「偏見のある社会環境で、冷静な意見を述べられる人は限られている。それどころか、意見を持つことさえ出来ない人がほとんどだ。」とアインシュタインの名言があります。
偏見に満ちた社会で自分の意見を持つには、自己執着心を持たないことが前に踏み出す勇気になります。つまり「実体としての自分はいない。縁起によって生起した事の中にある」と覚醒すると良いでしょう。
塩野七生氏は、「”頭の良い男”とは、何事も自分の頭で考え、それに基づいて判断を下し、ために偏見にとらわれず、なにかの主義主張にこり固まった人々に比べて柔軟性に富み、それでいて鋭く深い洞察力を持つ男、ということになる。」って言ったよね。
変わりゆく季節のなかで、うれしくて弾けるときもあれば、悲しみに心が砕け散るときもあります。お釈迦様が説いた一切皆苦、諸行無常、諸法無我、涅槃寂静、限りなく200年に近づく人生100年時代、何事もない暮らしはあり得ません。
では、まず、どのように乗り越えたらいいのか、ここでは塩野七生氏のロングセラー・エッセイ集『男たちへ――フツウの男をフツウでない男にするための54章』(塩野七生著、文春文庫)から、広い視野から人生をみることができる男を探ってみましょう。
成功する男について
「ここでいう『成功者』とは、社会的地位の上下とはあまり関係ありません。なぜなら、社会的地位なら、ものすごく地位の高い男たちも、低い男たちもいて、どうしようもないほど救いようのない視野の狭い男もいるからです。やはり、ある程度の質が保証された『品性の香り』がないと、参考にならない気がします。
成功する男とは、
まず第1に、身体全体からえもいわれぬ明るさを漂わせる男である。
人の一生には、多くの苦しみと悩みがないではすまないのが普通だ。たとえ他人には打ちあけなくても、胸の中にしまっておくだけでも、たいていの人はなにかしら苦悩をかかえて生きている。その人々にとって、明るさをもつ人は、それ自体ですでに救いなのである。
第2、暗黒面にばかり眼がいく人、ではない男。
なにもかも暗く見てしまう性質の人は、周囲の者に耐えがたい思いをさせないではおかないものである。
第3、自らの仕事に、90パーセントの満足と、10パーセントの不満をもっている男。
人生やはりいくぶんかの楽観主義は必要で、そうでないと、自分自身が耐えていけないだけでなく、周囲の人まで巻きぞえにしかねないのだ。
いつもいつも緊張している人のまわりには、人は喜んでは集まらないものである。ただし、10パーセント程度の不満はあったほうがよい。そうしないと、いかに楽観主義者が好ましかろうと、それは楽観した人でなくて、単なるアホになってしまう。
また、10パーセント程度ならば、刺激になり、ために向上心につながってくる。
第4、ごくごく普通の常識を尊重すること。これは、尊重することであって、自ら守れといっているのではない。人々が拠って立つところの常識は、尊重はしなければならないが、自分自身では守らなくてもよい。
では、なぜ普通人の常識は尊重しなければならないかということだが、それは、人には誰にも、存在理由をもつ権利があるからである。
もしも、人生の成功者になりたければ、どんなに平凡な人間にも、五分の魂があることを忘れるわけにはいかない。これは、人間性というものをあたたかく見る、ということでもある。真にヒューマンな人のまわりには、灯をしたうかのように、人は自然に集まってくるものである。
インテリ男はなぜセクシーでないか
ついでだから「インテリ男はなぜセクシーでないか」にも触れておきましょう。
インテリ男がセクシーでないのも、毒にも薬にもならない、彼ら特有のものの考え方にも理由があるにちがいない。男が女に魅力を感ずるとは、所詮、その女をだいてみたいという想いを起こすことであり、女が男に魅力を感ずるとは、その男にだかれてみたいと思うことに、つきるような気がします。頭の中身も容姿も、この種の健全なる欲望を補強する程度の働きしかない。
健全で自然で、人間の本性に最も忠実なこの欲望を刺戟するのが、人のもっている魅力というものだろう。インテリ男がセクシーでないのは、補強する程度の働きしかもたないものに、最高の価値をおく生き方をしているからである。
ばかばかしいことを、ばかばかしいとはっきり述べる、自然さをもたないからである。それどころか、いかにももっともらしい理屈をつけることに、全力を集中しているからなのだ。
これらの男たちから、『男』が感じられないのも、当然の帰結にすぎないと思えてくる。
塩野さんの言葉に打ちのめされる男もいる気がします。
人生なんて生きてる意味がない
疲れて生きてる意味がないと思える時に、あるいは絶望したとき、「人生なんて生きてる意味がない」と思ってしまう時、気持ちがグラグラするとき、自分の揺れ動く感情に屈してはいけないのです。疲れているときというのは、たまたま全体像が見えなくなっているだけです。
自分が映画館の客席でスクリーンを見ているときのことを思い起こすことです。
それと同じように、もし全部が見えたら見方がかわるでしょう。
3.11のときもそうでした、被災者たちは、いまはとても悲しい光景をみているけれど、スクリーンからはみ出した見えない部分に明るく楽しい光景があることを期待して乗り越えてきたのです。
両者に共通しているのは、これが全部じゃないという思いです。
悲しい記憶を何度も思い出さない
お釈迦様が説いた一切皆苦は、永い人生で何度も経験するだけに留まらず、何度も繰り返し思い出す可能性があります。しかし思い出してなにか得することはないのが一般的です。消すのを嫌がっているのは、自分です。
悲しい記憶を何度も思い出していると、思い出す時間も短くなってくるので、ますます思い出す頻度が高くなります。これが「習慣」です。習慣は傷ついた心を何度も傷つける力があります。つまり趣味に変えてしまいます。趣味にする事で、結果的に失恋を得恋にするのと同じ効果があります。
しかしヒトは結果がすべてではないのです。ヒトはプロセスこそ宝物なのです。悲しい記憶には思い出したくない悲しいプロセスがついてきます。なのでネガティブな感情がひろがり、癖のように他のことにも影響します。まだ起っていない事にも影響します。
つまり何の役にも立たないのです。何の役にも立たないことを繰り返し考えて何になるのでしょう。いつまでも記憶は消えず、記憶がもたらすストレスが自分をいじめ、自分忘れの障害になります。
何にもなりません。生産性を低下させるだけに留まらず、ため息が増えて、人生脚本の書き換えの妨げます。時間の浪費です。
まとめ
間違いやすいことですが、ヒトは結果がすべてではないので気をつけましょう。結果が成功であっても挫折であっても、ヒトはなにごともプロセスこそ宝物です。
たとえば、コロナ給付金を不正受給して得したと思ってもプロセスを間違えているので、結果に関係なく終わってます。ヒトは言葉の上であるだけで、実体はなく、縁起のなかに「ある」からです。
ゲンキポリタン大学
「ゲンキポリタン大学」では、「社会人基礎力」をコアにライフシフトをバックアップするさまざまな講座を、さまざまな方を対象に、さまざまな形態で開催しています。ご都合に合わせた形態をお選びください。
「社会人基礎力」(全6回)
- 人生100年時代社会人基礎力3つの能力
- 社会人基礎力①|3つの能力と12の能力要素
- 社会人基礎力②|「前に踏み出す力」を育てる3つの能力要素
- 社会人基礎力③|「考え抜く力」を育てる3つの能力要素
- 社会人基礎力④|「チームで働く力」を育む6つの能力要素
- 社会人基礎力に追加された3つの視点
- 12の能力要素①社会人基礎力【主体性】の鍛え方
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- 自他肯定をライフスタイルにする『お粥さんプロジェクト』
- 人生の方程式から外れない<イマジン>3つの自我の使い方
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