無形資産の教科書|十牛図「尋牛」

「十牛図」尋牛 十牛図
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「自分が解らない」と思うことはありませんか?

よりよい自分、なりたい自分。犬や猫は自分のことで悩むことはあるでしょうか?
昭和の若者と比べて、現代の若者は「し合わせ」でしょうか?

個性だ、個人の自由だ、夫婦別姓だ・・・言葉のみの個人が強調され、一人歩きしているのが実体だからです。
そのことに気がつかないのは、包丁で包丁が切れないように、自分で自分が分析されないまま、分析したつもりになっているからではないでしょうか?

宇宙旅行へ躍起になりながら、自分たちが暮らしている地球は荒れ放題で沈没にまっしぐらの状況です。あらゆる問題が山積みですが、すべてのことの本質は一人ひとりのあり方にあります。

そのヒントになる十牛図を通じて人生200年時代の「し合わせ」なあり方をご提案します。

人生の教科書「十牛図」

「十牛図」は禅を学ぶ人にとって教科書です。

十牛図(じゅうぎゅうず)は、悟りにいたる10の段階を10枚の図で表したものです。「真の自己」が牛の姿で表されています。真の自己を求める自己は牧人の姿で表現されています。

作者は、中国北宋時代の臨済宗楊岐派の禅僧・廓庵(かくあん)で、廓庵以降、十牛図は世の中に広まったと考えられています。よく知られている図案は、室町時代前期の禅僧の絶海中津が描いた十牛図(相国寺蔵)、室町時代中期の画僧の周文が描いたと伝えられる十牛図(相国寺蔵)です。

「十牛図」は「禅」を超えて人生の教科書と言えます。
マインドフルネスを理解するうえでも役に立ちます。

牛が逃げているのはどういうことか

十牛図

10枚の絵は、逃げ出した牛を追いかけて、探し求めて、飼いならし、やがて悟りに至るプロセスを描いています。
このプロセスでのひとつの見所は牛も牧人も姿を消すところでしょう。お楽しみください。

「十牛図」の最初の絵「尋牛」は、私を探す旅からはじまります。
尋牛」が問いかけているのは、「牛が逃げているのはどういうことか」です。

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「十牛図」尋牛、牛を尋ね探し回る私

「十牛図」尋牛

「十牛図」一番目の絵は「尋牛」です。

「尋牛」には「牛がいなくなった」ことが描かれています。

ある日、飼っている一頭の牛が牛小屋から逃げ出したことに気づいた牧人は、ただ一人で、野を歩き、川を渡り、山を越えて、その牛を探し求めています。
結論をいうと彼は無知ゆえに、牛がいなくなった理由がわかりません。

いまでは人が宇宙に行く時代になりました。

だからといって人々は本当に大事なことを理解するようになったのでしょうか。

情報を得ることは簡単にできるようになりましたが、情報と智慧は全くの別物。
ただ知っているだけでは智慧になりません。
さらに言うならただ生きているだけです。



知ってます。働いてます・・・こういう人は少なくありません。

たとえば自分の顔を見ることはできません。

鏡を使ってみることはできますが、鏡に映るのは反対の自分でしかありません。

このように、自分の顔すら見ることも、知ることもないまま生きているのです。

人生200年時代の無形資産

人生200年時代の無形資産

人生200年時代は金融資産以上に無形資産が大切だと言われています。
無形資産は、
①生産性資産・・・生産性を高める力
②変身資産・・・ワークシフト(仕事を変える力) 
③活力資産・・・健康

そしてもうひとつ加えたいのが
パートナー資産です。

人が生きるのは、よりよい人生を生きるためです。
違う考えを持った人もいるでしょうが、もし本当に幸福な人生を生きたいと思ったら、死ぬことを避けることはできません。

必ず死ぬのなら、生きてる間は好きなことをして、生きないと損だと考える人もいるでしょうが、「し合わせ」を自分の外側に求めて成功した人はいません。

「し合わせ」は自分の内側にしかありません。

このような議論はさんざん行われてきたし、原理原則からして間違いのない事実です。

十枚の絵で語られる「十牛図」は、禅の教科書と言われています。

禅は、仏教を学ぶトレーニングで、もっとも広く知られているのが坐禅です。
坐禅は自分を観察する手法ですが、気づき、悟ることが目的です。
しかし黙って坐れば「し合わせ」になれるとはいきません。

200年時代の人生戦略〜ライフシフト

200年時代の人生戦略

人生を輝かせる3つの設問

無形資産

よりよい人生を生きるためには、三つの問いかけが必要です。

1.自分とはなにか
2.生きるとはどういうことか(死ぬとはどういうことか)

3.他者とはなにか

これら三つの問いかけに対し、どのように答えを出せばいいのか、そのヒントが「十牛図」のプロセスで語られています。

1.尋牛(じんぎゅう)・・・牛が逃げているとはどういうことか。
2.見跡(けんせき)・・・牛の足跡とはなにか。
3.見牛(けんぎゅう)・・・なにが牛を見るのか。
4.得牛(とくぎゅう)・・・牛を捕らえる綱とはなにか。
5.牧牛(ぼくぎゅう)・・・牛を飼いならすとはどういうことか。
6.騎牛帰家(きぎゅうきか)・・・牛に乗っているとはなにか。
7.忘牛存人(ぼうぎゅうそんにん)・・・まどろんでいるとはなにか
8.人牛倶忘(じんぎゅうぐぼう)・・・空白とはなにか。
9.返本還源(へんぽんかんげん)・・・美しい自然とはなにか。
10.入鄽垂手(にってんすいしゅ)・・・人が往来する場所で「生きる」とは。

では、順番に紐解いていくことにします。

画像2

無形資産の教科書|十牛図「尋牛」
人生100年時代はお金がかかります。金融資産は豊かな無形資産があって成長します。ここを間違うと真の豊かさを得ることは困難にします。十牛図にはその答えがあります。十牛図の答えを引き出すにはあなたが十牛図の問いに答える必要があります。『無形資産の教科書|「十牛図」』では十枚の絵にヒントを用意しました。
無形資産の教科書|十牛図「見跡(けんせき)」
禅の教科書「十牛図」は、ライフシフトする人生200年時代の無形資産の教科書です。 「十牛図」2枚目の絵は、「見跡(けんせき)」です。 牧人が探し回り、牛の足跡を発見しました。 ようやく手がかりつかんだ状態が描かれています。 ...
無形資産の教科書|十牛図「見牛(けんぎゅう)」
牧人がどうしても再会したかった牛の尻尾を見つけたときの喜びを想像してみてください。・・・牛を見る日を信じて、子供のように、オリンピアンのように、期待に心身を投げ込んで、ただなりきり、なりきり、なりきって「いま、ここ、この瞬間を生きる」・・・
無形資産の教科書|十牛図「得牛」
禅の教科書「十牛図」四番目の絵は「得牛(とくぎゅう)」です。ついに持っていた綱を使って牛(自分)を捕まえた牧人(自分) 再び暴れて逃げようとする牛、渾身の力で自分に引き寄せる牧人。本当の自分である牛と、本当の自分を探す自分の間で懸命の格闘が続きます。 得牛の方法は、100年時代を生きる若者に鉄板の成功法則です。
無形資産の教科書|十牛図「牧牛」
禅の教科書「十牛図」五番目の絵は「牧牛(ぼくぎゅう)」です。牧牛は暴れる牛を綱と鞭で少しずつ手なずけながら帰途を進んで行きます。 牛はとうとう牧人の根気に負けておとなしくなっていきます。もう牛は暴れて逃げだそうとはしないようです。「牧牛」の問いは、牛を飼いならすとはどういうことか?では一緒に答えを見つけましょう。
無形資産の教科書|十牛図「騎牛帰家(きぎゅうきか)」
人生200年時代をよりよく生きる本質を問う「十牛図」第六図は「騎牛帰家」です。 牧人は暴れなくなった牛に乗って家路を楽しんでいます。 牛のたくましく暖かい背中に乗り、笛を吹いています。 ...
禅の教科書「十牛図」|忘牛存人〜本性をマインドフルネスで発見
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無形資産の教科書|十牛図「人牛倶忘」
「人牛倶忘」では、うたた寝をしていた牧人も突然いなくなりました。真っ白い丸の一円だけになりました。 あるのは、ただ空白だけ。牧人になにが起こったのでしょうか。「人牛倶忘」の問いは、空白とはなにかです。一緒に答えを探りましょう。
無形資産の教科書|十牛図「返本還源(へんぽんげんげん)」
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無形資産の教科書|十牛図「入鄽垂手(にってんすいしゅ)」
「十牛図」10枚目の絵は最後の絵「入鄽垂手(にってんすいしゅ)」になりました。 「入鄽垂手(にってんすいしゅ)」;これまでの9枚と全く違うので驚かれるでしょう。 牛を追いかけていた牧人の体は、なぜか、太って大きくなっています。 し...
無形資産の教科書|S・ジョブズ 「十牛図」を歩いた56年
スティーブ・ジョブズ氏は、キリスト教から、仏教への宗派替えを希望したと言われています。生涯「禅」に共感し、曹洞宗開祖、道元禅師が開かれた「永平寺」を心のふるさとのように宝物にされました。人生100年時代、一度しかない人生をどう生きるか、ジョブズ+十牛図からヒントをもらいます。

まとめ

脳も身体も勝手に動いている。自分の思い通りになりません。
自分の意思に関係なく脳は雑念を自動生成を続けます。
自分は自分が支配しているというのは思い込みでしかありません。

自分はどこにいるのか、十牛図は「自分を探す旅」から始まります。

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この記事を書いた人

こんにちは。「200年時代」に生きるあなたのライフシフトを実らせる応援をするMINORUさんです。ビジネスコンサルタントとして25年の実績を積み、現在は「一般社団法人いきいきゴエス協会」の理事長にしてファイナンシャルプランナーです。

コンサルタント事業は「shopマートワン」として継続しています。

MINORUさん
ゴエス協会では、「ゴエス」の文字通り「整理・整頓・清掃・清潔(磨く)・習慣(躾)」 つまりローマ字表記にすると頭文字がSで始まる5つ。ライフプラン、ライフシフトをゴエスで紐解き、エンドレスにワンダフルな200年人生をご提案します。

 
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人生200年時代のいきいきゴエス

スリープアスリート認定試験講座睡眠は食欲・性欲・睡眠欲と言われるように人間の三大欲求のひとつです。
しかし最も関心の低い扱いをされてきました。睡眠障害、睡眠負債が健康を害しています。 運動には関心が高くなりましたが、同じように「攻めの睡眠」が必要です。 いきいきゴエス協会では、人生200年時代を生きる方々が「活力資産」を築きために、ひとりでも多くの人に、良い習慣を身につけていただこうと「スリープアスリート認定制度」を導入しました。

誰も言わなかった禅「十牛図」はじまりの尋牛(じんぎゅう)
「十牛図」最初の絵「尋牛」の本質は、「いまの自分」がいないことに気づいた自分を知ることにあります。気づけば行動する。禅の鉄則です。「いまの自分(=本当の自分)」がいないのは、人生脚本に支配されているからです。人生脚本に支配から解放されるには、いまの自分が書いた人生脚本(=ライフプラン)に乗り換えることです。
誰も言わなかった禅「十牛図」二の見跡(けんせき)
「十牛図」見跡の本質は、「いまの自分」が存在することに気づいた状態です。気づけば行動する。禅の鉄則です。「いまの自分(=本当の自分)」に自分らしさの良さを体感するには、具体的な行動が必要です。空想と想像で書かれた人生脚本の支配から解放、執着から離れるにが、いまの自分が書いたライフプランを掲げて達成に邁進する必要があります。具体的な行動を通じて「いまの自分」の良さを解ることができます。
誰も言わなかった禅「十牛図」三の見牛(けんぎゅう)
「十牛図」見牛の本質は、そこにいると知った瞬間、心の底では「いまここ」にいることになります。気づいた自分を知ることにあります。 気づけば行動する。禅の鉄則です。人生脚本に支配されている自分に気づくことは。人生脚本から解放される自分を実践することです。
誰も言わなかった禅「十牛図」四の得牛(とくぎゅう)
十牛図・尋牛は、いなくなった自分に気づいた絵でした。見跡は、どこに自分はいるんだと探す絵でした。見牛で、そこ隠れている自分を発見しました。4枚目の得牛は、隠れていた自分を捕獲します。捕獲できるかどうかは自分の腕次第なのです。人生最大の公案をあなたがどう気づくか、「得牛」の絵は問いています。
誰も言わなかった禅「十牛図」五の牧牛(ぼくぎゅう)
十牛図、5枚目の牧牛(ぼくぎゅう)は、暴れる牛を手なづけながら家に帰る道中です。暴れるには原因があります。全ての物事は原因があって結果があります、因果の法則で成り立っています。ラケット、認知の歪み、人生脚本にも、十二縁起という原因があります。 十二縁起には成長する手順と因果関係が説明されています。
誰も言わなかった禅「十牛図」六の騎牛帰家(きぎゅうきか)
誰も言わなかった十牛図6枚目「騎牛帰家(きぎゅうきか)」は、本来の自己とそれを求める自己が一体になったので、牛の背中にまたがることで、自分の目線が高くなり遠くまで見えるようになったことを意味します。認知の歪み、ラケット、人生脚本から解放されたのです。内面から湧き出る仏性で共感を悟れるのです。
誰も言わなかった禅「十牛図」七の忘牛存人(ぼうぎゅうぞんじん)
「十牛図」七番目の「忘牛存人(ぼうぎゅうぞんじん/ぼうぎゅうそんにん)」は。悟ったことさえ気にしない、何ものにもとらわれない本来の自己になれたことを表しています。気づけば、悟ることができる。その悟りさえ気にならない一体となった状態は、執着のない、慈愛(共感)そのものです。
誰も言わなかった禅「十牛図」八の人牛倶忘(じんぎゅうぐぼう/にんぎゅうぐぼう
「人牛倶忘」の状態は、気負いもなく。執着も迷いも生まれない状態です。もはや感情的な人生脚本もなく。日常生活を淡々とルーチンワークで繰り返すだけです。ルーチンワーク(習慣化された生活)を退屈に感じるのは、刺激を自分の外に求めるからですが、もうそんな無駄なことをしなくても、やりがいも生きがいも自分のうちに全部揃っています。
誰も言わなかった禅「十牛図」九の返本還源(へんぽんげんげん)
返本還源(へんぽんげんげん)の返本とは、本(原点)に返(還る)、源にたち還ること。つまり「はじめに還ること、源にたち還る」いのちの源流に還るとどうなるのでしょう?川を流れる一滴の水が湧き出る源泉から飛び出す瞬間を想像してみてください。あなたの働き方、生き方はいのちが求めていたことですか?
誰も言わなかった禅「十牛図」十の入鄽垂手(にってんすいしゅ)
「入鄽垂手」とは「ぶらりと町に入ってきて、何をするということもなく帰っていく」という意味になります。つまり、執着がなく、自他共にあるがままでよしとするなら、何も語らなくても、そこにいるだけで、気軽に声をかけるだけで、いのちの本性が、一切衆生に慈悲を持って接するのです。自利他利の仕組みでつながる循環する。

 

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