社会人基礎力|主体性の鍛え方:内なる批判者に行動で反論できる

ゲンキポリタン大学
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交流分析で掲げる人間のライフスタイルには4つあります。

  • I’m OK ,You are OK (人はみんなOKである)です。 これ以外のパターンには
  • I’m OK,You’re not OK.(自分は肯定、他者はダメである)
  • I’’m not OK,You’re .OK,(自分はダメ、他者はOKである)
  • I’m not OKYou’re not OK.(みんなダメだ)

SNSでは、日夜、批判的な言葉が飛び交っていますが、I’m OK ,You are OK (人はみんなOKである)のスタイルのヒトなら逃げ出したくなるのではと思いますが、攻撃的な言葉の裏には、内なる批判者との戦いが日夜続いているではないかと思います。

社会人基礎力|主体性の鍛え方:内なる批判者に行動で反論できる

自分の心のなかに住んでいる「批判者」に気づいたことがありますか。内なる批判者は「お前はダメな奴だ」「お前は情けない奴だ」「みんなより劣っていることを知ってるだろう」「お前なんか何をやってもダメだ」と自分に呼ぶかけてくる批判者のささやきに、うなだれることはありませんか。

批判者は、物心ついてから、親や教師など権威者から言われ続けたネガティブな言葉の集積です。
つまり知らない間に、他者の価値観で生きるようにコントロールされているのです。主体性のあるヒトはこれに反論します。

自身が主体的に生きようとするなら、まず批判者を認識して、さらに内側にいる批判者の存在に気づくことです、そのうえで反論をするのです。自分の好きなことをするなり、自分の良識ある価値観に基づいた行動を選択するようにします。

自分の内側にいる批判者は、過去と失敗にこだわりますが、主体的に生きようとするものはマインドフルネスを味方にして、対象になりきって、未来と成功に集中すればいいのです。誰も入れないし出ることもできない一人一宇宙の住人なのですから。

さらに気をつけるべきは、批判より恐ろしい禁止令です。

禁止令とは、親(養育者)から子どもに伝達される「・・・するな」というメッセージです。

禁止令に反論しよう

国際交流分析学会(ITTA)の会長も務めたアメリカの医学博士グルーディング夫妻は、人生のいまここに大きな影響を与える親から子供に埋め込まれる13の禁止令を紹介しています。

  1. 実行するな
  2. 存在するな
  3. 自分自身であるな
  4. 自分の性であるな
  5. 子供であるな
  6. 成長するな
  7. 成功するな
  8. 重要であるな
  9. 所属するな
  10. 近づくな
  11. 健康であるな
  12. 考えるな
  13. 感じるな
100年時代のライフプランを破壊する13の禁止令
禁止令とは「閉じ込められた世界」にいるようなものです。禁止令の外の世界はどうなっているのかと疑問を持つのが気づきです。 気づけば、疑問をクリアするために、壁、扉の向こうに行くと外の世界を知ることができます。外にあるのはライフプランです。認知の歪みと禁止令が埋め込まれた人生脚本から脱却するもっとも効果的な方法を提案しま...

禁止令の事例

  • お前は身体が弱い。働いてはいけない(健康であってはいけない)
  • お前は頭が悪い。勉強してはいけない
  • お前が男(女)であることに落胆した。自分の性(男or女)であるな
  • 人は働くために生まれた。楽しんではいけない
  • お前には取柄がない。自分を大事な人間だと思うな
  • 泣く子は嫌いだ。自然な感情を表してはいけない
  • 世の中は危険がいっぱいだ。なにもするな。(存在するな)
  • 異性は信用できない。愛情を求めてはいけない。
  • お前には能力がない。成功するな。
  • お前はひとりでは何もできない。親から自立するな。
  • お前は肝心なことができない。重要な人になってはいけない。
  • 仲間入りをしてはいけない。孤独でいろ。
  • 近寄るな、じっとしていろ。めだってはいけない。

以上、12の禁止令のなかから、ひとつ紹介しておきましょう。

禁止令:「自分の性(男or女)であるな」

「自分の性(男or女)であるな」の禁止令は、親が望んでいたのと違った性に生まれた子どもに最も多く与えられるものです。

アーネスト・ヘミングウェイの場合

禁止令の事例で、もっとも有名なのは、文豪アーネスト・ヘミングウェイではないでしょうか?
ヘミングウェイは男性的な作家として有名ですが、意外にも幼少の頃は女の子のように育てられました。

アーネスト・ヘミングウェイは、父クラレンス・エドモンド・ヘミングウェイと母グレイス・ホ-ル・ヘミングウェイの間に第二子としてして生まれました。

女の子を欲しがっていた強い母親のもとで、4歳まで姉と同じ格好をさせられ女の双子に見えたといいます。

ある日には父親の大事にしていたものを母親が焼いてしまい、子どもだったヘミングウェイはその残骸を父親が拾い集める姿を目撃しています。厳格な父親の心が強い母親と、従順な子どもの心が強い父親が目に浮かびますが、ヘミングウェイは父の姿に自分を重ねて落胆したと思います。

ヘミングウェイは10歳のときに父親から猟銃をプレゼントされ、よく魚釣りや狩猟に連れていってもらったようです。

父クラレンスは禁酒禁煙で勤勉なプロテスタントでしたが、魚釣りや狩猟を好んだといいます。

おそらく従順な子どもの心が強い父と、無邪気な子どもの心が強い母、その裏返しに厳格な父親の心が強かったのではないかと両親の自我状態を想像します。

一方で、幼児期のヘミングウェイが母親の愛情を十分に得ることができず、甘えられないまま怒りを内面に抱きながら成長していったことが読み取れます。

ヘミングウェイの父は、銃を教え、釣りを教え、男性の規範を教えたようです。
一方、母親グレイス・ホールは裕福な家の出身で女の子を欲しがっていました。

母親は、長男アーネスト・ヘミングウェイに4歳まで姉と同じ服装で女の子の格好をさせました。
「双子の姉妹」という虚構にご満悦。そのために母親は姉のマーセリンを1年余計に幼稚園に通わせています。さらにヘミングウエイを女の子の名前(エルネスティーン)で呼んだそうです。

父から教わった規範もあり、成長に伴い引き裂かれた性からヘミングウェイは自分を奪い返すかのように無鉄砲な行動を続けます。戦場では銃弾が飛んでくるなかで平然と昼食を摂っていたといいます。男性的なイメージとの葛藤は続き、マラリア、炭疽病、肺炎、赤痢、皮膚ガン、肝炎、貧血症、糖尿病、高血圧症、躁鬱病、2回の飛行機事故、腎臓破裂、脾臓破裂、肝臓破裂、脊椎骨折、頭骨骨折。血と怪我の災難を繰り返し、最後は父親のように銃による自殺で人生を終えました。

自殺の歴史は当人だけで終わりませんでした。

さらに妹アーシュラ・ヘミングウェー(六人兄弟の三番目、アーネストは二番目)も1966年の8月30日、癌とうつ病を苦に、薬物の過剰摂取により自殺します。

姉のマーセリンも自殺説があります。

弟のレスター・ヘミングウェイは、アーネストと同じく作家になり、『トランペットの音』など6冊の本を書きました。

1961年に出した『ぼくの兄、アーネスト・ヘミングウェイ』がベストセラーになりました。

その金でカリブ海に人口島をつくりニューアトランティスという独立国家をつくります。
ニューアトランティスの大統領になりましたが、数年後、島はハリケーンによって崩壊。
父クラレンスと同じく糖尿病に苦しみ、1982年に22口径の拳銃で自殺します。

ヘミングウェイを含め、6人兄弟の中、4人が自殺したのです。父と併せて5人です。

「存在するな」そしてもうひとつ「お前であるな」という禁止令があったと想像します。

三男 グレゴリー・ヘミングウェイの悲劇「獄中死」

アーネストとグレゴリー

ちなみに、父クラレンスの自殺後、1931年に2番目の妻ポーリン・ファイファーとの間に生まれた息子(三男)のグレゴリー・ヘミングウェイは医師でしたが終生、性別違和症候群に悩み、性転換手術を受け、その後は「グロリア」を名乗ったといいます。

男性として5回も結婚~離婚を繰り返し8人も子供を設けましたが、アルコール中毒に苦しみ、放浪を繰り返しました。

フロリダ州マイアミを裸で徘徊し公然わいせつなどの疑いで2001年9月末に逮捕され翌10月、拘置所の女子房内で獄死。69歳の病死でした。

ワシントンポストのインタビューで父ヘミングウィーへの憎しみをあからさまに語っていたといいます。「愛情あふれ、威圧的で、善意のつもりの父親のもとでは子どもがダメになる」と父ヘミングウェイを嫌悪していました。グレゴリーはアンビバレントな言動についていけなかったことを言ったのだと思います。

それこそアーネスト・ヘミングウェイが父母から学んだことで、反抗期のヘミングウェイが何度も家出を繰り返して、イタリアへボランティアで戦線に参加したことからも読み取れます。

狂気に自ら接近したヘミングウェイ

戦争への接近は、 戦争の実体を知らない若い世代に吹き込まれた理想主義という狂気 、すなわちドイツ皇帝を絞首刑にして、世界に平和をもたらすという目的がありました。
ヘミングウェイにはこれ以上ないタイミングで訪れた死臭でした。

そこで迫撃砲弾に よる全身227カ所に及ぶ 負傷を負い、手術の回数は10回を超えたと言われています。

看護師アグネスとの恋

武器よさらば

そこで「武器よさらば」のモデルとなった看護師アグネスに出会い恋に陥ちます。

ヘミングウェイは18歳でイタリアの戦線に赴きます。
全身を負傷し赤十字病院に入院。そこでアグネスという7歳年上のアメリカ女性(看護師)と恋に陥ちます。

アグネス・フォン・クロウスキー

アグネス・フォン・クロウスキーは何者だったのでしょう?
  B「年上の悪い女にだまされたキッド(坊や)が男へと成長していく物語」の主人公ではありません。アグネス・フォン・クロウスキーは良家の出身で美人。教育も受けていて、一般にどの点からみても申し分のない女性です。

イタリアとアメリカを結ぶ遠距離恋愛になりますが、実りませんでした。


イタリアとアメリカの遠距離恋愛になってしまったアグネスとヘミングウェイ。
二人は文通を通して関係を維持しますが、退役後ヘミングウェイは友人のお金で一緒に旅行に出かけます。
アグネスは、働かないヘミングウェイに苛立ちを覚えます。
やがてアメリカに帰国しますが、それでも働かず、毎日ブラブラして過ごします。

アグネスはヘミングウェイより7歳年上、はっきりしないヘミングウェイとの別れを決意。他の男性との結婚を選択します。
二人は結婚を望んでいましたが、アグネスはヘミングウェイを見切ります。

この恋もアンビバレンスな恋です。
アンビバレンスとは、同一の対象に対して、愛と憎しみのように相反する感情を同時に持つこと。両面価値ともいいます。

ヘミングウェイは、アグネスの気持ちがわかっていたはずですが、自ら避けたとしか言いようのない行動でした。
その後、結婚したアグネスに恋する気持ちを伝えますが、すでにアグネスには夫がいました。

アグネスの影を慕った結婚と反抗

アグネスと同じく7歳年上のエリザベス・ハドリー・リチャードソンと結婚。長男ジャックが生まれています。

エリザベスはヘミングウェイの父クラレンスが自殺する以前からヘミングウェイに自殺衝動があったことを告白してします。

(エリザベスとの間に誕生した長男ジャック)

2番目の妻と結婚することで改宗しているのも、父親への反逆だったように思います。
その反抗は独立宣言であり、生きていくために精一杯のあがきだったような気がします。

2番目の妻ポーリン・ファイファー、

1928年6月。帝王切開の末、次男パトリックが誕生。8月「武器よさらば」完成。

同年、1928年12月6日。

先述したように、父クラレンス・エドモンズ・ヘミングウェイは闘病と生活苦の末、父親(祖父)のリボルバーで命を絶ちます。
アーネストは特に青年期から両親と折り合いが悪かったのですが、父の自殺によってますます母グレイス・ホールを憎んでいたと言われています。銃を送ってきたのは母グレイス・ホールだったからです。

父クラレンスの自殺後、1931年に2番目の妻ポーリン・ファイファーとの間に生まれた息子(三男)のグレゴリーが誕生。
前述したように、グレゴリーは、終生、性別違和症候群に悩み、性転換手術を受け、その後は「グロリア」を名乗りましたが、悲惨な最期で人生を終えます。

(ヘミングウェイとグレゴリー)

3度目の妻マ-サ・ゲルホ-ン

メアリ・ウェルシュ(Mary Welsh)と4度目の結婚、子どもなく、ヘミングウェイの最後を看取ります。 もっともヘミングウェイを理解した女性だったのかもしれません。

その後、ヘミングウェイは、マ-サ・ゲルホ-ンと3回目の結婚、二人の間に子どもはいません。
マ-サは作家で野心的な女性。ふたりの関係は「誰が為に鐘は鳴る」の元ネタになりました。

ヘミングウェイは、嫌っていた母親と似たような女性と結婚したことを後悔。
もっとも短な結婚生活になりした。
TVドラマ「HEMINGWAY & GELLHORN」でニコールキッドマンがマ-サ・ゲルホ-ンの役を演じています。

しかし、この結婚でヘミングウェイは、マ-サ・ゲルホ-ンに多くの女ともだちを見せつけています。
まるでマーサを傷つけることを楽しんでいたようです。

4度目の妻メアリ・ウェルシュの証言

4度目の妻メアリ・ウェルシュの証

メアリは晩年、躁鬱病のヘミングウェイに苦労しますが、最後まで夫婦生活を送った我慢強い女性でした。

何度も裏切られて酷い目にあわされましたが「私はどんなことがあってもこの家から出て行かない」ときっぱり。 最後まで家庭を守り、夫婦生活を送った我慢強い女性でした。

夏目漱石の妻、鏡子を連想させます。 メアリ・ウェルシュは、「私とアーネストはベッドの中ではともにアンドロギュノス(両生具有)だった」と語っています。
それは単に攻める側、攻められる側という意味かも知れません。 しかし精神的にそうであったことは結婚の系譜をからも解ります。

そこには「愛と憎しみ」が同時に起こるという「両面価値」が浮かびます。 そのルーツは、父を愛しながらも憎み、母に愛されたいと願いながら憎んだ感情の混乱がありました。

孫娘、マ-ゴ・ヘミングウェイの自殺

アーネストの孫娘、マ-ゴ・ヘミングウェーは、最初の妻、7歳年上のエリザベス・ハドリー・リチャードソンとの間に生まれたアーネストの長男ジャックの子ども(長女)であり、モデル、女優として活躍しました。

マ-ゴ・ヘミングウェイが1996年の7月1日、薬物の過剰摂取により自殺。

ヘミングウェイ家6人目の自殺者になりました。

マーゴ・ヘミングウェイ(1954年2月16日生まれ)

姉 ジョーン・ヘミングウェイ

妹 マリエル・ヘミングウェイ(1961年11月22日 生=アーネスト死後)

三姉妹の末っ子であり、ウディ・アレン監督「マンハッタン」でアカデミー賞助演賞候補にもなったマリエル・ヘミングウェイ。

マリエルが、父ジャック(アーネスト・ヘミングウェイ長男)から性的虐待を受けていたことをふたりの姉たちが告白しています。

姉のマーゴは、夫の勧めでモデルになるや、183cmの長身を活かし、『ヴォーグ』、『コスモポリタン』誌のカバー・ガールとして瞬く間にトップ・モデルに、さらに1976年には映画「リップスティック」で女優としても成功、しかし次第に「ヘミングウェイの孫」というブランドが重荷になり、思うようにならなくなり、雑誌「プレイボーイ」でヌードになり話題を集めました。

(エロル・ウェトソンととの結婚式)

1975年エロル・ウェトソンと結婚。1978年離婚。

1979年にバーナード・フォシエと再婚するも1986年に二度目の離婚。

休暇中、スキー事故に遭遇、9ヶ月の静養中、アルコール依存症に陥ります。

1987年、マーゴ・ヘミングウェイは、アルコール依存症のリハビリ施設へ入所。

マーゴはアルコール依存症の他に拒食症、双極性障害、失読症、てんかん、などの問題を抱えていました。

どこか祖父アーネストを彷彿させます。

1996年7月1日。祖父アーネスト・ヘミングウェイ自殺から丁度35年のその日。

マーゴ・ヘミングウェーは抗不安薬の過剰摂取で自殺。

サンタモニカのアパート、自宅ベッドに横たわり、枕に脚をかけ、本を膝に置いた状態で発見されました。

祖父アーネスト・ヘミングウェイの墓の近くに埋葬され、マーゴの墓石には「解き放たれた自由な魂よ」と記されています。

生前、マーゴ・ヘミングウェイは『私たち一族には、遺伝子に自殺することが埋め込まれているみたい。・・・しかし私はそんなことにはならない』と語っていました。しかしその思いとは裏腹に怪我、癌、うつ病、薬物の過剰摂取、そしてアルコール依存症、ついに自殺まで引き寄せたのです。

文豪アーネスト・ヘミングウェイの父の自殺から数えて、一族で6人目の自殺者になってしまいます。

さらに2人が自殺という呪われた家族になったようです。

社会人基礎力①|3つの能力と12の能力要素
自己マスタリーのよろこびは成長の実感です。もっと努力しておけばよかったと反省することもあると思いますが、考えるべきは、いま・ここ・この瞬間からの成長です。しかし、成長のために、具体的に何をすればよいのか分からないという方も多いでしょう。そんなときは「社会人基礎力」を見直すことで、成長への糸口を見つけるのはいかがでしょうか。

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