200歳まで「地上の楽園」で面白く愉しんで暮らす方法

習慣化 200年ゴエス
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コスモポリタンは国籍を超越した国際人のことですが、 ゲンキポリタンは、自ら動いてウェルビーイングを巡り合わせよく繋いで周りを「し合わせ」で幸せにするお愛でたい人、その基準は「あるべきようわ」です。ゲンキポリタン

万葉仮名で強調した「阿留辺幾夜宇和(あるべきようわ)」の七文字を壁に刻んだ高山寺(こうざんじ)石水院は、京都市右京区梅ヶ畑栂尾町(とがのおちょう)にある真言宗系単立の寺院。山号は栂尾山。本尊は釈迦如来。 栂尾は京都市街北西の山中に位置する。創建は奈良時代と伝えるが、実質的な開基(創立者)は、鎌倉時代の明恵(みょうえ)上人です。

三宝院沙門
三宝院沙門

こんにちは。愛が溢れる200年婚のために、歩き遍路であるべきようわを愉しむFP.アセットドクター、ゲンキポリタン三宝院沙門です。「涅槃寂静」とは、サンスクリット語で「地上の楽園」のことです。200歳までを「地上の楽園」で暮らして、エンドレスにワンダフルに暮らす方法にロックンロール。

荒廃した寺を世界遺産にまでした釈迦への想い

鳥獣人物戯画

鳥獣人物戯画

もともとここにあった神護寺の子院が荒廃した跡に神護寺の文覚の弟子であった明恵(1173年2月21日〜1232年2月11日)が入り寺としたものです。
鳥獣人物戯画」をはじめ、絵画、典籍、文書など、多くの文化財を伝える寺院として知られています。境内が国の史跡に指定されており、「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されている。

釈迦への思慕の念が深い明恵は『大唐天竺里程記』(だいとうてんじくりていき)をつくり、天竺(インド)へ渡って仏跡を巡礼しようと企画したが、企画書は現存されていますが、その日程は驚くほど正確なものでしたが、春日明神の神託のため、これを断念した。

明恵上人の人柄は、無欲無私にして清廉、なおかつ世俗権力・権勢を怖れるところがいささかもなかった。
高山寺石水院の壁に万葉仮名で強調した「阿留辺幾夜宇和(あるべきようわ)」の七文字こそ、人は「あるがままに」生きるのではなく、今、どのように生きるべきなのか(あるべきようは)を常に自らに問いかけ、その答えを生きようとすべきなのだと説かれたのです。

親は親として精一杯の愛情を子供に注ぎ、子供は子供として、その愛情を精一杯受けて、よい関係を保ったたまま親子としての生を全(まっと)うすることに尽きるようです。親としての立場、子としての立場、農家としての立場、漁師としての立場、教師としての立場、公務員としての立場、警察官としての立場、その視点に立って明恵は、法然を批判した『催邪輪』の中で、「現世のことはどうであっても、後生だけ助かればいいなどと説いている経典はないと否定したのです。両者は主義の違いとは別に友好的な関係を互いに保ち続けました。

釈迦は、「バラモン教のような苦行は必要ない。世の中の真理を順序よく理解していけば、煩悩から解き放たれて悟りを開くことができる。そうすれば安らぎを得ることができる。」と言ったのです。明恵の打ち立てた華厳密教は、晩年にいたるまで俗人が理解しやすいようさまざまに工夫されたものでした。明恵は、釈迦の説いた戒律を重んじることこそ、その精神を受けつぐものであると主張し、生涯にわたり戒律の護持と普及を身をもって実践したのです。

阿留辺畿夜宇和(あるべきようわ)

あるべきようわ

この二股に分かれた縄床樹と名付けられた松の樹にまたがって坐禅する明恵上人の絵「明恵上人樹上坐禅像」を見ると、明恵という人がどんな人であったかがよくわかります。

明恵上人は、大きな寺を建てたり、一宗一派を開いたり、仏の教えを布教して回ったり、といったようなことには興味がなかったのでしょう。

ひとり山の中にこもって、樹上で座禅を組み、瞑想、あるいは観想に耽る。

インドに行くと熱望していたのが、身の回りの小さなことから全ては繋がっていると悟ったときから、このような瞑想に耽るようになっていったのではないでしょうか。
「高山寺の上の山を、釈迦の遺跡になぞらえて、楞伽山(りょうがせん)と名づけ、常にそこの木や石に坐って、坐禅を行なっていた。」といいます。
それが一番しっくりくるようなタイプの坊さんだったのではないでしょうか。

若い頃から故郷である紀州にしばしば戻っていますが、そこでも、白上の峰という山にこもって修行しています。

そういう意味では、明恵上人って、華厳宗の僧でありながら、やっていることは密教や禅宗の僧に近いと言えるでしょう。もっとも大乗仏教の本質を手掴みで、掴んだお坊さんだったと思います。

200年婚、整理収納のゴエス
モノの心はヒトの心と同じです。同じってことはヒトにいのちがあるように、モノにもいのちがあるんです、整理収納はいのちの生かし方です。 私たちの生活の基盤は愛する家族と暮らすことです。その上で仕事ややりたいことがあります。もしそれらがなくて整...

宗派を超えて釈迦の戒律に生きた明恵上人

高山寺

つまり自分のし合わせは、自分の内側にしかないとわかっていたら、外側に探し回って費用と時間を無駄にして後悔することはしないでしょう。その分、金融資産と無形資産をしっかり育てて役に立てる使い方をするようにしましょう。ライフプランも逆算でハッピーな老後生活も組み立てられます。しかし、正解はありません。失敗することもあります。だから自分の価値観と戒律、八正道を大事にして「あるべきようわ」をバックボーンにして家族の役に立とうとします。それは希望になります。希望のないところに精神の支柱は育ちません。

そのいい例が映画俳優の北大路欣也さんです。すでに老人ホームで生活されていてお仕事も普通にこなしていらっしゃいます。「春の園遊会」では、ご夫婦揃って天皇陛下ご一家と歓談されていましたね。

老人ホームという定義は、さまざまですが、一般的に3つの施設が「老人ホーム」と呼ばれ、①介護付き有料老人ホーム②住宅型有料老人ホーム③サービス付き高齢者向け住宅などがあります。実際に50歳代でご夫婦で『老人ホーム』で生活されています。「老人ホーム」ってイメージを勝手に作っていませんか?暮らし方が大切なのです。

明恵上人の人柄は、無欲無私にして清廉、なおかつ世俗権力・権勢を怖れるところがいささかもなかった。
高山寺石水院の壁に万葉仮名で強調した「阿留辺幾夜宇和(あるべきやうわ)」の七文字こそ、人は「あるがままに」生きるのではなく、今、どのように生きるべきなのか(あるべきようは)を常に自らに問いかけ、その答えを生きようとすべきなのだと説かれたのです。

親は親として精一杯の愛情を子供に注ぎ、子供は子供として、その愛情を精一杯受けて、よい関係を保ったたまま親子としての生を全(まっと)うすることに尽きるようです。夫としての立場、親としての立場、子としての立場、農家としての立場、漁師としての立場、教師としての立場、公務員としての立場、警察官としての立場、その視点に立って明恵は、法然を批判した『催邪輪』の中で、「現世のことはどうであっても、後生だけ助かればいいなどと説いている経典はないと否定したのです。両者は主義の違いとは別に有効な関係を互いに保ち続けました。

釈迦は、「バラモン教のような苦行は必要ない。世の中の真理を順序よく理解していけば、煩悩から解き放たれて悟りを開くことができる。そうすれば安らぎを得ることができる。」と言ったのです。明恵の打ち立てた華厳密教は、晩年にいたるまで俗人が理解しやすいようさまざまに工夫されたものでした。明恵は、釈迦の説いた戒律を重んじることこそ、その精神を受けつぐものであると主張し、生涯にわたり戒律の護持と普及を身をもって実践したのです。

四諦を八正道で解決する

四諦

四諦(したい)または四聖諦(ししょうたい)とは、お釈迦様が説いた明らかな4種の基本的な真理。苦諦集諦滅諦道諦のこと。(四真諦や苦集滅道ともいいます)。

  • 苦諦(くたい)・・・・迷いのこの世は一切がである真実。
  • 集諦(じったい)・・・苦の原因煩悩・妄執、求めて飽かない愛執である真実。
  • 滅諦(めったい) ・・・・ 苦の原因の滅という真実。無常の世を超え、執着を断つことが、苦しみを滅した悟りの境地である。
  • 道諦(どうたい) ・・・・ 悟りに導く実践という真実。
    悟りに至るためには八正道によるべきであるということ。

八正道が熱い!

八正道

八正道のあり方こそ「あるべきようわ」の基準、マイスタンダードとして心の支柱になるべきものです。具体的には、なすべき課題はマンダラチャートになるでしょう。しかしマンダラチャートに取り組むあり方は八正道になるはずです。八正道

1.正見(正しい見解)

八正道、最初のステップで、正しい見解を持つと、マインドフルネスへの気づきに早く到達します。繰り返し伝えたいのは涅槃寂静はサンスクリット語で「地上の楽園」ことです。四諦から解放された世界に達する「八正道」は、どこか遠くにあるのではなく、自分の手の中にあります。

トレーニングの最初の段階での正しい見解をマスターできると、他の八正道の項目(特に正念、正定)に進むので、さらに深い正しい見解を持てるようになります。

正しい見解が進んでくると、三毒について正しい見解を持つことができるので、三毒を楽々と越えることができます。

三毒とは、貪・瞋・癡(とん・じん・ち)」のことで、六大煩悩の内の三つの煩悩です。

三毒は人間の諸悪・苦しみの根源とされています。因果応報、物事には原因がある。

善いことは善い原因によってもたらされ、悪いことは、悪よ原因によってもたらされる。つまり蒔いた種は必ず生え育つという意味です。

貪・瞋・癡・慢・疑・悪見

三毒について

貪・瞋・癡・三毒をマインドフルネスで燃焼する
六大煩悩とは、貪(とん)・瞋(じん)・癡(ち)・慢(まん)・疑(ぎ)・悪見(あっけん)という、6種類の煩悩です。 「貪(とん)・瞋(じん) 」については、こちらに書きましたので、参考にしていただくと幸いです。 …

2.正思惟(正しい考え)

正しい考えを持つことは、マインドフルネスに気づく正しい道であることをマスターします。

3.正語(正しい言葉)

正しい言葉を発することは、マインドフルネスを気づく正しい道であることをマスターします。

嘘偽り、人を傷つけるようなことを話さず、真実のみを愛を持って述べる。

特に、最近は、「バカばっかりだ」が口癖になっている方が増えています。

最近の事象を見ていると確かにそうですが、口癖になるのには原因があります。

三毒(煩悩)が効いているのです。

4.正業(正しい行為)

正業とは正しい行為のことです。正しい行為をなすことは、マインドフルネス(没入)に気づく正しい道であることをマスターします。

正しい行い

5.正命(正しい生活)

正しい生活を行うことは、マインドフルネスを気づく正しい道であることをマスターします。正しい道とは、自灯明、法灯明」であり、その縁起で「自利利他」が可能になります。

たとえば、あなたにとって、子育てのゴールはなんでしょう?

「子育ての基本はいい学校に入れる」になっていないでしょうか?
あるいはお金をかけてでも、いい学校に行かせたいと思っていないでしょうか?
親の愛だと思っていませんか?マインドフルネスに気づく正しい道であることをマスターします。

マインドフルネスをマスターすれば、お金も使わず、自然と「正しい生活」にあなたを導きます。

6.正精進 (四精進、四正勤、四意断)

正精進 / 四正断(断断、律儀断、随護断、修断)のことで、実践する行動が、マインドフルネスを気づく正しい道であることをマスターします。

正精進は四正断ともいい、四正断は、四精進、四正勤、「四意断」(しいだん)とも言われますが、意味は同じです。主に三毒への対処方法です。

に気づく正しい道であることをマスターします。

四正断(四精進、四正勤、四意断

  • 断断 ・・・・ 既に生じた悪を除くように勤める
  • 律儀断 ・・・まだ生じない悪を起こさないように勤める
  • 随護断 ・・・まだ生じない善を起こすように勤める
  • 修断 ・・・・ 既に生じた善を大きくするように勤める

7.正念 / 正しい四念処(しねんじゅう))

正念つまり正しい四念処(しねんじゅう)とは、身念処、受念処、心念処、法念処のことです。
観察する瞑想はマインドフルネスを気づく正しい道であることをマスターします。

いわゆる「マインドフルネス瞑想」とは、このことを言ってます。

三十七道ほん最初修行法。瞑想を通じて、四念処(身念処、受念処、心念処、法念処)を整えます。

四念処

身を不浄とする身念処、感受するものすべて苦とする受念処、心は無常とする心念処、法は無我であるとする法念処の四つをいいます

  • 身念処(身念住) -・・・・身体の不浄を観ずる(不浄観)
  • 受念処(受念住) ・・・・ 一切の受は苦(ドゥッカ)であると観ずる(一切皆苦)
  • 心念処(心念住) -・・・・心(チッタ)の無常を観ずる(諸行無常)
  • 法念処(法念住) ・・・・ 法の無我(いかなる事象も自分に非ず)を観ずる(諸法無我)

8.正定 (四神足・正定・禅定)

正定とは、四如意足(欲如意足、精進如意足、心如意足、観如意足)のことです。

四如意足((しにょいそく)とは、四神足(しじんそく)ともいいます。

四神足(しじんそく

  • 欲神足 (chanda-iddhipāda) ・・・・すぐれた瞑想を得ようと願うこと
  • 勤神足 (viriya-iddhipāda) ・・・・・すぐれた瞑想を得ようと努力すること
  • 心神足 (citta-iddhipāda) ・・・・・心をおさめて、すぐれた瞑想を得ようとすること
  • 観神足 (vīmaṃsā-iddhipāda) ・・・ 知慧をもって思惟観察して、すぐれた瞑想を得るこ

八正道、地上の楽園で過ごす約束。

善財童子

心を平安に保ち執着(煩悩)を減少させる事がマインドフルネスな暮らしに近づきます。

つまり自由になるという意味です。

心を乱し執着(煩悩)を増大させる事が自分を束縛します。自分らしくなれない、暮らせないということですね。

アルコール依存症者を考えてみましょう。
アルコール依存症になるメリットは、一時的に自分を忘れるので、自分が気にしていること、苦痛から逃げることができます。
つまりお金を使うことは苦痛から逃げる、もっとも簡単な行為です。

でも、節約はとっても面倒です。継続しないと効果がないからです。
心を平安に保っていないと継続できません。

ここがポイントです。


節約とは3つのポイントを繋いだひとつの道です。

戒めを意識して、本質の理解を深めて「継続する力」を育むことです。

正しい行動や考え方、正しい生活ができるようになるには、

つまりマインドフルネスには、節約した生活の実践が必要なのです。

なので、子育てにはお金をかけないことが、自立させる意味で重要な意味を持ちます。

最高の人生脚本に書き直す方法
映画は脚本がいのちです。どんな名監督でも脚本がつまらないと、いい映画にはならないといいます。あなたの人生脚本は面白くて素敵ですか?エンドレスにワンダフルな物語の上であなたは最高の名演技を期待されています。一生一度きりの人生をつまらない人生脚...

両界曼荼羅に集約されている「あるべきようわ」

両界曼荼羅

人は阿留辺畿夜宇和と云う七文字を持(たも)つべきなり。僧は僧のあるべき様、俗は俗のあるべき様なり。乃至、帝王は帝王のあるべき様、臣下は臣下のあるべき様なり。此のあるべき様を背く故に、一切悪しきなり。」と鎌倉幕府の時代に説かれたのです。

巷に氾濫する「あるがままに」「私らしく」は、現状を受け入れ肯定しているのに対し「あるべきようは?」とは、本来あるべき理想像を問いかけ「そのものらしさ」を大切にして道を進むことを教えています。

「あるべきようわ」の七文字は、常に自分自身を戒め、すべては繋がっていることを教え、あるべき理想を問いかけ、本質に誘ってくれます。
インドに行くことを熱望していた明恵上人が生まれ故郷の湯浅の海から遠くに霞む四国を見ていて気づいたのはすべては繋がっていると悟ったからでした。光る海の輝きも、浄土の輝きなのだと気づいたのです。

DO目標(すること)を書き込んだ『いきいきマンダラ』BE目標(あり方)を書き込んだ『きときとマンダラ』にひと(あなた)は集約されています。

両界曼荼羅というあなただけの「のれん(ブランド)」を般若のゴエスでくぐるとき、四諦と八正道の結界を越えるのです。その時、自分の内側にある自分を愉しむ力・・・200年人生をエンドレスにワンダフルに暮らす「とんがるモチベーション」はウェルビーイングから生まれ、あなたは涅槃寂静に入ります。

マンダラチャート(両界曼荼羅)

般若の心を調える


四諦という苦しみ、八正道という不慣れに対峙して、般若の心を調える方法は2つです。

  • ひとつはあり方です。あり方はまよったときに羅針盤になっていくれます。「阿留辺幾夜宇和(あるべきようわ)の七文字です。
  • もうひとつは、あなたが歩む旅の行程を書いたBe目標であり、周活・週活・終活のDo(目標)を書いたマンダラチャートです。

アセットドクターやりたいことマップは、心豊かなライフステージを実現するためのもので、普遍的なものです。マンダラチャートで実現することと合わせて、個性が滲み出る物です。山に登ることと似ています。理想と現実は違うというのは簡単ですが、それをいう資格があるのは、登った人、なんらかの事情で断念した人です。登った人、断念した人も。お釈迦様が言われたように想像力を駆使して対峙したことでしょう。ヒトは本来無一物なのです。本来無一物とは、事物はすべて本来空 (くう) であるから、執着すべきものは何一つないということです。般若心経のこころを「あるべきようわ」に して思い切りやってみるって楽しくありませんか。

葛藤

思い切りやったからって、夢のような結果を期待するわけではない。ほどほどでいいんです。面倒くさい、やりたくない、心の葛藤を排除できたらいいんです。いくらでも葛藤はやってくるんだから。
できるまでやり続けた話はいくら自慢したって役に立ちます。

マンダラチャート(ブランク)

両界曼荼羅はすること、あることの2つの世界のことです。いままで見ていて男性はすることに関心が高い一方、あることには苦手。女性は逆ですね。どちらもやりきればやった先に余裕がキラキラして、見えてくる物があります。

旅をするために旅をする

大人になるとほとんど押し付けられたルールでくらしています。家庭内のルールですら他人の価値観で牛耳られています。毎日の生活を自分たちのルールである「あるべきようわ」で動いて200年愛し合う200年婚はその反発の意味もあってオススメしています。だってやりたいことマップもマンダラチャートも原点は愛あればこそなんだからね。

善財童子の教え

善財童子

華厳経の入法界品には、善財童子が五十三人の善知識を尋ねて真実を求めてゆく旅の物語がえがかれています。この五十三人というのが、東海道五十三次のもとにもなっていると言われています。

善財童子のお話は、『華厳経』というお経の中の「入法界品」というところに出てきます。

さて純真無垢な善財童子とは誰でしょう?

『華厳経』は、ほとけさまのいのちの中に生かされている私たちのことを四季折々の花にたとえ、タンポポもチューリップも、それこそ名もないような花のひとつひとつが、違う個性のままに、いのちを輝かせて生きる世界(浄土)があることを教えています。その世界を求めて生きる人が善財童子なのです。

善財童子は、最初に文殊菩薩という方に出遇って教えを聞き、自分を知らされ、「今、君は教えを求める心を起こしている。君がどう生きていくべきなのかを先生(善知識)をたずねてお聞きなさい」と教えられます。

そして文殊菩薩をはじめとして、53人の先生をたずねます。善財童子がたずねた53人の先生は、僧侶だけでなく、船頭、商人、王妃、王者、芸人、自然を象徴した神々などあり、それぞれ違う個性の中から、それぞれの教えを善財童子に語られます。それは、ともだち、恋愛、社会、戦争などの青少年が悩み考える問題を、人生の様々な場面の出遇いを通して考えることによって、生まれた意義と生きる喜びを探していくことを表しています。

53名の善知識は以下の方々です。

1.文殊師利菩薩
2.功徳雲比丘
3.海雲比丘
4.善住比丘
5.良医弥伽
6.解脱長者 
7.海幢比丘
8.体捨優婆夷
9.毘目多羅仙人
10.方便命婆羅門
11.弥多羅尼童女
12.善現比丘
13.釈天主童子
14.自在優婆夷
15.甘露頂長者
16.法宝周羅長者
17.普眼妙香長者
19.大光王
20.不動優婆夷
21.随順一切衆生出家外道
22.青蓮華香長者
23.自在海師
24.無上勝長者
25.獅子奮迅比丘尼
26.婆須密多女
27.安住長者
28.観世音菩薩
29.正趣菩薩
30.大王天
31.安住道場地神
32.婆娑婆陀夜天 3
3.甚深妙徳離垢光明夜天
34.喜目観察衆生夜天
35.妙徳救衆生護夜天
38.開敷樹華夜天
39.願勇光明守護衆生夜天
40.妙徳円満林天
41.瞿夷夫人
42.摩耶夫人
43.天主光童女
44.遍友童子師
45.善知衆芸童子
46.賢勝優婆夷
47.堅固解脱長者
48.妙月長者
49.無勝軍長者
50.尸毘最勝婆羅門
51.徳生童子
52.有徳童女
53.弥勒菩薩
54.文殊師利菩薩
55.普賢菩薩

私たちは、自分の内側に求めるべきものを求めず、自分の外側に求めなくてもよいものを求めようとしているのかもしれません。自分の欲することが実現しないといって焦り、ますます自分の欲望を満たそうとして、熱悩を増すのです。
そのような状況に陥った私たちに、善知識は、月の光のように、智慧の眼(まなこ)を与え、冷静さを取り戻させてくれるというのです。

私たちは、さまざまな人間関係の中に身を置いて生きています。しかし、多くの人たちに取り巻かれているにもかかわらず、孤立感に陥ることがあります。
また、孤立を恐れて友だちに近づこうともします。どうしても抜けられない悩みが襲い、悶々とした経験はないでしょうか。
それは、自分が本当に求めようとしているものが見えなくなっていることに起因するのです。私たちの本当に求めているものを教えてくれるのが善知識なのです。では、善知識はどこに向いているのでしょう?ブッダが十二縁起で負の「因果関係」を示したように、無明そして愛への執着です。つまり間違った人生脚本です。200年人生をウェルビーイングに根気を楽んでいる自分を楽しみ、幸せな暮らし方と愛し続ける方法を「あるべきようわ」に実践するのは難しくありません。歪んだ脚本を調えたなら黄金が湧き出るように人生はエンドレスにワンダフルな輝きを齎します。

「善知識は月のごとし、能く清涼なる教法の光明をもって衆の熱悩を除く。」
                                                                 『華厳経』(けごんきょう)

竹林寺

高知 五台山 竹林寺

般若のゴエスで正しい道に軌道修正する

ゴエスで清掃力を習慣化する

正しい方向性と正しい道を正しく歩めなかったら、真理に気づくことはできません。やがて執着だけが強くなると、無明の闇路をさまようことになります。

貪・瞋・癡・慢・疑・悪見
煩悩に支配される時こそ軌道修正です。
正しい方向性と正しい道を正しく歩むように、自分の規律をクレドにまとめてルーティンである雑巾掛けからやり直します。

クレドにまとめておくこと


🔻クレド用には、トラベラーズノート、A44っ折りファイルが便利です。

  • 自分で決めた戒律
  • 周活・週活・終活のルーティン
  • マンダラチャート

自己否定感に苛まれないように、マインドフルネスよろしく雑巾掛けになりきります

修行僧は経典が解って読んでいると思いますが、実は解っていない修行僧もたくさんいます。だから毎日声に出して読んでいます。

すると徐々に解ってきます。小さなトレーニングを積み重ねると、やがてその成果が出てきます。やったらできることが自覚できるのです。こ
れが「自分を知る」行為です。モヤモヤする、やる気が出ない、気分にムラがある、考えがまとまらない、ストレスを感じるなど、一過性のときもあれば、継続が止まらない場合もあります。ヒトは感情の動物ですから、感情に支配されて、ルーティンが形ばかりになるようでは、チャートの行動は思うようにいかなくなります。チャートは形骸化します。これを整えるのが1日の行動のアセスメントです。

ゴエス①整理②整頓③清掃④清潔⑤習慣(躾)が毎日の評価を通して、ピカピカに修正した志しとなり、具体的にはクレドとなって明日に繋がります。志しはクレドになることで、自分との約束なります。

 

暮らしを楽しむ
周活から週活と一週間単位にしているのは、明日は今日の分まで遅れを取り戻すためです。うまく行かない一日は、十牛図の消えた牛を探す状態ですが、十牛図のように結末を知っていると、終わりから考えて行動できます。あなたのライフステージも同じように、見えない終わりを見えるようにしてから考えて行動するのです。

十牛図

四苦八苦の苦痛から離れて不快感を断ち切る方法を研究を重ねたブッダは誕生から死までの因果関係を「十二縁起(十二因縁(じゅうにいんねん)」にまとめました。

「十二縁起(十二因縁(じゅうにいんねん)」

世の中すべてのものは、互いが支え合い絶えず移り変わっています。これを縁起といいます。お互いが原因(因)と条件(縁)となり、その姿を刻々と変えていきます。しかし私たちはそれを認めようとせず、欲望からそれらのものを自分の思うようにしようとします。それが叶わないことから、人間のすべての悩みや苦しみが生まれてくるのです。この真理に最初に気がつかれたのです。その全体図を次のように十二縁起にあらわしました。

十二縁起

無明、行、識、名色、六処、触、受、愛、取、有、生、老死です。十二縁起は心はあるのかという問題と繋がっていて脳科学でも世界的に研究されいます。心は脳に存在しており、脳に刺激を与えると、感情が高ぶることもあります。

つまり、私たちの「心」とは、脳の働きによって生み出される現象にほかなりません。 脳とは「心の器官」なのです。

心は、自分で100%制御できているようで、実はできていません。
特に感情や情緒など、自動的に身体や脳が反応することもあり、心と脳の関係は非常に不思議なものです。瞑想などで脳を安定させるようにすることで、心も落ち着いてきます。

ゴエス①整理②整頓③清掃④清潔⑤習慣(躾)の活動や八正道を踏まえた取り組みは非常に有効だと捉えていて、清掃を日課として重視しています。
心地よい生活習慣は、清掃さされたお寺に佇むように、脳を安定させて、意欲を高めて、正しい方向、正しいやり方に導いてくれます。

釈迦(ブッダ)が苦を苦と認め楽に執着しなくなった時に一切の苦から解放されて自由を得られるという実感をお試しください。この実践の旅こそがライフプランなのです。

まとめ

涅槃寂静はサンスクリット語で「地上の楽園」こと。

涅槃寂静はサンスクリット語で「地上の楽園」ことです。四諦から解放された世界に達する「八正道」は、どこか遠くにあるのではなく、手の中にあります。
「八正道」は、あなたを乗せて高速で走る乗り物なのです。

大乗仏教が理想とする菩薩の定義(?)も「自らの悟りは後回しにしてでも、衆生を救おうとする」だから、悟りを開こうと努力することは必要なのです。

人々に「怖がらなくてよい。みんな極楽浄土に行くことができる」と言って、心の安らぎを与えることがイコール菩薩ではありません。

「今、どのように生きるべきなのかを常に自らに問いかけ」、「正しいと信じるものを選択し」、「それを自分に自信と責任を持って実践しながら生きるべき」だと言った思想家は、倫理の教科書には何人も載っている。
その代表的な人物がニーチェ・ハイデッガー・サルトルでした。
いずれも19世紀末から20世紀を生きた実存主義の思想家です。

ニーチェは、「生は無意味だと知れ永劫回帰
それでもその生に勇気を持って飛び込んでゆけ
運命愛
そして、より優れた自分になろうと努力しろ
権力への意志、超人。」と言った。

ハイデッガーは、「死を意識することで、今を少しでも自分らしく生きようとすることができる。そうすることで限りある生が輝く(死への存在)」と説いた。

サルトルは、「人は、自分の意志で常に人生を選択している。そして選んだものについては、自分自身のみならず、全人類に対して責任がある(人間は自由の刑に処せられている)。」と語った。

明恵の「常に自分を見つめながら今を生きる」という思想は、彼らに似ているような気がします。

ゲンキポリタン大学

般若のゴエス
「ゲンキポリタン大学」では、「社会人基礎力」をコアに<人生100年時代の曼荼羅>を描くように、ライフシフトをバックアップするさまざまな講座を、さまざまな方を対象に、さまざまな形態で開催しています。ご都合に合わせた形態をお選びください。

「社会人基礎力」(全6回)

GTD®勉強会

マインドフルネス 不器用女子の好き避けライフ ライフスキル2.0
アサーティブ ライフプラン&ライフシフト 整理収納(整理・整頓・清掃・清潔・習慣のゴエス)
 
 

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