それに対してお釈迦様は、縁起説あるいは因果業報説を唱え、自己の行為と結果の関係を強調しました。因果業報説には複雑な側面もあるのですが、基本的には個人の苦しみに関する因果関係を解明したものでした。

苦しみの最たるものは老いや死(老死)やそれにまつわるものですが、その原因をたどっていくと、渇愛(かつあい、欲望)や無明(むみょう、無知)にたどり着きます。故に、それらをなくせば最終的には苦しみもなくなるとして、十二項目からなる因果関係のプロセスが定式化されました(十二支縁起)。渇愛の種子は子供の頃の体験にありますが、自分と他者は違う相手だと認識してありのままに受け入れることで感じ方も変わります。感じ方はあくまで自分の感じ方にすぎないのです。誰も責める必要はないのです。他者が傷つけることもできないのです。仮に侮辱されたと感じても、現実をどう感じるかは私ひとりの判断です。それが理解できると世界は変わってきませんか。十二支縁起はこのように無明をなくす楽しい旅です。回せば回すほど愛の法則は私に微笑みかけます。

六道輪廻

愛の法則が誘う天上界は創造が果てしなく湧き出る世界です。創造とは愛こそエネルギーです。創造力はすべてのはじまり!人間界の苦悩はもちろん、手にあまる地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界の燃え盛るような苦しみも解決します。まずは人間界を楽しみましょう。

六道輪廻図は、上の十二支縁起説を輪廻説との関連で表現した図です。これをもとに作られたのが六道輪廻図です。私たちは死後どこへ行くのでしょうか?

もっとも仏陀は死後のことはわからないという立場をとり、何が生まれ変わるかという問いは、人の苦しみを救うために役立たないので議論をしないという立場を採ったとされています。

大乗仏教の時代になり、唯識論(薬師寺や興福寺などで教えられている教えです)では、深層意識の「阿頼耶識(あらやしき)」が死後も存続し、生まれ変わりの原因になると考えられています。識は蔵の意味で善悪の判断をせずに記憶を貯蔵しています。阿頼耶識によってその個人の根本が作られています。種子のような阿頼耶識にあり種子としての記憶をどう活かすかは本人次第です。前5識を含む第六意識が光と水の役割をして種子を育てます。その邪魔をするのが、自我執着心と呼ばれる末那識です。末那識には三毒と呼ばれる貪瞋痴(とんじんち)があります。

  • 貪(とん)とは、むさぼることで貪欲に際限なくあれこれ欲することです。
    動物的欲求や物欲、あるいは必要以上に金銭欲が強すぎることが貪(とん)です。
  • 瞋(じん)とは、簡単に言えば感情をぶちまけること。不快なものに対して激しく怒ったり、妬んだり、恨んだりすることです。
  • 痴(ち)とは、とは、無知であること。自己弁護に走ったり、常識知らずで自己利益しか考えないようなことです。愚かであることを指します。
  • 現在の日本は「貪瞋痴」をむき出しにする勢力が増えているような気がします。

仏教では死後の世界として、6つの世界を示しています。「六道」と言います。しかし十二支縁起の老死とは歳老いて死ぬ意味ではありません、刹那生減のことです。

刹那とは、一般的に極めて短い時間のことを指す言葉です。 何秒のことかははっきりとしていないものの、一説によると1刹那のことを75分の1秒だと考えるようです。刹那生減とは、人の心とは放置しておけばみじかな時間の間に、生まれ滅じている無意識の自動運転の様を伝えています。それゆえに潜在意識・超意識を味方につける工夫が大切なのです。

生きるとは時間を抜きに語ることは難しいものです。刹那であっても同じです。私と同じように私のことを思えといっても、別の人なので、できないものです。できないのに、してほしいと責められれる人はどうなるでしょう。お釈迦様は判らないから議論に参加しませんでした。しかし創造することはできます。愛情の示し方は違いますが、現世で最善を尽くすことを奨励されました、それが八正道の精励です。

 

アファメーションとエンパワーメント
「アファメーション(affirmation)」は「宣言」のことですが一般に言われている「宣言」とは違います。私にすれば「空海の胡麻祈祷」のようなものです。一方「エンパワーメント(empowerment)とは、人々に夢と希望を与え、勇気づけ、人が本来持っている素晴らしい生きる力を湧き出させることです。ウェル・ビーイング、高齢者支援。生きがい促進環境づくりなどの実践では、一人ひとりが本来持っている素晴らしい潜在能力を顕在化させ、活動を通して人びとの生活、社会の発展のために生かしていくことを目的としています。

六道にチャレンジする「原因と結果の法則」

地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の世界です。
衆生が六道に迷いの生死を繰り返して、車輪の巡るように停止することのない輪廻。

せっかく人間に生まれたのだから、もう少し辛抱して「あるべきようわ」を自戒の柱にして天上をめざそう。落ちるな。堕とすな。天上をめざし、天上のてっぺん幸せ道で暮らすのだ。その方法が200年婚を目標にした原因と結果の法則の遵守です。

  • 地獄の世界は苦しみだけの世界。
  • 餓鬼の世界はいつも飢え、渇きに苦しむ世界。
  • 畜生の世界は欲望のままに生きる世界。
  • 修羅の世界は争いばかりの世界。
  • 人間の世界はいろんな心を持つ世界。
  • 天上の世界は喜び、楽しみがあるが、長続きしない世界。

死後、私たちはこの6つの世界をぐるぐる回ります。
これを「六道輪廻」と言います。これら六道は迷いの世界です。
我々はこの六道から抜け出さなくてはなりません。抜け出すことを「解脱(げだつ)」と言います。そのためには修行が必要になります。
先祖供養はその修行を助けるために行います。しかし、六道は死後の世界にだけあるのではありません。現実のこの世の中に歴然として存在しているのです。

六道輪廻図

中心の円は、衆生が六道に輪廻する根本原因を追求すれば、無知 (無明)・怒り(瞋恚)・貪り(慳貪)の三毒煩悩にほかならないことを示しています。豚は無知、蛇は怒り、鶏は貪りの象徴です。

次の円は、衆生が糾える縄のごとく、苦しみの多い世界(悪趣)と少ない世界(善趣)で生死を繰り返していることを示しています。向かって右半分は悪趣、左半分は善趣であり、輪廻世界にある限り、本当に苦しみから逃れることはできないことを表しています。

次の大きな円は、六道それぞれの世界の様子を表していて、上が天、右上が阿修羅、左上が人間、右下が畜生、左下が餓鬼、下が地獄です。

最外周の円
は、十二縁起のそれぞれを示すもの。
上の右(12時と1時の間の位置)から時計回りに、「無明・行・識・名色・六処・触・受・愛・取・有・生・老死」の十二支縁起を、象徴的な絵で表明しています。衆生が輪廻世界に生死を繰り返す原因関係は、十二縁起によって分析的に説明できます。

真ん中にある鶏・蛇・イノシシが欲望・怒り・無知を象徴し、それらの煩悩(惑)によって善い行いや悪い行い(業)を行い、それが六つの生存領域(六道)での輪廻という結果(苦)を生み出すことを示したものです。そして、先の縁起説を適用すれば、惑を滅することでそれによる業も行わず、故に苦もなくなり、輪廻の世界を離れることができる、ということになります。以上が六道輪廻図から読み解かれる仏教の基本思想です。

なお、煩悩の火が吹き消された状態は涅槃と呼ばれ、それに至るためには戒・定・慧(かいじょうえ)というプロセスが必要となります。戒・定・慧とは仏道修行に必要な三つの大切な事柄。悪を止める戒と、心の平静を得る定と、真実を悟る慧。「三学」ともいい、必ず学ぶべき最も基本の修行法のことです。

現代の言葉で六道を表現すると、地獄道は「苦しむ世界」、餓鬼道は「満足しない世界」、畜生道は「無知な世界」、修羅道は「戦いの多い世界」、人間道は「善悪混在の世界」、天上道は「幸福な世界」といったようになります。

六道の考え方を日常生活に活かすためには、以下のようにしてみましょう。

  • 自分の行動を振り返る:自分の行動が、どの道に該当するか考えてみましょう。
  • 善業を積む:善業を積むことで、良い道に生まれ変わることができます。
  • 悪業を避ける;悪業を避けることで、悪い道に生まれ変わることを避けることができます

以上の三つは三毒・根本苦・六大煩悩を駆除する基本です。
潜在意識・超意識を味方につける工夫が瞑想です。を味方につける工夫が瞑想です。そこでマインドフルネスを思い出してくださいマインドフルネスは「なりきる」ことだと繰り返し説明しています。瞑想によって潜在意識・超意識になりきるきっかけにするのです。

エゴは一旦巨大化に舵をとると止まらなくなります。支配・被支配の関係が当たり前になるからです。本質は恐怖からの逃避です、自分がコントロールを緩めるとコントロールされてしまう恐れがそうさせているのです。身体的、精神的、感情的に自由であれば、相手の考えを受け入れてその通りにしたからと行って主体性を失うことはありません。涅槃へのプロセスではいろんなものに出会います。人はひとりひとり違います。ある日エネルギーの磁場に入ることもあります。驚かずに、そのまま「なりきって」そっくり抱きしめることもあるでしょう。
人は誰でも孤独な創造主だけれど、一人一宇宙。一人一宇宙がつながって大宇宙なのです。

 

「この世で生きる目的」と「ハートをひらくこと」
無意識の思考パターンがあるように、人生はいつも本番であるように、原因と結果がそうあるように、人生脚本がそうであるように、蒔いた種を刈り取るのがそうであるように、強く信じた「万が一」は起こるのがこの世の仕組みだからです。人は自分の考えが正しかったと思いたいものです。根拠のないネガティブな思い込みを捨てて、自分の真実に愛の種を蒔きましょう。

十二縁起

十二縁起はプラモデルのように素材でしかないことに気づくでしょう。
十二縁起はあなたのし合わせ方(智慧の働かせ方)で、どのようにも変化します。

無明(混沌とする天地のはじまり)によって
生活作用(志向する本能的な生存欲求)があり、
生活作用によって識別作用(気づき)があり、
識別作用によって、名称と形態(身体と心)とがあり、
名称と形態とによって
六つの感受機能(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識)があり、
六つの感受機能によって
対象との接触があり、
対象との接触によって
感受作用があり、
感受作用によって妄執があり、
妄執によって執着があり、
執着によって生存があり、
生存によって出生があり、
出生によって老いと死(刹那生減
憂い、悲しみ、苦しみ、愁い、悩みが生じる。
このようにして、苦しみのわだかまりがすべて生起する。

この心の流れが『十二縁起』であり、一筆書きの円で描かれた「十牛図」の八枚目の絵人牛倶忘(じんぎゅうぐぼう」で描かれた最高度の完成された智慧の象徴です。

私たちは顕在意識以外に、潜在意識、超意識、無意識を使って暮らしています。それぞれに注意が必要ですが、4つの意識を使いこなしていることは、自分のことは全部、気になる人のことはほぼ解っていることになります。なので気分が落ち着かないときは、影響を受けてザワつきます。

結婚している二人がセックスするとき相手のエネルギー源に入ることを意識してください。エネルギーが不足の時もあればエネルギーが溢れている時もあるでしょう。愛し合っている二人が融合するとき、感情的に不安や恐れが無意識にあるとき、ポジティブに受けとめてあげる必要があります。そうでないと、不安や恐れだけが増幅させられるからです。超意識は軽々とこえてきます。そんなときには六識(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識の総称)を使って愛の力で安心を与えてあげましょう。顕在意識、潜在意識、超意識、無意識を数珠に使い分けしましょう。持っている内なる力を放置してくだらないテレベ番組を見て過ごす悪習慣と縁を切りましょう。

「人牛倶忘」(十牛図)

十牛図、8枚目の絵「人牛倶忘」では、それまでのすべてが忘れさられ、無に帰すること。悟りを得た修行者も特別な存在ではなく本来の自然な姿に気づきます。

十牛図』とは禅の入門書として書かれたもので牛の逃亡から捕獲、我が家に連れて帰るまでを10枚の絵に集約されいています。つまり逃げた牛は自分そのものですが、連れて帰ったのちに安堵の気持ちから自然と一体になることで真の自己発見に至る物語になっています。くつろいでいる時間に自然と一体になって潜在意識・超意識になりきるきっかけにしているのです。現代人が外部に夢中になっているにと反対に内側の世界とコミュニケーションしているのです。

八枚目の絵人牛倶忘(じんぎゅうぐぼう」の図は自己発見に至る重要なプロセスを描いています。『十牛図』は禅の入門書ですが、そう簡単に理解できません。10枚目の『⑩入鄽垂手(にってんすいしゅ)』では悟りを得た修行者(牛追いから布袋和尚の姿になっています)が街へ出て、酒を片手に通行人と話す姿を描き、人を導くことを表しています。「十牛図」も原因と結果の法則を描いた物語なのです。

原因と結果の法則

十牛図は、自己を喪失することを原因に、ついには本来の自己を発見することに至る結果に至る道筋を描いています。

六道は死後の世界にだけあるのではありません。現実のこの世の中に歴然として存在しているのです。これに立ち向かっているのが「十牛図」ならぬ日々の暮らしです。

私は長年コンサルをしていて、「何か手っ取り早く変わるやり方をおしえてください」と言われ続けました。時にはセミーをやって2時間の講演でそうお願いされることも少なくありませんでした。その人たちの要求は自分たちの外からやってきた何かのおかげですぐに結果を変えて欲しいということです。

まるで神頼みなのです。神の力で結果を思い通りにコントロールしようとしているのです。「それならと」承諾して、結果を変える場合もありましたが、恒久的に変化をもたらすには、いかに神通力を駆使したとしてもできません。やはり行動をかえるには、「何か手っ取り早く変わるやり方」では不可能です。『原因と結果の法則』を遵守しなければ無理なのです。

たとえば競合会社が猛スピードで出店している、それには「出店したい」という意欲が「旺盛であること」、見合う「人材育成ができている」、スピードが早い背景に「資金力」があることなどの条件があります。そもそも豊かさとは資金力だけで決まらないのです。トータル的な会社として「人格」で決まるのです。個人に置き換えても同じです。お金は交換の手段ではないのです。すでに持っているものに。あるいは持ちたいと思っているものに感謝の気持ちと見合うエネルギーを注ぎ込まなければ神頼みだけでは引き寄せることはできません。たとえば道でお金を拾ったとしても同じです。拾うまでは偶然は運良くであっても感謝の気持ちと見合うエネルギーを注ぎ込まなければさらに展開が変わってきます。

私たちは持っていないものに気を奪われがちですが、すでに持っているものに、関心を寄せるべきです。その代表が潜在意識と超意識です。持っているものに関心を寄せた時に浮かび上がってくるのが潜在意識と超意識なのです。そこに引き寄せの法則がついてくるのです。

「原因と結果の法則」は、なぜ機能するのでしょう。自己愛を励まし、激励して応援しているからです。日々の小さな喜びが自己愛に触れて、応援するのです。

ひとりひとりが自分を愛することで、他者への愛につながります。あの日公園で出会ったお坊さん思い出すでしょう。あるいは寂しそうにしていたパートナーが恋しく思えるでしょう。

成功も挫折もあるでしょう。しかし智慧と慈悲には無限の可能性を引き出す力があります。智慧に道理があります。慈悲には道理を超えた優しさがあります。「あるべきようわ」悲しみにという礼節があります。おし潰されそうな時や人は、自ら苦境を訴えることができません。こんなとき、必要なのは般若の智慧と慈悲です。こんな人に「原因と結果の法則」の魔法を与えたら「共依存」によって泥沼になります。

優しさは智慧と慈悲です。自立する必要のある人、課題を解決する必要がある人には、自らの智慧と慈悲が必要です。人生はどこまでいっても自分だけのものです。自分だけのものだと悟った人に、智慧と慈悲は無明が悟りになるように、「原因と結果の法則」が機能します。

心配しなくてもすべてうまくいくのは、どういうことなのでしょう。
自分の足らずに、不完全さにため息をつくほど、何をしてもうまくいかない。その苦しみを解決するにはどうすればいいのでしょう。自分を愛する力を持っていないことがあっても、世界でひとり自己愛を忘れないことです。

それなのにアフォメーションすることはわざとらしくて、不自然さを感じるでしょう。違和感が自分を傷つけます。それでも続けることです。一週間が過ぎ2週間が過ぎ、3週、4週と続けていくと、全然変わってくるでしょう。

自己愛の力が働きだすのです。信じる心が本気を出してきます。呼吸が変わってきます。般若の呼吸です。気を取り直し、すべてを受け入れることが真実になるとき、自己愛の終わりのない旅が始まるのです。

つらいときほど、自分に優しくすることです。古い価値観で教わったことは全然違います。辛い時には頑張れと叱咤激励、スパルタ教育でした。でも自己愛は自分を愛しなさいと教しえます。決して甘やかしている訳ではありません。信じなさいと教えているのです。

毎朝。ありがとうがんばってくれたねと手のひらにつぶやきましょう。

「あるべきようわ」の七字を保つべしに暮らしてきたあなたに自己愛がほほえみかけます。古い価値観に戻るでしょう。しかし、ひととひとりが噛み締めて自己愛の旅を分かち合いましょう。「原因と結果の法則」が原理原則を伴ってきらめきます。

まとめ

私たちは顕在意識・潜在意識・超意識・無意識を使い分けて暮らしています。その内意識できているのは2%の顕在意識です。残り97%の潜在意識と1%の超意識はほとんど認識するのも困難です。しかし。第六感の強い人は98%の無意識の潜在意識・超意識に気づかされます。論理的に考えるか直感的に受け取るか、あなた次第です。少しでもスマートに考えることができるように以下のことを日常に取り入れてみてください。

  • 自分のマスターを設定する
  • 毎朝アファメーション&瞑想する
  • 毎日気がかりな読書をする
  • 毎日自分を振り返る(アフォメーションにふさわしい一日だったか)
  • 1週間に一度助言をもらう
  • 1週間に一度褒美を受け取る
  • 毎月新しいチャレンジをする
  • 30日後の自分に手紙を送る

ゲンキポリタン大学

「ゲンキポリタン大学」では、「社会人基礎力」をコアに<人生100年時代の曼荼羅>を描くように、ライフシフトをバックアップするさまざまな講座を、さまざまな方を対象に、さまざまな形態で開催しています。

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