今をいきいき生きる智慧「寿命」とは何か

200年ゴエス
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200年婚を成し遂げようとしたら200歳まで生きなけれななりません。その一方で医学の進化は凄まじく、200歳まで生きることも可能になるのは時間の問題です。すでに1999年生まれのヒトが100歳迄生きる確率は男女ともに100%になっています。あっという間に200年婚は現実になります。そこでライフプランがの設計がますます重要になるだけでなく、いのちとの付き合い方もこれまでとずぶん違ったものになるでしょう。

三宝院沙門
三宝院沙門

こんにちは。愛が溢れる200年婚のために、歩き遍路であるべきようわを愉しむFP.アセットドクター、ゲンキポリタン三宝院沙門です。
ライフプランを考えることはいのちを考えること、200年婚を考えることは200年後もかっこいい男、女であることを実践することです。 つまり200年婚にはめでたい仕掛けが用意されているのです。今回はいのちの限り200年婚を成し遂げるための寿命について判断を下したいと思います。

「寿命」とは「生きる智慧」です。

寿命とは、命だと思っている方が多いですが、寿命と命は別物です。
ご飯とお粥さんが別なのと同じです。

(かゆ)は、米、麦、粟、ソバなどの穀類や豆類、芋類などを、多めの水で柔らかく煮た料理のことです。粥の上澄み液は重湯(おもゆ)という。関西地方では「おかいさん」ともいいます。炊きあげてから時間がたつと糊状となって極端に食感が悪くなるため「人を待たしても粥は待たすな」の格言があります。粥は速攻でいただくのが生命線なのです。
仲の良いカップル寿命は200年婚とライフプランに陥しみ、自分になりきって自分を愉しむ『お粥さんプロジェクト』も同じでやる気になったらいますぐやりましょう!あとはなるようになるわいさ!

今を楽しく生きる智慧やりたいことマップを支える200年婚と寿命の関係性

あるべきようわ「お粥さんプロジェクト」

お粥さんプロジェクト

厚生労働省の「簡易生命表(令和4年)」によると、2022(令和4)年の日本人の平均寿命は男性が81.05歳、女性が87.09歳で、2021(令和3)年と比較して男性は0.42年、女性は0.48年下回りました。 また、平均寿命の男女差は6.04年で前年より0.06年縮小しました。

果たして、この命を「寿命」というのか?この命のどこが、めでたいのか?
何歳まで生きても、そこには悲しい別れしかなかったのではないでしょうか?

ヒトの寿命はめでたいものです。なぜ、めでたいのか?やるべきことをやろうとして精魂傾けて取り組むからです。つまり愉しんだかどうかです。やり遂げたかどうかじゃない。プロセスを愉しんだかどうかなのです。ヒトの寿命は生まれた時から決まっているともいいます。30歳までしか生きなかったヒトは、天命に惹かれて30歳までに無意識に自分の使命を果たしたと思うでしょう。

寿命とは愉しんだかどうかです。人生って大袈裟なものではなく、合理性を追求する場所でもない。いまいるところが天国です。だって自分の外に幸せなんで絶対にないのだから、自分の内側を探すしかない。この考えが間違っているから的外れなことばかり考えてやってしまうのです。働き方改革も、もとはいまのような考えではなかったのが、もとを忘れてしまっています。

OODA仕事を通じて実現したいアセスメント、新しい生き方を探す愉しさを忘れてただ職場を改善しましょうになっている。PDCAは古いと言われますが速度が早くなっていて時代のテンポについていけないのが指摘されているにすぎない。本質は変わらず愉しむことにあります。

なにごとも簡単に入手できる満足って本物ではありません。200年婚がいい例で、200年仲良く暮らしたいと思ったら、面倒くさいのオンパレードです。」そのひとつひとつが愉しくて仕方がないから最高なんです。そこで大切なのは、ものごとにこだわらないこと、偏った見方をしないこと。さらに、この世の全てはお互いに相互依存の関係をしあい、つながっているのだということを理解が大切です。

世の中のあらゆるものが無常であると知っているから、一期一会の出会いを大切にし、自分をめぐる仕事や人間関係の一つひとつのことも丁寧に謙虚に愛情を込めて行うことができます。全てが縁起によって成り立つものだと知っているから、自分以外のものへ慈悲の心をもって接し、一瞬一瞬を尊く生きることができます。生かされている”いのち”で毎日を大切に生き、自分本位でなく周りへの思いやりを持って行動することは、苦しみの原因である執着をコントロールすることにもなります。ただ生きているのではなく、寿命を全うする。これが”今”をイキイキと生きるお釈迦さまの智慧です。お釈迦さまは、全ての人々を慈しみ、苦しみから逃れて幸せになれるようにと、今に残されたのです。

お坊さんはなぜ、毎朝お粥を食べるのか?

永平寺

曹洞宗大本山永平寺のお坊さんはなぜ、毎朝お粥を食べるのか?それは素朴なお粥が“身体”を整え、あるがようわのバックボーンになる“私の在り方”を教えてくれるからです。
永平寺では毎朝365日、同じお粥さんを食べます。その理由は、毎朝、変化がないお粥さんから、“私”と“お粥”の関係を毎日見つめることができ、“身体”と“在り方”が細やかに見えてくるからです。
そして、お粥さんのありがたい力によって生かしていただき、身体を整え、寿命の上で仏道修行に励むことを願っているからです。

エゴグラム解析

修行僧ではない私たちにいちばんの驚きはお粥さんを主食にした精進料理は縛りがあるから面白いことです。毎朝のお粥で、心を整え、一日を気持ちよくスタートさせることができます。豊かに食べ、丁寧に生きる“お粥さんの教え”を大切にしたお粥さんプロジェクトを愉しんでいる自分を楽しむのです。

正しい行い

遠方から運ばれてきた食材に感謝し、同時に食べる資格が自分にあるのかと問うとき、食を通じて己の欲望に気づくことができます。食べるものは身体そのものになります。食べる資格があろうがなかろうが、己の傲慢さに負けそうになり、生かせてくださいと哀願するとき、寿命をありがたいと感じるとともに、与えられた寿命の恩返しの必要を強く感じます。私たちは寿命を使わせていただいているのです。

200年婚をするなら長寿が必要です。私たちは天より授かった”生かされているいのち”を長く使わせていただきます。何年になるかは未知数ですが、環境の進化で年々増えていきます。
長寿、福寿。いのちを返しにあがるとき。「ありがとうございました。(やりたいことを十分にやったので)ようやくいのちをお返しできる時がきました」とご報告するとき、「おめでたいことだ」とお祝いしていただけるのです。お粥及び家事のひとつひとつは、その時までいのちを大切に守り抜くためのものです。「寿命」は、いのちが借り物であったことを思い知る言葉です。だから家事のすべてを面倒だと言ってはならんのです。(ならぬものはならんのです)そのことを教えてくれたのはサン=テグジュペリ原作『星の王子さま』に出てくるキツネでした。いっぱいのお粥さんは家事のありがたさ、いのちの大切さ、つながりのきらめき、在り方の喜びを身体に入れる呼吸に変換して智慧にしてくれるのです!

家事ライフ

ステップこそ宝物

ライフステージコンビニに代表されるようにいまの世の中は「満足」が簡単に手に入るようになっています。売るための満足競争は激化する一方ですが、本当の満足は手に入りません、プロセスにこそ満足の扉が宿っているのです。

恋人にプレゼントするために苦労して手に入れたのと、ネットでオーダーして手に入れたのには、本人にしかわからない物語があるでしょう?
その積み重ねが物語の濃度の違いになります。

アメリカには山の中にエレベターがあって登山しなくても頂上に行ける山もあります。健常者がスイッチひとちで頂上に行ったとして、歩いて登ったヒトと語ったとき、同じように楽しいでしょうか。

ライフステージの変遷にステップは必須です。
誰しもがいきなり達成できないように、ステップを踏み続けます。
ステップをどれだけ踏むか、踏み続けるか。
プロセスこそウェル・ビーイングの宝庫なのです。

『星の王子さま』からのメッセージ

サン=テグジュペリ原作の『星の王子さま』の中に一本のバラが出てきます。
王子は、バラを見た瞬間、「綺麗だ!」と一目惚れ。バラに水をやったり、風除けのついたてを立ててあげたり、甲斐甲斐しくバラに尽くします。
一方バラは、王子のことが気になっているのに、自分のトゲを王子に見せて「虎が来たって平気」なんて言って強がったり、ちょっとつっかかってみたり。王子はその態度に困ってしまいます。困り果てた王子は、最終的にバラを置いて星を出て行ってしまいます。
星に残されたバラは、王子を待ち続けます。


そして、王子は孤独を抱えて地球に降り立つのです。王子はキツネと出会います。仲良しになるために、キツネは「飼い慣らして」といいます。そうしないとお互いに10万分の1でしかない。王子はどうすればいいのか聞きます。そして互いにひとつになり、絆ができた頃、別れがやってきます。飼いならされたキツネは泣きそうになります。

キツネの慈悲「ああ!……きっとおれは泣くよ」
「それはきみのせいさ」と王子さまは言った。
「ぼくはきみが困るようなことはしたくなかったのに、きみが飼い慣らしてくれって言ったから……」
「そのとおり」とキツネは言った。
「でも、やっぱりきみは泣くんだ!J
「そのとおり」とキツネは言った。
「じゃあ、きみは損をしたんだ! J
「おれは小麦畑の色の分だけ得をしたよ」とキツネは言った。

つまりキツネが言いたかったのは、王子さまに伝えたかったのは・・・・
パンを食べないキツネにとって、小麦に興味のない小麦畑
。ところが金色に輝く小麦を見ただけで、ぼくは(金色の髪をした)君を思い出すようになる。麦畑をわたっていく風の音まで、永遠に好きになることでした。

「ものは心で見る。肝心なことは目では見えない。きみがバラのために費やした時間の分だけ、バラはきみにとって大事なんだ。人間たちはこういう真理を忘れている。でも、きみは忘れてはいけない。飼いならしたものには、いつだって、きみは責任がある。」小惑星の残したバラへの対処の仕方をアドバイスするのです。

相互依存の関係というように、ヒト(いのち)とヒト(いのち)とは繋がりあっています。
繋がっていることに意味はなく、なにか目的をもつわけでもありません。
なにかのために(「いのち」を)費やした時間だけ、そのなにかは大切なものになります。

ヒトとのつながりに意味があるわけではない。
繋がりあって、それが強くなった。
見えない、触れないけど、時間こそが、かけがえのない宝物なのです。
200婚はその究極なのです。

本当にまごころで愛すればまごころの幸せが帰ってきます。
これがウェル・ビーイングの本質です。アセスメントは働くヒトの本質です。

まとめ

現代を生きる私たちは、大事な点でひとつ考え違いをしているようです。それは時間の意味(価値)ではないかと思うのです。時間は見えないし触れません、つい忘れがちになります。一方で時間の追われて暮らしていますが、時間はいのちそのものです。時間をどう扱うかは想像以上に大切なことだと思います。

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