誰も言わなかった禅「十牛図」④得牛(とくぎゅう)

十牛図
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母親が子どもに対して不当な仕打ちをしていたら、どう感じますか?優しい母親もたくさんいますがそうでない母親もいます。自立できるようになったら、人は誰でも自分のマスターは自分だと認識しましょう。自分がマスターだと言えるようになったら自分を大切に扱いましょう、自分を大切に扱えるようになるために成人になるのです。『真の自己』とは自分を大切に扱える人です。十牛図4番目に絵である「得牛」は牧人から逃げようとします。牧人が大切に扱えるかどうかわからないからです。エネルギー全開で逃げようとします。牧人もエネルギー全開で追いかけます。両者、真剣勝負です。真剣勝負だから通じ合えるのです。

真剣勝負の世界

上の写真は1936年製作の名作『モダン・タイムス』(Modern Times)のラストシーンです。この写真が<十牛図>とどんな関係があるのかというと<十牛図>そのものだからです。誰も言わなかった禅「十牛図」④得牛そのもだからです。

映画の主人公チャプリンは浮浪者ですが、ベルトコンベアが走る流れ作業の工場勤めになじめず職を転々とするが、諦めずに生きればきっと道は開けると不運続きの愛する女性を力強く励まし、現代社会の冷たさと束縛に囚われない自由な生活を求め、二人は左脳が働く前に、はるか向こうに続く一本道へと歩いていく場面で終了します。

観客は彼らがどのように生活していくのが分からないままですが、当人たちも分かりません、不運を不運と思うのも思わないのも自分次第です。分かっているのは当人たちこそモンダンタムスそのものだということです。これがマインドフルネスの真髄なのです。マインドフルネスとはなりきること、二人は自分の直感にしたがって人生になりきり現実を創造していることです。

二人で仲良く歩いていますが、なにを考えて歩いているのか二人それぞれだけが知っています。それでも仲良く歩いているのは立ち止まらずに、何かが足りないと考えず、進化すること。成長することを右脳で共感。共有しているのです。何もないけど、あるのは魂だけで、創造力は自分たちそれおれの内側にあるものです。


彼を束縛していた工場と違い、お互いが相手を所有しているのではなく、<愛の規則>で存在を認めあっているから、<いま・ここ・この瞬間>を、二人は仲良く歩いているのです。これが十牛図が言いたかった、<真の自己>のあり方です。二人は黙っていますが、話すと言葉の力でネガティブな話題に終始するかもしれません。二人に言葉は不要なのです。

すでにトーキーの時代になっていましたが、サイレントの手法で製作されました。映画は本質を伝えるために余分なものを切り落として作られたのです。
はるか向こうに続く一本道を歩いていけば働くことも学ぶことも食べることもできます。
彼らが果たさな得ればならないのは愛し合うことです、愛を通して生きることを表現し続けることです。人間は霊的な生き物です。身体には物質体以外に目に見えない霊体・感情体・精神体が存在しています。チャクラのポイントから呼吸のように往来しています。

三宝院沙門

こんにちは。ひたすら愛したいから愛する。愛する人を応援するために生きて、生きて、生き抜いて、働く、愛することをやり遂げてあとは3倍とんがる!モチベーションで歩き遍路で『あるべきようわ』を愉しむ200年婚を突き抜けるFP.アセットドクター、ゲンキポリタン三宝院沙門です。今回は十牛④得牛をご説明します。

  • 人生に悩んでいる方
  • お金が貯まらないとに悩んでいる方
  • 子育てに悩んでいる方
  • 何度も同じような場面で失敗してしまう
  • いつも自分の願望が叶わない
  • アサーティブになりたいのになれない人

誰も言わなかった禅『十牛図』は、悩みごとをゴエス(①整理②整頓③清掃④清潔⑤習慣)することで、ライフシフト・ライフプラン。ライフスキルに役立ていただくことを目的にしています。禅は難解と言われますが、禅は仏教のトレーニング手法のひとつで、真理を理解すれば簡単です。愛するエネルギーは太陽によく似ています。種を蒔き、水と太陽の光を与えると種は成長して刈り入れのときがきます。禅は人間が内包する60兆の細胞が求めるやりたいことのプロセスを大切に見守り、開花させます。

得牛

十牛図(じゅうぎゅうず)は,十牛禅図(じゅうぎゅうぜんず)牧牛図ともいい、10枚の図と詩で表したもの約900年前,中国北宋時代の臨済宗楊岐派の禅僧・廓庵(かくあん)和尚によって書かれた「悟り」に至る禅の入門書として使用されています。

1.尋牛(じんぎゅう)・・・牛を探しに旅に出る
2.見跡(けんぜき/けんせき)・・・牛の足跡を見つける
3.見牛(けんぎゅう)・・・ようやく牛を見つける
4.得牛(とくぎゅう)・・・野生の牛はすぐに暴れ出す
5.牧牛(ぼくぎゅう)・・・暴れる牛をいかに飼い馴らすか
6.騎牛帰家(きぎゅうきか)・・・牛に乗って故郷に帰る
7.忘牛存人(ぼうぎゅうぞんじん/ぼうぎゅうそんにん)・・・飼い馴らした牛は忘れてしまっていい
8.人牛倶忘(じんぎゅうぐぼう/にんぎゅうぐぼう)・・・人も牛もいないゼロの世界
9.返本還源(へんぽんかんげん/へんぽんげんげん)・・・無の世界から有の世界へ還る
10.入鄽垂手(にってんすいしゅ)・・・町に出て人々のために働く

前回「見牛」では、ようやく牛を見つけた状態でした。
今回の「得牛」では、

久しく郊外に埋もれて 今日渠(かれ)に逢う。
境勝れたるに由って 以って追い難し。
芳叢を恋いて而も已まず、頑心尚勇み、野生猶存す。
純和を得んと欲せば 必ず鞭撻を加えよ。

ついに牛を捕まえる! でも暴れて大変!!

長らく郊外の原野にかくれていた牛に、今日やっとめぐり逢った。
この心牛の境地は無心で優れているが、自由奔放な野性を持つので、なかなか追いつくことができない。
牛はこれまでさまよっていた原野の芳草が 未だ気になるようで自分の方を振り向かない。
原野の草を求めて逃げようとする。まだまだ頑迷な野性が残っているからだ。
悟りを得たもののまだ自分のものになっていない段階です。

と牛に追いつき、綱をかけましたが牛は逃げだそうともがきますの力は強く、牧人も綱を精いぱい引っ張ていますまだはきりとわからない本来己の正体を、自分のものにするには努力が必要です。本の自己と、それを求める自己の間には、張りつめた緊張感がみなぎているのです。努力といいましたが、どんな努力が必要なのでしょう?

実はここに<十牛図><禅>あるいは<真の自己>ならではの<生きるヒント>の答えがあります。<見牛>のところで<見牛>と同時に<得牛>したと触れましたが、<見牛>したときに<得牛>しているのです。私たちは便宜上、言葉で生きています。それに二分法的思考を忠告したのが<無分別智>という言葉です。努力が必要だと私たちにアプローチしてくるのは、左脳の言葉の力によるものです。この言葉によるダメージは強力です。

六識と脳


言葉の力は主に理性的な左脳から起こっていますが、右脳は違います。右脳はイメージ力や記憶力、想像力やひらめきを司る脳です。 視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚の五感に関係し、感情をコントロールしています。 音や色の違いを認識したり、物事に感動したりするのも右脳の働きによるものです。 右脳は六識から得られる情報をイメージとして認識し整理する役割を果たしています。八識は顕在できるイメージとなる六識のほとんどをカバーしているのです。左脳は六識を理性化することで役に立とうと働いています。つまり左脳は人間特有の機能といえます。

得牛の絵で描かれいる牧人と牧牛の戦いで、手綱を引く手の力を抜けば、すぐに牛は逃げてしまいます牛の力は強く、牧人も手綱を精いっぱい引っ張っています。なぜ牛の力は強いのでしょう?すぐに姿を隠してしまうでしょう牧牛の力が強いのは、<真の自己>を守りたい一途さを描いています。

牧人が「もし可能なら牛を捕獲したい」と思ったら、できるかどうか不安になります。つまり牧人は捕獲できるように自分の力を使えません。牛の力が勝ってしまいます。

では、どうすれば牧人は捕獲できるでしょう。牛は居心地の良さを求めています。牧人も牛に習えば良いのです。

無分別智の智慧を使えば牧人は自分の力を使えるようになるでしょう。ここで大事なのは自分の人生を作っているのは自分だけだということです。誰しも六識(見ること、聞くこと、嗅ぐこと、話すこと、感じること、考えること)を使って自分の人生を作っているのです。だから牛の力に勝るように自分の力を上手に使わないと牛の力に負けてしまいます。

左脳は理性的に二分法的思考で物事を決めますが、牛に二分法は通じません。牛と対峙する牧人も左脳を使わず決意はやりたいことに基づいているものです。自分が自分のマスターだったら、無分別智の智慧を使うでしょう。

それでは、「十牛図」4枚目「得牛(とくぎゅう)」誰も言わなかったその真理を公開します。

もし、私たちが<子育て>で悩んでいるとしたら、”子育てする能力がある”ということなのです。
真の自己に出会うとは立派に子育てをやり遂げた姿をありありと思い描いて行動することです。

人はできないことは考えません。エネルギーを込めて「私は子育て中です」というとき、現実に子育てを創造を実現しています。
 
物事は計画通りにいかないものだと受け入れががちですが、だからと言って自己否定するのは間違いです。
宇宙の真理はそうはいっていません。その実行こそが”気づきから悟り”へのステップアップです。
牧人が得牛のために手綱を握りしめて戦っている絵がそれを表しています。

前回、3枚目の絵「見牛)
(けんぎゅう)」では、、牛はまだ一部しか見えていませんでした。
しかし「あ、そこにいる」と思った瞬間、心の底では「いまここ」にいることになりますとお話ししました。
 
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2歳からあそんで学ぶ200年ライフ

ここにいると思った瞬間「得牛」はできているのです。悟りとはどこか遠くにあるものではなく、悟りを意識した時、すでに悟った状態です。今回はトリックのようなトリックでない悟りの実体についてお話します。

あなたがある異性に惹かれた瞬間、すでに<運命の人>であり、心は決まっています。
そんなことはない、合う合わないがあるといいますが、合う合わないは当人が勝手に判断しているのです。愛の規則に照らせば、愛した者には責任があることを途中で放棄したのにすぎません。
放棄する癖がある以上、何を言っても無駄でしょう。しかしそのやり方は恋愛に限らずすべてで癖として出てしまいます。たとえば女性はよく不安から試し行動をします。試し行動する立場になると心理は理解できるはずです。しかしそれを許さずストレスになったと騒ぎ立てるのは簡単です。だれも批判しないでしょう。

しかし大局から判断し、痛い気持ちに寄り添ってあげることも可能です。左脳VS.右脳です。無分別智の知恵を使うか使わないか、人間性が見える瞬間です。人間関係で繰り返し問われることです。

私はOK、あなたもOKを人間関係の構えにしている人ならどうするでしょう?
責任を喜んで果たすでしょう。誤解しないでください。他人の不幸に寄りそうわけではありません。
他人の不幸に寄添わなければならない義務のある人は誰一人いません。自分の愛を貫くだけです。
自分の周辺を美しいものにするには、自分の心がけだけで十分です。心のスクリーンに何を写すのかは自分で決められるのです。自分の人生はすべて自分で決定できるからです。
それが気づきを悟りにステップアップすることです。

「気づきから悟り」へステップアップ

禅でもっとも大事なのは、「気づき→悟り(実践)」です。
「気づきがあれば(動機付けにして)行動する」
逃げた牛(本当の自分)を捕獲する
「得牛(とくぎゅう)」の段階では、「見牛(けんぎゅう)」でまだはっきりとわからない本来の自己の正体を、自分のものにすることが重要です。

その具体的な方法が「人生脚本VSライフプラン」に決着をつけることです。
人生脚本VSライフプランの対立に決着します。

あなたが幼児から子供へ成長する過程で、さらに成人の成長する過程で、毎日、毎日、繰り返してきた人生脚本への執着があるでしょう。しかし現実は違います。六識(見ること、聞くこと、嗅ぐこと、話すこと、感じること、考えること)で入ってくる情報は、幼児期の思い込みを捨てて、人生を変える力になるものばかりです。その一方でニュースは幼児期の思い込みを強化するものばかりです。さて、成人した自分が取捨選択できることに気をつけましょう。

人生脚本は1.5歳ごろに感覚で身につけた人間関係の仕方を基礎に遅くとも思春期に入る8歳までにラケットをもとに書かれています。

  • ラケット感情
  • 認知の歪み
  • 禁止令

以上、3つを基礎にして人生脚本は書かれています。
放置すれば死ぬまで人生脚本のゴールに邁進します。しかし放下著してしまえばすべて終わります。

煩悩妄想はいうに及ばず、仏や悟りまでも捨て去る、すべての執着を捨て去れ!

いつまでも3歳児が描いた人生脚本に振り回される必要はありません。

ラケット感情

ラケット感情とは、幼児が、いろんなストレスを受ける環境で体験する、幼児期からなじみ深い感情で、子供時代に繰り返し、学習した不快な感情。

通常、成長に比例して弱まっていきますが、ラケットで得られるストロークに味をしめると、ラケットは「魔法のように使えるぞ!」と手放さなくなります。

たとえば、一人淋しさを感じながら目に涙をためて留守番していたら、帰ってきたお母さんが「まあ、泣かないでいい子で待ってたのね。ごめんね、大好きよ。」と、だきしめてくれた。

すると、この子にとって淋しさを感じていることが、お母さんからストロークをもらうための戦略になっていきます。

ラケットは優位にない者が、人を支配する(思い通りに動かす)目的で使用されます。相手は「仕方がないな」と思いますが、(甘やかすことで)言いなります。

ラケットの味を知ってしまうと生意気さが増長し心は濁っていくでしょう。
褒めてもらえたら快楽物質が脳の中をビュンビュン飛び交うでしょう。依存体質になるばかりです。

この道理を知ったならむやみに意見を言い張ることから離れることです。ブッダはこの怖ろしさを危惧しました。
ラケットを使った感情は「ギャング」とも言われています。
その理由はふさわしくない場面で、愛情を強奪するように使われるからです。

繰り返し、同じような体験を通して、淋しさを感じるための定番のパターンを創りだしていきます。ラケットになる主な感情は次のものです。

怒り、恐怖、劣等感、罪悪感、優越感、憂欝、イライラ、絶望感、虚無感、混乱、傷心、落胆、悲哀感、憐憫、孤独感、焦燥感、同情心、義務感、使命感、敗北感、後悔、恥辱、羨望、不安、心配、嫌悪感、当惑、攻撃、潔白感、陶酔感、拒絶感、恨み、緊張感、猜疑心、自己卑下、等々ネガティブな感情。

ラケットが思うように使えない状況は思うようにならない痛みを味わいます。
ラケットを成人が使うことは社会生活を送る上で大変なリスクになります。
なので成人は我慢し正常な努力で願望を実現しょうとします。
ラケットはひとりで生きることができない幼児のみに許された戦術です。

ラケットを成人が使うことはひんしゅくを買います。その代表が先述した<試し行動>です。
愛はその使用を停止させる力があります。

さて、問題は弱者の戦術であるラケットを人生脚本の下敷きにしてしまうことです。
下敷きにいつまでも人生脚本を使っていると、なんでもできる成人になった自分に違和感を感じます。

4大真理が理解できなくなる認知の歪み

釈迦の悟りは法印とよばれ仏教本となる諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」のつです諸行無常」とすべてのものは時間とともに変化するという味で、たとえば私たちも、まれ、ち、老いていくことです。「法無我とはすべてのものに決ま体はないという味です
法とは私たちの世界のことで、すべて因縁果が因←←果のサイクルで動いています

たとえば誰かと知りあって(困)感情が動き()、その結果、愛するようになるのか憎むようになるのか(果)は、縁の働き次第です「浬繋寂静」の浬繋は煩悩のなくなた状態のことですので、「悟りの境地は静けさに満ちた素晴らしいところ」と理解してください

そして禅はこの法印を「いま、ここで、この瞬間、」自分が悟ろうとするもので、中国臨済の祖・臨済義玄、目前」というに象徴されています

仏教はラケットのようなファンタジーではありません。
ラケットはほとんどの場合、問題解決にも、目標達成にも効果を発揮しません。

仏教は哲学であり、心理学です。
禅は、哲学、心理学を学ぶ学校で、目標達成を支援します。

一切皆苦、諸行無常諸法無我涅槃寂静、さらに十二縁起

仏教が説いている4大真理は、世界の普遍的な事実です。
つまり、あなたがどこに行こうが暮らしのガイドラインになるものです。

それらは六識(見ること、聞くこと、嗅ぐこと、話すこと、感じること、考えること)を通じて入ってきます。
ところが認知の歪みがあると、左脳的知性が暴走して、非現実的な願いを選択して、独自の事実を打ちたてようとします。無用な諍いが起こり、自分と周囲を複雑にしていきます。

ラケットを使ってギャングをしても十分に満たされないと認知の歪みが生じます。
認知の歪みは「人生脚本」と深く結びついています。

ここで十分な愛着が得られない繰り返しをしていると愛着障害という問題が強くなります。

ますます複雑になります。
そこで「得牛」つまり自分の選択が重要になります。・・・人生最大の公案です。

気づけば行動する。禅の鉄則です。

禁止令

なぜ肝心なときに失敗してしまうのか、なぜ『し合わせ」を自ら崩壊させてしまうのか……。

人生の重要なステージであなたを苦しめライフプランを破壊する認知の歪み禁止令がどのようにしてあなたを支配しているのか。
冷静なあなたがあなたと家族のために立案したライフプランと幼児期から繰り返し潜在意識で描いてきた人生脚本(=すでに予定したストーリーを衝突させて、「いまここ」を不適切、不誠実な企てに導く13の禁止令をご紹介します。

自身の育てなおしに役立つ交流分析の研究と認可のための協会、国際交流分析学会(ITTA)の会長も務めたアメリカの医学博士グルーディング夫妻は、人生のいまここに大きな影響を与える親から子供に埋め込まれる13の禁止令を紹介しています。禁止令というのは、心理学の交流分析理論で使われる言葉で、人が幼いころ親な どの養育者から否定的禁止的命令を繰り返し受けることで、「~してはいけない」 というように自らの思考や行動を制限してしまうものを言います。
 
  1. 実行するな
  2. 存在するな
  3. 自分自身であるな
  4. 自分の性であるな
  5. 子供であるな
  6. 成長するな
  7. 成功するな
  8. 重要であるな
  9. 所属するな
  10. 近づくな
  11. 健康であるな
  12. 考えるな
  13. 感じるな

どのようにして禁止令が入り込み、働き、影響を与えているのでしょう。
親は子どもを正しく育てるつもりでしょうが、「〜するな」と言ってしまいがちです。
この禁止令は子供の行動を制限するものになり、大人になってからも生きづらさの原因となります。

例えば、最も重いものでは、「存在してはいけない」というものがあります。こ れは、「お前さえいなければ」とか「お前など産まなければよかった」というよう な言い方をされたり、そうした態度で育てられたりすることで形成されます。若く して自殺したり、事故死したりする人はこういう禁止令に突き動かされていること が多いと言われています。 他には、「成功してはいけない」というものもあります。そんなことを言 う親がいるのかと思うかも知れませんが、直接そのように言わなくてもそう思わせ ることがあるのです。「あなたは、いつも大事なところでミスするから気をつけて ね」などということを何度も言われていると、失敗するのが当然という気持ちやう まくいってはいけないのだという思いになってしまいます。

また、自分だけで完全 にやり遂げると、親が手助けできなくて不満そうだと感じる子どもは、成功は親の失望につながるという意識を持ってしまうと言われます。 

こうした禁止令にとらわれている人は、そこから抜け出す工夫が要りますが、まずは、自分の中に何か禁止令があるのか、どんな禁止令があるのかを確認することが大切です。

気づくことが対処の第一歩です。 また他には、自分で作ったと思われる禁止令があります。全く逆の環境で育った子どももいます。自分の欲求が叶う瞬間を迎えたときに「なぜか、『し合わせ」を自ら崩壊させてしまうのか」。「肝心なときに失敗してしまう」不思議に感じたことはありませんか?これは無意識に「禁止令」が働いていて、自分の欲求を封じ込めてしまうからです。

以前、ある女性は「私は幸せになってはいけないのだ」と思っていたそうです。その理由は「自分の親はひどい親だった。そんな自分が幸せになっていけないという思い込みに支配されている人もいます。親の悪行を明かにするために、私は不幸でいなければならないのだ」という場合もあります。

子どもにとって重要なのは保護と愛情です。
しっかり愛着を体験し、絆を持つことができた子どもは大人になったとき、自律した行動がとれるので、リーダーシップを発揮して自立できます。親と子の「愛着の絆」が子どもを強くします。

子どもは重要な決断を1歳半までにしてしまうと言われます。その後も敏感にいろんな情報を受け取りながら3~5歳までに人間関係に対する構えをしてしまいます。

これらは、ほとんど潜在意識に送り込まれ、意識することはありません。その後幼稚園~小学校で「社会体験」をしますが、このときに自分の考えの基礎になっているのが、潜在意識にある5歳までの情報です。

子どもは親の保護がないと生きていけません。生きるために自分の欲求を抑え込んでしまいます。親にしてみたら、言うことを聞かないように見えても、実際には親の言うことを聞いています。いかに幼児教育が重要か。特に愛着を体験し、愛着の絆を持つことの重要性が解りますね。

人生脚本への執着を断ち切る「ライフプラン」

誰しも自分が「人生脚本」に執着しているとわかりません。人生脚本があることさえ知らないのです。
ライフプランは、人生の喜びを実感するための創造力です。
同志と付き合い、不足する智慧を補いながら
人生に勝利する楽しみを思う存分味わってください。

十牛図4枚目は「得牛」・・・・さて、なぜ牛の力は強いのでしょう。
牛を捕らえる綱とはなんでしょう?
牛の捕獲が簡単でない、力いっぱいに抵抗するのは牛に「執着」があるからです。
それを捕らえるには執着を手放し、牛(真の自己)への慈悲しかありません。

慈悲とは、「抜苦与楽(ばっくよらく)」        
    ・・・苦を抜いて楽を与えてやりたい想いと行動。
潜在意識とは本人が自覚していない意識であり、対して顕在意識は本人が自覚している意識のことを指します。この意識の割合については、意外にも潜在意識がほとんどを占めていることをご存知でしょうか。潜在意識94%、超意識1%合計95%がハーバード大学の名誉教授であるジェラルド・ザルトマン博士による「人間の行動や思考は95%が無意識である」とする意見と合致します。

人生脚本を動かすPACモデル


人生脚本を動かすドライバーとなる主な感情はP(親)と子(C)です。1.5歳ではP(親)と子(C)の関係はいのちを守る上で、いちばん重要でした。

しかし、大人になったいま(=本当の自分)ではさほど重要ではありません。禅では生きることは実践ですから、解っただけでは目的達成にはなりません。生きて実践あるのみです。本当の自分になるには、幼児期に作成した人生脚本を捨て去らないと生きてる感じがしません。つまりこれが「得牛」です。

本当の自分とは「いま、ここ」にいる自分です。
「いまここ」にいる自分は現在の自分で主な感情はA(大人)です。

禁令に、認知の歪むはエゴグラムに表れます。
親の心(P)が増える原因は、親の関与が多すぎた場合が考えられます。厳格な親の関与が強すぎると従順な子どもの心が強くなりがちです。保護的な母親の心が強いと自由な子どもの心が強くなる傾向があります。
企業単位でエゴグラムのアンケートを採った場合、会社単位で従順な子どこも心が高い会社がありました、採用者の傾向を反映する場合があり、この会社の場合全体に積極性が欠けて、挑戦心が低いという結果になっていました。積極性溢れる企業風土にするには自由な子どもの心の強い社会を多く集めるといいでしょう。

エゴグラム

得牛するとは

得牛でつかまえたい自分は「いまここ」の自分です。
「いまここの自分」とは左脳で考えるだけの自分ではなくで全身にエネルギーを込めて「得牛に戦っている自分です」

しかし、あなたを支配している自分は、まだまだ人生脚本の自分です。

ほとんどの人は人生は苦しみ、困難をベースに一生苦しみを体験するものだと信じています。
そう考えている人にとって、「得牛」は至難の技でしょう。しかし本当にそうでしょうか。「得牛に戦っている自分です」というとき、苦しみではないことに注目しましょう。「私には得牛できません」と言ったなら永遠にできません。「得牛に戦っている自分です」といったなら限界まで努力するでしょう。つまり「得牛」の値する力を持っていることを証明できます。

つまり「牛=本当の自分」を捕まえるには、「本当の自分」にふさわしいエネルギーのこもった自分が必要です。
人生とは解ることでなく実践することですから、実践の場が必要なのです。

それが十牛図「得牛」の絵にある牛にかけた「手綱」の役割をするのが慈悲の心のこもった「ライフプラン」です。ライフプランはエネルギーの流れを作り出しています。それはやがて現実を作り出します。創造とはそういうことです。

「得牛」というとき、あなたはこれから「得牛」をキャンパスに描いているような状態です。創造のエネルギーを発信していることと同じです。恋愛に置き換えてみましょう、愛する彼女とゴールめざしているろき、「私は彼女を愛しています」というとき、彼女のことだけでなく、仕事のこと、収入のこと、ライフプランも考えているでしょう。そしてそれはいつかかならず実現するでしょう。得牛もそれと同じなのです。

 

  • 慈悲の意味は、「慈」の心と、「悲」の心、2つの心で成り立っています。
  • 「慈」には、「苦しみを抜いてやりたい」という「抜苦(ばっく)」の意味があります
  • 「悲」には、「楽しみを与えてやりたい」という「与楽(よらく)」の意味があります
  • 「慈悲」は、「抜苦与楽(ばっくくらく)」を意味します。
  • 「慈悲」に、必要な心はA(おとな)の心です。
  • 「抜苦与楽(ばっくくらく)」を具体的にするのは合理的なライフプランです
  • 自分への「慈悲」をたっぷり注ぎ込んで、
  • ライフプランに、古い感情で書かれた人生脚本を不要にします。

ライフプランへの取り組みが、人生脚本の礎となった3つの間違いを破棄します。

  • ラケット感情
  • 認知の歪み
  • 禁止令

「子どもの頃に書いた人生脚本をいまここで使っている自分」
「いまここ」の自分。

この狭間にいると、どちらに寄っても、本当の自分ではないと思います。
執着を手放し、得牛に全神経を注ぐのです。

もし、私たちが<子育て>で悩んでいるとしたら、”子育てする能力がある”ということなのです。
真の自己に出会うとは、道理がわからない幼児期の自分が考えついたラケット、禁止令、認知の歪みを基本に組み立てた人生脚本への執着を捨てて、立派に子育てをやり遂げた姿をありありと思い描くことです。

まとめ

  1. 尋牛は、いなくなった自分に気づいた絵でした。
  2. 見跡は、どこに自分はいるんだと探す絵でした。
  3. 見牛で、そこ隠れている自分を発見しました。
  4. 得牛は、隠れていた自分を捕獲します。捕獲できるかどうかは自分の腕次第なのです。

人生最大の公案をあなたがどう気づくか、問われているのが「得牛」の絵なのです。真に魅力のある人物には内面から湧き出るパワーがあります。

パワーの源はすべて内面にあります。

責任を引き受けることは、決断し行動して結果を引き受けることです。それが生きることです。

自分を愛するとは、いろんな経験を通じて学ぶことを自分に許すことです。それが万人に通じる愛の法則です。

 

もし、私たちが<子育て>で悩んでいるとしたら、”子育てする能力がある”ということなのです。
真の自己に出会うとは、道理がわからない幼児期の自分が考えついたラケット、禁止令、認知の歪みを基本に組み立てた人生脚本への執着を捨てて、立派に子育てをやり遂げた姿をありありと思い描くことで。このような苦しみ、悩みから、あなたを解放のお役に立てたでしょうか?

  • 人生に悩んでいる方
  • お金が貯まらないとに悩んでいる方
  • 子育てに悩んでいる方
  • 何度も同じような場面で失敗してしまう
  • いつも自分の願望が叶わない
  • アサーティブになりたいのになれない人
  • 禁止令から解放する・・・この目的を達成するために、まだまだ続きます。

禁止令がかかっていると、独特の思考回路を使って、似たような結果にたどり着こうとします。
自分でも歯止めが効かないのです。

理屈ではヘンだとわかりますが、その最中にいると気がつきません。
後でなんで、あんなことをしたのか、言ったのかと思いますが、後の祭りになってしまいます。

禁止令「楽しむな」から解放される方法
「できない」と言わず「しない」「やりたくない」そこに間違った罪悪感が植えつけられていることが少なくありません。本当は好きなこと。やりたいこと、したい。」でも「しない」「やりたくない」と言ってしまう。なぜでしょう?禁止令を受けているからです。自分のしたいことしては失敗
禁止令「愛し合ってはいけない」から解放される
「愛し合ってはいけない」の呪縛を解くには、信頼が重要です。①同じスタンスで向き合い続ける②感情的にならない③常に冷静さを失わない④自分を押し付けない⑤なにを言われても受けとめる⑥感謝の気持ちを大切にする。。。それでも「愛し合ってはいけない」の呪縛は解けません。秘密のキーワードをお伝えします。
100年ライフお金のゴエス|マインドフルネスなライフプランの手順
お客様を決して孤立させないのが、マインドフルネスなファイナンシャルプランニングの特長です。FP(ファイナンシャルプランナー)は、資産の最大化を目的とする投資アドバイザーとは異なっています。人生100年時代を生きるライフプランの伴走者です。お客様と協働するライフプラン7つの手順をご紹介します。

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誰も言わなかった禅「十牛図」④得牛(とくぎゅう)
十牛図・尋牛は、いなくなった自分に気づいた絵でした。見跡は、どこに自分はいるんだと探す絵でした。見牛で、そこ隠れている自分を発見しました。4枚目の得牛は、隠れていた自分を捕獲します。捕獲できるかどうかは自分の腕次第なのです。人生最大の公案をあなたがどう気づくか、「得牛」の絵は問いています。

ゲンキポリタン大学

「ゲンキポリタン大学」では、「社会人基礎力」をコアに<人生100年時代の曼荼羅>を描くように、ライフシフトをバックアップするさまざまな講座を、さまざまな方を対象に、さまざまな形態で開催しています。

「社会人基礎力」(全6回)

GTD®勉強会

 

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