無形資産の教科書|自分を極める「十牛図」

自分を極める。 十牛図
この記事は約12分で読めます。

自分を極めるとは、どういうことでしょうか?

最高の自分を引き出すことですね。
いちばん 判りやすいサンプルがアスリートではないでしょうか。

心はのまま仏である」といいます。

禅の高僧の言葉ですが、この心とは「もともとのいのち」のこころだと思います。

もともとのいのちとは、「精子・卵子レベルの自分」を想像するとわかりやすいと思います。

自分は水が源流から湧き出る瞬間を想像をします。
どちらも似ていると思いませんか?

もともとのいのちは生きたがっています。

生命力そのものは、迷い、しみ、欲望、煩悩と無縁です。

十牛図の10枚の絵は、「もともとのいのち」を見失った自分が「もともとのいのち」に回帰するまでの旅を描いた物語です。

十牛図で極める自分をゴエスする

マインドフルネス実践講座

この画像は、自分が愛して止まない富山県「神通川」の支流松川が流れる「松川公園」の桜並木です。

風に吹かれて散っていくきれいな花びらを追いかけて、無心に袋に詰めていきます。

それはちょうど「十牛図」の九「返本還源(へんぽんげんげん)」に似ている気がします。

極める自分を十牛図でゴエス(整理・整頓・清掃・清潔・習慣)していきましょう。

 

ゴエス(整理・整頓・清掃・清潔・習慣)

ゴエスは、整理・整頓・清掃・清潔・習慣、5つの要素で成り立っています。
整理することで、整頓=いつでもさっと取り出し使える状態にして、それを維持するために日常的に清掃・清潔(磨く)をルーティンにするように構造的に習慣化する。

不要なものはいりません。
ハンコは代表、テレワークができる会社ならオフィスも不要。クルマも考えものです。
ビジネスそのものが不要という場合も少なくありません。

必要なモノは「本質的な自分」と「(本質を押し上げる)待機中の自分」だけです。
本質に向かって、十牛図の問いかけてきます。

つまり「自分とは何か」ではなく「存在する自分(=本質)とはなにか」

禅は仏教を学ぶトレーニング方法ですが、経典中心ではありません。
禅は文字や言葉には表現できなかった悟り(=実践)を、修行(=実践)で捉えようとします。このあたりが欧米でも受け入れられた動機ではないかと思います。

十牛図の問いかけ

十牛図は絵と併せて次の問いを投げかけてきます。禅の「公案」というものです。

「十牛図」尋牛(じんぎゅう) 牛が逃げているとはどういうことか。

「十牛図」尋牛(じんぎゅう)

ある日、飼っている一頭の牛が牛小屋から逃げ出したことに気づいた牧人は、野を歩き、川を渡り、山を越えて、その牛を探し求めています。ただ一人で・・・
(彼は「自己究明」の旅に出かけたのです)。

「十牛図」見跡(けんせき)
 牛の足跡とはなにか。

「十牛図」見跡(けんせき)

「もう牛は見つからない」とあきらめていた牧人が、ふと前方に目を落とすと、そこに牛の足跡らしきものを発見しました。「ああ、牛は向こうにいるぞ」と牧人は喜んでその足跡をたどって駆け寄っていきます。

「十牛図」見牛(けんぎゅう) なにが牛を見るのか。

「十牛図」見牛(けんぎゅう)

牧人は、とうとう探し求めている牛を発見しました。

牛は前方の岩の向こうに尻尾を出して隠れています。牛が驚いて逃げ出さないように、牧人は足をしのばせて牛に近づいていきます。

「十牛図」得牛(とくぎゅう) 牛を捕らえる綱とはなにか。

「十牛図」得牛(とくぎゅう)

牛に近づいた牧人は持ってきた綱でついに牛を捕らえました。ふたたび逃げ出そうとする牛を、牧人は渾身のカをふりしぼって自分の方に引き寄せして、牛との格闘がはじまりました。

「十牛図」牧牛(ぼくぎゅう) 牛を飼いならすとはなにか。

「十牛図」牧牛(ぼくぎゅう)

牧人は暴れる牛を綱と釈とで徐々に手なずけます。牛はとうとう牧人の根気強さに負けておとしくなりました。もう牛は二度と操れることも出すこともありません。

「十牛図」騎牛帰家(きぎゅうきか) 牛に乗っているとはなにか。

「十牛図」騎牛帰家(きぎゅうきか)

牧人はおとなしくなった牛に乗って家路につきます。牛の堂々とした暖かい背中を感じつつ横笛を吹きながら。

「十牛図」忘牛存人(ぼうぎゅうぞんじん/ぼうぎゅうそんにん) まどろんでいるとはなにか。

忘牛存人(ぼうぎゅうぞんじん/ぼうぎゅうそんにん)

とうとう牧人は自分の庵に帰り着きます。牛を牛小屋に入れてほっとした牧人は、庵の前でのんびりとうたた寝をしています。静寂の中、安猪の気持ちにひたりながら休息しています、(牧人は「生死解決」をほとんど成し遂げたのです)。

「十牛図」人牛倶忘(じんぎゅうぐぼう/にんぎゅうぐぼう) 空白とはなにか。

「十牛図」人牛倶忘(じんぎゅうぐぼう/にんぎゅうぐぼう)

うたた寝をしていた牧人が突然いなくなりました。あるのは、ただ空白だけ。牧人になにが起こったのでしょうか。

「十牛図」返本還源(へんぽんかんげん/へんぽんげんげん)  美しい自然とはなにか?

「十牛図」返本還源(へんぽんかんげん/へんぽんげんげん)

空の世界からふたたび自然がもどってきました。牧人の中に根本的な変革が起こったのです。牧人は自然のようにすべてを平等視して生きることができるようになりました。

「十牛図」入鄽垂手(にってんすいしゅ) 人が往来する場所で「生きる」とはなにか?

「十牛図」入鄽垂手(にってんすいしゅ)

牧人はふたたび人間の世界に立ち帰りました。行き交う町の中に入った彼は一人の童子に手を差し伸べています。牧人はとうとう「他者救済」という彼が目指す最高の境地に至ったのです。

出典:十牛図入門―「新しい自分」への道 (幻冬舎新書)

十牛図とライフプラン

ライフプラン

①尋牛(じんぎゅう)

尋牛(じんぎゅう)の問いは「牛が逃げているとはどういうことか?」でした。

牛は自分自身です。自分が自分を追いかける。「自分探し」をいう人は多いですね。
なぜ、自分がわからなくなるのでしょう。それは間違った人生脚本を生きているからです。
間違った人生脚本を書いたのは自分ですが、幼少期のことなので自覚がありません。

それに対してライフプランを書きましょうと私は言います。
人生脚本とライフプラン、似ていて非なるものです。

人生脚本は感情が基礎になっていて結果も不本位なものです。
これに対してライフプランはライフデザイン(価値観・方針)を基礎にライフイベントを中心にファイナンシャルプランニングしたものです。

ライフイベントとファイナンシャルプランという現実的な課題をテーマにしているので具体的に実効性があります。

ライフプランを主体的、積極的に策定、実践する人は、人生脚本を実践する人とタイプは違いますが、全員が乗り換えされることをおすすめします。

「尋牛」には、乗り換える必要が説かれています。

誰も言わなかった禅「十牛図」はじまりの尋牛(じんぎゅう)
「十牛図」最初の絵「尋牛」の本質は、「いまの自分」がいないことに気づいた自分を知ることにあります。気づけば行動する。禅の鉄則です。「いまの自分(=本当の自分)」がいないのは、人生脚本に支配されているからです。人生脚本に支配から解放されるには、いまの自分が書いた人生脚本(=ライフプラン)に乗り換えることです。

②見跡(けんせき)

見跡の問いは「牛の足跡とはなにか?」です。

「十牛図」2枚目の絵は、「見跡(けんせき)」です。
牧人が探し回り、牛の足跡を発見しました。
ようやく手がかりつかんだ状態が描かれています。

牛の足跡とは、追いかける手がかりです。
本当の自分に出会うにはどうしたらいいのでしょう。

本来、人には仏心が備わっています。
しかし育て方の間違いや育った環境の影響で、歪んだ認知、歪んだ価値観を身にまとってしまいます。

これを本当の自分に戻す作業が仏道を歩むことです。
禅は仏道を学ぶためのものであり、生きる悩みや苦しみから解放するものです。

牛の足跡とは、ブッダの教えです。
ブッダの教えを法、ガイドラインにして、自分の中にある良い資質の手ががり見つけることに他なりません。

誰も言わなかった禅「十牛図」二の見跡(けんせき)
「十牛図」見跡の本質は、「いまの自分」が存在することに気づいた状態です。気づけば行動する。禅の鉄則です。「いまの自分(=本当の自分)」に自分らしさの良さを体感するには、具体的な行動が必要です。空想と想像で書かれた人生脚本の支配から解放、執着から離れるにが、いまの自分が書いたライフプランを掲げて達成に邁進する必要があります。具体的な行動を通じて「いまの自分」の良さを解ることができます。

③見牛(けんぎゅう)

見牛は「なにが牛を見るのか?」という!!!!ちょっと頭を抱える質問でした。

そこにいると知った瞬間、心の底では「いまここ」にいると思います。
気づいた自分を知ることにあります。気づけば行動する。禅の鉄則です。

気づけば行動できる自分がいることはとても大切です。

誰も言わなかった禅「十牛図」三の見牛(けんぎゅう)
「十牛図」見牛の本質は、そこにいると知った瞬間、心の底では「いまここ」にいることになります。気づいた自分を知ることにあります。 気づけば行動する。禅の鉄則です。人生脚本に支配されている自分に気づくことは。人生脚本から解放される自分を実践することです。

④得牛(とくぎゅう)

慈悲

*大慈悲とは仏教の慈悲、小慈悲とは人間の慈悲、違いは人間の慈悲が場当たり的、限定的である場合が多いことです。

得牛は「牛を捕らえる綱とはなにか?」という問いでした。これも悩みますよね。
牛を捕らえる綱とはなんでしょう?

牛にかけた「手綱」の役割をするのが慈悲の心のこもった「ライフプラン」です。

  • 慈悲の意味は、「慈」の心と、「悲」の心、2つの心で成り立っています。
  • 「慈」には、「苦しみを抜いてやりたい」という「抜苦(ばっく)」の意味があります
  • 「悲」には、「楽しみを与えてやりたい」という「与楽(よらく)」の意味があります
  • 「慈悲」は、「抜苦与楽(ばっくくらく)」を意味します。
  • 「慈悲」に、必要な心はA(おとな)の心です。
  • 「抜苦与楽(ばっくくらく)」を具体的にするのは合理的なライフプランです。
  • 自分への「慈悲」をたっぷり注ぎ込んで、
  • ライフプランに、古い感情で書かれた人生脚本を不要にします。
誰も言わなかった禅「十牛図」四の得牛(とくぎゅう)
十牛図・尋牛は、いなくなった自分に気づいた絵でした。見跡は、どこに自分はいるんだと探す絵でした。見牛で、そこ隠れている自分を発見しました。4枚目の得牛は、隠れていた自分を捕獲します。捕獲できるかどうかは自分の腕次第なのです。人生最大の公案をあなたがどう気づくか、「得牛」の絵は問いています。

⑤牧牛(ぼくぎゅう)

牧牛は「牛を飼いならすとはなにか?」という問いです。

すべての物事には原因があり結果があります。
牛に牧人への信頼がなければ牛は言うことを聞きません。
「牧牛」は帰途を辿りながら信頼関係を作る過程です。

人は幼児体験を通して感覚で人生脚本を作ってしまいます。
この感情・感覚で書いた脚本を合理的なライフプランに書き直すことが重要です。。

誰も言わなかった禅「十牛図」五の牧牛(ぼくぎゅう)
十牛図、5枚目の牧牛(ぼくぎゅう)は、暴れる牛を手なづけながら家に帰る道中です。暴れるには原因があります。全ての物事は原因があって結果があります、因果の法則で成り立っています。ラケット、認知の歪み、人生脚本にも、十二縁起という原因があります。 十二縁起には成長する手順と因果関係が説明されています。

⑥騎牛帰家(きぎゅうきか)

「十牛図」6枚目の絵となる「騎牛帰家」の問いは、「牛に乗っているとはなにか?」です。

牛と牧人は心が通じて一体となったことを表現しています。
手綱の代わりに牧人は笛を吹いています。
素敵な絵ですね。お互いを通して本当の自分を知って、自分探しが終わり向かっています。

ただ10枚ある「十牛図」、この段階でまだ6枚目です。この後が気になります。

誰も言わなかった禅「十牛図」六の騎牛帰家(きぎゅうきか)
誰も言わなかった十牛図6枚目「騎牛帰家(きぎゅうきか)」は、本来の自己とそれを求める自己が一体になったので、牛の背中にまたがることで、自分の目線が高くなり遠くまで見えるようになったことを意味します。認知の歪み、ラケット、人生脚本から解放されたのです。内面から湧き出る仏性で共感を悟れるのです。

⑦忘牛存人(ぼうぎゅうぞんじん/ぼうぎゅうそんにん)

忘牛存人では、牛は描かれていません。

7枚目の「忘牛存人」の問いは、「まどろんでいるとはなにか?」という問いでした。
牛はいなくなり、自分を気にすることもなく、ひとりでゆったりまったり。

私たちは、いつも「自分」「自分」「自分」が意識にありますが、「忘牛存人」では、自我(=自分)なんてどうでもいいんです。なぜなら自我が「執着」の原因になってしまうからです。

「勝手気儘に暮らせば良い」というのではありません。自分が成し遂げたいことがあるのなら、そのものになれば良いだけのこと。あるがままの心を持つことで、目的・目標を見失うことなく生きることができる、というものです。

「こうでなければならない」というのは、きゅうくつな生き方である、と禅は説きます。

「牛は自分の中にもともといたことを悟った」ので牛はいなくなっています。
もう探す必要もなくなったので、まどろんでいるのです。

人生100年時代のマインドフルネス

ここが重要なポイントですね。

「こうでなければならない」は執着になり、自分を苦しめる原因になります。
そのものになれば、あるがままの心であっても見失うことはありません。

受験勉強で考えてみましょう。気づき、悟ってくださいね。

無形資産の教科書|十牛図「忘牛存人」
十牛図、七枚目の「忘牛存人(ぼうぎゅうそんにん)」では、牧人は牛を連れて自分の家に戻ることができました。牛を小屋に入れて安堵からまどろんでいると静かな時間が過ぎて牛はいなくなりました。「忘牛存人」の問いは、牛がいなくなったとは、どういうことか、まどろんでいるとはなにか?です。一緒に考えます。

⑧人牛倶忘(じんぎゅうぐぼう/にんぎゅうぐぼう)

空一円相

人牛倶忘の問いは「 空白とはなにか?」です。

禅ではいちばん人気の「円相」が描かれています。
円相は「必要なものがすべてあって、無駄なものは何一つない」という意味があります。
ミニマリストの極意のようです。

人も牛もなく、空っぽ。空白とはなんでしょう?

悟ればそれでよしかと言うと、そうではありません。
末法思想がいうように、お釈迦様がご存命の頃は真摯に学んだ者でも、やがては形骸化し、何世代も後になると、著しく劣化します。避けようのない真理です。

エンドレスにワンダフルであるためには、何もかも分かったような、さとりの心にも、とどまってはいけないのです。悟った心にも迷いが生じます。

「往く道は精進にして、忍びて終わり、悔いなし」・・・これは映画俳優、高倉健さんの座右の銘。天台宗大阿闍梨の故・酒井雄哉(ゆうさい)氏から贈られた言葉といいます。

酒井雄哉師は、生涯2度も千日回峰行を成し遂げられた僧侶です。
千日回峰行というのは、7年間で、千日の行を行なうもので、平安時代から約千年の間にわずか四十七人しか満行していない命懸けの行です。
生涯、2度の千日回峰行達成者は、酒井師を含めてわずか3人。

2度目の達成で、「2度の回峰行を終えて、やっと親鸞聖人の気持ちがわかりました。」と言われたそうです。

「十牛図」九の絵、人牛倶忘では、人も牛もなく忘れられています。悟ったことさえ忘れているのです。

誰も言わなかった禅「十牛図」八の人牛倶忘(じんぎゅうぐぼう/にんぎゅうぐぼう
「人牛倶忘」の状態は、気負いもなく。執着も迷いも生まれない状態です。もはや感情的な人生脚本もなく。日常生活を淡々とルーチンワークで繰り返すだけです。ルーチンワーク(習慣化された生活)を退屈に感じるのは、刺激を自分の外に求めるからですが、もうそんな無駄なことをしなくても、やりがいも生きがいも自分のうちに全部揃っています。

⑨返本還源(へんぽんかんげん/へんぽんげんげん)

10枚ある「十牛図」も残すところ2枚になりました。
返本還源は「美しい自然とはなにか?」という問いです。

返本還源は「元にもどり、はじまりにかえる」という意味です。

牛を追い、牛を見た、自分さえもいない。これではなにもなかったことに等しい。
つまり「元にもどり、はじまりにかえる」を実践した状態です。

美しい自然は元から自分の内にありました。
でも気づかないので外に自然を求めます。
牛を追いかけたのも同じですね。
人が仏を想うとき、心が仏をつくるその心の姿がそのまま仏なのだ
つまり仏性も「もともとのいのち」にあったのです。

誰も言わなかった禅「十牛図」九の返本還源(へんぽんげんげん)
返本還源(へんぽんげんげん)の返本とは、本(原点)に返(還る)、源にたち還ること。つまり「はじめに還ること、源にたち還る」いのちの源流に還るとどうなるのでしょう?川を流れる一滴の水が湧き出る源泉から飛び出す瞬間を想像してみてください。あなたの働き方、生き方はいのちが求めていたことですか?

⑩入鄽垂手(にってんすいしゅ)

十牛図の最後を飾る人が往来する場所で「生きる」とはなにか?

この布袋さんは、牛を探していた、かつての牧人です。
見失っていた自分を取りもどした牧人は、町に行って人々と交わります。

身なりにこだわらず、威厳もありません。
仏教で禁じられているお酒も飲むし、魚も食べます。
つまりお釈迦様の教えにも無頓着です。(お釈迦様は「自分を信じるな」と言い残されてます

以心伝心とは、自分のありのままの飾らない心を、直に相手の心に伝えることです
出会った人に心を以て、心に伝える」以心伝心で影響を与えていきます。

実践は自分自身の成長にもつながっていきます。
生きるとは、極めることであり、実践です。

誰も言わなかった禅「十牛図」十の入鄽垂手(にってんすいしゅ)
「入鄽垂手」とは「ぶらりと町に入ってきて、何をするということもなく帰っていく」という意味になります。つまり、執着がなく、自他共にあるがままでよしとするなら、何も語らなくても、そこにいるだけで、気軽に声をかけるだけで、いのちの本性が、一切衆生に慈悲を持って接するのです。自利他利の仕組みでつながる循環する。

まとめ

「こうでなければならない」は執着になり、自分を苦しめる原因になります。
そのものになれば、あるがままの心であっても見失うことはありません。

私たちは、長い100年ライフを生きるために、そのもの(=ライフプラン)になりきって楽しみたいですね。

 

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