友だちはiDeCoもNISAもしているのに、私はクレジットカードの支払いで頭が痛い。まずは貯金できる状態にすることが先決。
という馴染みのカフェの社員さんや看護師さん。
お金の問題を自覚しながら、現状を改善しない女性が多すぎます。
なんだか将来の結婚生活の予告編を見ているようね。
そう、お金に泣く人は異性にも泣く。メカニズムは同じだからね。
そこで無駄遣いに悩みながら、無駄遣いを繰り返すすべての人に、マズローの欲求5段階説、ライナスの毛布、意欲とやる気の違いを通じて、お金神話を解析。
「貯金ゼロから楽しい投資戦略で資産づくり」でエンドレスにワンダフル!
マズローの欲求5段階説
心理学者のエイプラハム・マズロー(1908〜1970)が提唱した「マズローの欲求5段階説」によると、上の図のように人間には5段階の欲求があるといいます。
いちばん下位にある欲求が、食べ物や睡眠など、生きるために絶対に必要なものを手に入れたいという欲求。いちばん上位にあるのが、自分の持てる能力を最大限に発揮して最高の自分になりたいという「自己実現」の欲求です。
素晴らしい景観に建てた大邸宅。あるいは青く晴れた空の下、どこまでも続く青い海でのバケーション。といった欲求は、実は5段階の中でそんなに高くはありません。
「もの」は所詮「もの」でしかなく、あなたが本当に欲しいものではないからです。
世界の先進国、大国は、資本主義の都合で、外へ外へと幸せを追い求めるモデルしか提言できません。だからと言って、何かを欲しいと思うことに罪悪感を持つ必要はありません。
欲しいのなら、大邸宅でも、海辺の家でも、全神経を集中させ、堂々と欲しがればいいのです。
お金は身体とこころと環境をつなぐ大切なツール
欠乏欲求の範囲にある間は恐怖に支配されているので本当の幸せにあるとは言い難いのです。
成長欲求に入り慈悲慈愛の世界で身体とこころと環境を働かせた時、真の幸福に出会えます。お金は身体とこころと環境をつなぐ大切なツールになります。
ブッダは、モノや権力の代わりに不安や恐怖とは無縁な「涅槃寂静」という真理を見つけました。
そして誰もが覚ることを願って入滅(他界)されました。
「涅槃寂静」とは、覚りの世界(=涅槃)は、静やかな安らぎの境地(=寂静)であるという意味。
私たちは、長い100年人生を、エンドレスにワンダフルに過ごすことを願って協会を立ち上げました。もちろんプロセスが、終末、遺る人々、すべてがエンドレスにワンダフルであることを祈っているからです。エンドレスにワンダフルとは、後世が受け継ぎたいと思うような、あり方、生き方を親の背中から学びとる日々を実践することです。つまり「貯金ゼロからお金を増やす資産づくり」の実践です。
「ライナスの毛布」に集約される人生模様
幼児が、ボロボロのブランケットを肌身離さず持ち歩く光景を見たことはありませんか?お出かけも寝るときもいつも一緒で、新しい物を与えても見向きもせず、なくなると大騒ぎ。「どうしてここまで、こんなボロボロに執着するのだろう」と、不思議に思いますよね。
アメリカの漫画、スヌーピーの「PEANUTS 」に登場するライナスがいつも抱えている毛布がその象徴。「ライナスのブランケット」は「安心毛布」と呼ばれています。
幼い子どもがこだわりを持つお気に入りの物を「移行対象」と呼びます。
移行対象は、子どもがお母さんとの慣れ親しんだ二人の世界から、お母さんから離れて「外の世界」に適応していく過渡期に見られる現象です。注目すべきは安全への「執着心」(根本執着心)です。不安だけど、一歩外の世界に踏み出す裏には、マズローのいう生理的欲求から一段上の安全の欲求へのレベルアップが見られます。
成長と共に「外の世界」に足を踏み入れていくと、それまでの安心・安全を失うことへの不安も強くなります。(=二律背反)
そこで、母親に代わる安心の源として移行対象を心の拠り所にして、不安を癒そうとします。
「ブランケット症候群」と呼ばれている現象です。
「ライナスのブランケット」は、まさにこの移行対象の象徴です。外の世界の緊張を和らげるものとして、毎日使っているタオルやぬいぐるみなどお母さんの安らぎや匂いが感じられるものが無意識に移行対象として選ばれます。←ここがポイントです!
人間は言葉と思考でコミュニケーションしているように見えますが、それ以前に生(ナマ)の存在でテレパシーで真実のコミュニケーションしているのです。
愛着の絆がしっかり結ばれていることを感じると阿頼耶識に信頼をチャージ、子どもは勇気を回復、再び「もともとのいのち」に動かされて、外の世界へと歩いていけるようになります。
この状態を『マズローの欲求5段階説』に当てはめると、これまで「生理的欲求」しかなかった赤ちゃんが、もともとのいのちに突き動かされれ歩み出す「安全への欲求」となります。
「ライナスのブランケット」に「人生100年時代」の人のすべて、が集約されていますね。『マイ神話』とは、現実的ではないけれど恐怖から身を守る心の杖なのです。「ブランケット症候群」への理解が支えになります。
無駄遣いに悩みながら、無駄遣いを繰り返す悪いクセを止めるには、心の杖を別に用意します。
叶っていない理想を願うとストレスになる
「合格したい」と思う人は、合格していないので合格したいと思います。
すでに合格している人は「合格したい」とは思いません。
いま手に入っていない理想を、希望すると、いまは叶っていないことを認識するので、必ずストレスになります。ストレスと向きあうのはつらいので、お金がない人はお金を考えたくないのは自明の理です。他人事だと思っている人はなんでも言えますが当人には針のむしろに座った気分です。
「あの人が合格しますように」と祈願する場合、対象が「あの人」ですから、「叶わなかったらどうしょう」という恐怖を認識することはありません。願う行為の対象が自分になると事情は変わって「まだ叶っていない」不安と「叶わなかったらどうしょう」という恐怖を認識することになります。
人は自分のことしかわかりません。仏教では八識といいますが、表層心(顕在意識)に六識があり、深層心(潜在意識)に末那識(自我執着心)と阿頼耶識(根本心)の合計「八識」があるとされています。これだけで認識しているので、他人のことは想像するしかないのです。
「無駄遣いに悩みながら、無駄遣いを繰り返す」人は、不安いっぱい、やる気いっぱいのライナスと違い、自信過剰を装っていますが恐怖でいっぱいなのです。自分はこんなに優れている、すごいねと良いイメージで見られたいのです。本質的にはお金と関係のない領域の問題がお金に食い込んできてるのです。いくらスゴいと思ってほしくても、他人は想像しかできないので本当に無駄遣いになっています。
私はスゴいの見せ方の手順の間違いなので、マズローの欲求5段階説を使って整理すれば、貯金できるお金が出てくるはずです。
エンドレスにワンダフル
ストレスの苦しみを忘れるには、新しいストレスが有効です。
したくないことを忘れるために、したくないことをする。
恐怖には恐怖で対抗という漫画みたいなことを実際にやってしまうので驚きです。
「溺れるもの藁をも掴む」の喩えがあるように、「無駄遣いに悩みながら、無駄遣いを繰り返す」というのはもっとも手軽な方法のひとつです。
実際に借金の恐怖を忘れるためにさらに借金をして買い物をするという信じられないことが起こります。暴飲暴食、アルコール依存症、みんな同じパターンです。
貯金できない現状を変えられない人が多い理由が見えてきますよね。
真面目にストレスに対抗してストレスまみれになっている、無駄遣いを繰り返す人たちが気づくにはなにが必要なのでしょう。
意欲ではなく、やる気でお金は貯まる
「無駄遣いに悩みながら、無駄遣いを繰り返す」
無駄遣いを制するお金に対する意欲とやる気はそもそも同じでしょうか?
意欲は物事を積極的に成し遂げようとするさま。のことで、
やる気は、進んで物事をなしとげようとする気持ち。とあります。つまりどちらも同じです。
ただ、いま成し遂げていない理想を、希望すると、いまは成し遂げていないことを認識するので、必ずストレスになります。このストレスについて「意欲」と「やる気」は同じでしょうか。
違いははっきりしています。
意欲は欲ですが、やる気は動機(モチベーション)です。動機なのでストレスの質が違います。
ストレスには「快いストレス」「不快なストレス」があります。
好意を持った異性と出会ったとき生じるのは「快ストレス」
やる気から生じるストレスは「快ストレス」に近い。
マズローのいう「承認の欲求」は、他者に認められたい欲求なので、緊張が生じます。
承認の欲求を満たすと「自己実現の欲求」に進み、創造的な目的の実現が現れます。
自己実現の欲求です。我を忘れて無心で没頭する至高体験(フロー体験)ができるようになります。
意欲(=欲望)は緊張を強いますが、やる気は動機づけ(モチベーション)なので自分を解放します。意欲とやる気では、向かう方向が逆です。
やる気には、プロセスを楽しむ自主的な「こころ」があります。
自主的な行為とは、自分が対象になりきることなので、必然で無我になり執着がなくなります。
執着がなくなると、必然で無駄遣いはなくなります。緊張を強いてやる気(モチベーション)を作ることはできません。緊張の有無の違いは、楽しいか、楽しくないのか、その違いはお金デビュー(最初のお金体験)まで戻ります。
こころの無駄遣いをお金で忘れようとしない
お金デビューで承認の欲求を満たしていたらなら、お金は楽しいツールになっているはずです。
逆に否定されていたら、「お金は自分より価値がある」と認識しているので、お金は向き合いたくないツールとして記憶されています。
「お金に泣く人は異性にも泣く。メカニズムは同じ。」という理由はもともと感情体験の反映だからです。
「無駄遣いに悩みながら、無駄遣いを繰り返す」=こころの無駄遣いをお金で忘れようとしているので、こころも、お金も、報われません。必要なのは真逆の動き。自身の解放です。
解放すれば「こころが楽しければお金もよろこぶ暮らし」が叶います。待ってろ!ブッダさま。
「貯金ゼロからの楽しい投資戦略」が楽しい理由は、自分を閉じ込めていた牢獄から解放するからです。自ら望んでお金を正しく扱いことでお金も元気を取り戻し、無駄遣いに悩みながら、無駄遣いを繰り返す、相反する感情を同時に持ってしまうアンビバレンス(ambivalence)から救い出します。
同時に、アンビバレンス(ambivalence)に陥る心理のメカニズムの理解を深め、苦し紛れにいかにバカバカしいことに時間とお金を投資していたかを智慧として五体に陥し込みます。
どうしてもやる気が必要な場合には、「マインドフルネスなファイナンシャルプランニング」が心の杖になります。
バランスシートからスタートする
貯金ゼロの人は、視野が狭くなっているので、視野を広くして、可能性から始めましょう。
- なぜ貯金ゼロなのか
- バランスシートを作る勇気を出そう
- バランスシートを整えるとどうなるか
- 10000円貯蓄する(月)
「マインドフルネスなファイナンシャルプランニング」では、再度つなぐ作業に立ち会います。
「マイ神話」の代わりにいきいきゴエスが「ライナスのブランケット」になります。
お金に強い人・お金に弱い人
お金に「マイ神話」を信じている人ほど、不思議なことに家計簿やバランスシートを軽く扱います。逆にすぐにお金で解決しようとします。
ここから読み取れるのは。無自覚ですが自分よりお金の方が価値があると思い込んでいるようです。ことあるごとにお金で解決しようと反応します。
お金は万能の神のようであり、万能の神を支配しているような錯覚しているようです。
だからお金はいくらでもほしい。
おそらく、ずっとそうして暮らしてきた、人の優劣は財産で決める。
しかし根本にあるのは自身に対する無力感です。
無力感を隠すために人をこきおろして優位に立とうとする。
元気に明るく話していても、話しの内容に関心があるのではなく、自分が人より優れていることを語っている。認めてくれないと会話の脈絡に関係なく怒りだす。相手はなんで怒っているのか判らない。
すごいだろ。すごいだろ。と自慢して、すごいねと言ってもらえて、さて、幸せでしょうか?
自分の存在証明といえる内的欲求、成長欲求のレベルで暮らしてきてないのですから、自己肯定感が乏しい。自分よりお金の価値が高いと思い込んでいると幸せにはなれません。
お金に弱い人は潜在意識で自分よりお金の価値が高いと信じているので、お金にこだわります。こだわればこだわるほど不快感しか返ってこないで、ますますお金に弱くなります。「こころが楽しければお金もよろこぶ」こころを楽しませるためにお金を使えばお金は泣きます。
お金に強い人は、お金はお金は自分との約束を果たすためのツールなので、無駄遣いしないし、お金で優劣を決めません。なのでお金が寄ってくるので、こだわりが減少するので、ますますお金に強くなり、自分との約束を果たすために目の前のひとつひとつに集中、お金も同様に大切にするので、お金にも働いてもらいます。
まとめ
「無駄遣いに悩みながら、無駄遣いを繰り返す」のは、自分とお金の両方に間違った思い込みがあるので、是正します。
- 自分には価値がある。約束を果たすことに存在価値がある。
- お金は、自分との約束を果たすツールのひとつ。約束を果たすことに存在理由がある。
お金に強い人・お金に弱い人がいます。
- お金に強い人は、「お金<自分の価値」の人です。お金を使いこなします。
- お金に弱い人は、「お金>自分の価値」の人です。お金に依存します。
どちらも、ライナスのブランケットに働いてもらおうとしますが、目的は全く逆です。
お金に強い人は、成長欲求が強く、お金は自分との約束を果たすツールとして働いてもらいます。
お金とのつきあい方は、マズローの欲求5段階説と深い関係があります。
お金に弱い人は、自分が成長できないと思い込んでいるので、それを隠すためにお金に依存します。
お金で人間の価値を測り、自分の人間力の不足を防御します。
お金は人間の価値を測る道具ではありません。
お金に依存することは、決して幸せな生き方とはいえません。
ライナスのブランケットのような使い方をしているのは、お金に強い人でした。
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