自利利他に結晶化するのです。
万能感でやる気ホルモン『テストステロン』を垂れながせ!
上の方は100万円を銀行に預けた場合です。
下の方は複利ダルマのブロンソンが100万円を応援したい企業への投資にした場合です、
ブロンソンならこう言うね。
「オレが憎いか?」
健全な子育てでは、成長と共に、何でも思い通りにならないことを知ります。
どうせ、万能感なんか効かないのだから自分で勝手に「○○○○さえすれば」という呪文を唱えて、はじめてしましましょう。要は行動することです。
万能感と訣別して、自分をコントロールする実践を通じて、コントロールを覚えるのは、成長に欠かせない大きな節目なのです。
愛着の絆が深まる関係を強めることは大事ですが、自立・自律を促すここと、万能感が能力の値引きになってしまうような、なんでも子どもの思い通りにさせておくことは愛情ではありません。
この判断の違いは、頭脳の違いと思うかも知れませんが、ホルモンの違いです。
自分がコントロールできるのは、自分だけです。もう少し具体的にいうなら自分の感情・思考・行動の3つです。ただし、コントロールできるのは「思い込み」でしかありません、
実態は、自分が受け取りたいように、自分が選択して、受け取っているだけです。その違いの由来は男性ホルモン、別名やる気ホルモン『テストステロン』です。
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