誰も言わなかった禅「十牛図」九の返本還源(へんぽんげんげん)

「十牛図」返本還源(へんぽんかんげん/へんぽんげんげん) ライフデザイン
この記事は約8分で読めます。

十牛図、第九図「返本還源(へんぽんげんげん)」には、牛も牧人もいなくなった世界には、美しいい自然が描かれています

でも、この絵は単なる風景を描いたものではありません。

次の富山市松川沿いの桜並木の画像も同じです。これらには見えないものが描かれています。

この記事は以下の方におすすめです

  • 自分探しをしている方
  • ありのままの自分でいたいと考えている方
  • 自分らしさにこだわっている方
  • もっと自分を高めたい方
  • 禁止令に苦しんでいる方

いのちの源流に還る

松川の桜

桜並木の側を流れる川は富山県神通川の支流、松川の桜神通川は飛騨高山を源流とします。

川の水と同じく、ひとりひとりも、いのちの源があります。
「十牛図」の九「返本還源(へんぽんげんげん)」は、一滴の水のように、私たちも源流に還ったこと描いた絵です

時間も空間も超越し、万物が体となたところ、すべてが帰ていくところが根源です

根源には万物のありのままの姿があります。
マインドフルネスで坐禅でいうありのままの自分とは、根源的ないのちの自分です。

たとえば、松川の桜が風に吹かれて散っていく・・・そのひとひらを追いかけてゆく私は無心です。その状態を振り返って説明すれば、無心とは八の絵「人牛倶忘」の状態です。
すべてと一体となって心さえ意識しない状態です。

いのちの源流のある場所、常に一緒にあります。

しかし気がつかないので、手の届かない場所にいます。
下手すると生涯離れた場所で生きることにもなりかねません。

悟りさえ意識しない状態

自分を「おもてなし」

「悟った」と思うようでは、まだまだ迷いのなかにいます。

悟りも、気づきも、忘れて意識にないのは、いいことですね。

1〜8までの絵は。人が悟りを得るため努力するプロせスを表わしていました
つまりは、返本還源」の境地に達する葛藤を表現していたのです。

しかし、自然は昔からそこにあり、人が気づかなかっただけなのです

人生脚本とライフプランの違い

自己マスタリー

人生脚本・・・・・・・・・幼少期に感覚で受け取った歪んだメッセージで無意識に自分自身が描いた人生ストーリー。大部分は親からのメッセージで成り立っていて、人間関係の仕方で、ストーリーを現実にするので、無意識であるにも関わらず、その通りになります

ライフプラン・・・・・・・ライフデザイン(自分の価値観、方針)をもとに、後天的に学んだ知識、モラルで冷静に考えたもので、ライフステージを念頭にライフイベントを中心に考えたお金の運用方法。お金の運用だけが目立ちますが、ライフデザインに生き方、感情の扱いなどが土台になっています。返本還源」の理念を実践しています。

人生脚本とライフプランの違い

安全・安心に暮らしたい願望から創られる点では同じです。

  • 人生脚本は、感情生活から生まれたもので、無意識の脚本。
  • ライフプランは、お金の運用方法を中心に人生を捉えた脚本。

似ていて非なる脚本ですが、返本還源」の理念を実践しているので、出来上がる作品は全く違うものになります。

矢印の先に注目

人生は作品です

人生にいのちを差し出せる歓びのある暮らしをライフプランに書き込みましょう。

100年ライフ

ライフサイクルをともに

ライフサイクル

アフターコロナの人生100年時代。どう考えるかは人それぞれ。

人生脚本で生きたらドツボにはまって一生抜けられなくなります。
生存基盤を揺るがす「気候危機」をクリアしないと新しいウイルスも災害も次々に攻撃してくるでしょう。

日本経済は間違いなく量より質に変化していくでしょう。
コロナは付け焼刃の発想・政策で、一時的なものばかりで満足に使えるものがない脆弱なインフラを露呈させました。その責任はみんなにあるでしょう。

質をあげようとしたら死に物狂いの努力が必要です。
死に物狂いの努力でも追いつかないないでしょう。
でも好きなことを仕事にしたら努力は要りません。努力も好きの内です。

人生にいのちを差し出そうとするのではないでしょうか?
返本還源」の教えを取り込めば、ワークライフバランスだって自然体で整えてしまいます。

遊ぶ(趣味)と仕事と二分化思考は執着の源・・・・・・無分別智で煩悩を焼き尽くす。実践!
スキルの高い人が活躍できる・・・バック・トゥ・ザ・フューチャーは常識。実践!
好きなことをして世の中の役に立つ・・・自分への投資の最大化。実践!
慈愛の時代にあって仕事と自分をマッチングさせることが大切に。・・・軍資金は必要経費。実践!
自分を越え続けることを習慣に・・・自分自身が最大のエンタメ。実践!

働き方、生き方が変わる

過去20年間の働き方や生き方の常識が多くの面で崩れようとしている朝九時から夕方五時まで勤務し、月曜から金曜まで働いて週末に休み、学校を卒業してから引退するまでつの会社で勤め上げ、親やきょうだいと同じ国で暮らし、いつも同じ顔ぶれの同僚と一緒に仕をする。そんな日々が終わりを告げ、得体の知れない未来が訪れようとしている

『ワーク・シフト〜孤独と貧困から自由になる働き方の未来図く2025>』

100年時代にパンデミック、自然災害が加わってくるとますます孤独と貧困は重いテーマになります。
これを突破する力が返本還源」です。

はじめに還る、源にたち還る

常願寺川

返本還源(へんぽんげんげん)返本とは、本(原点)に返(還る)、源にたち還ること。

つまり「はじめに還ること、源にたち還る」ことです。

空の世界からふたたび自然がもどってきました。
牧人の中に根本的な変革が起こったのです。
自我が消えたので、牧人は自然のようにすべてを平等視して生きることができるようになりました。

平等視して生きることができるとは、具体的にどういう現象でしょうか?

平等視とはなにか

返本還源」の基礎にある平等とは、生きとし生けるもの全てはもちろん、命のない、山や、川など、自然までもが平等に成仏できることをいいます。

返本還源(はじめに還ること、源にたち還る)で、深層心理にあった抑圧、我慢の扉が開き、解放され、自己肯定・他者肯定の構えで、人生・人間関係を捉えることができるようになったのです。

返本還源」で根本的な変革が起きたことで、自分を意識することもなく、平等に草木のように自然の一部になりきったのです。

自然の一部として自分を意識することもなく、生きることができるのです。

このあるがままの自分を発見する状態を禅で日々ルーティンにしてチエックします。(マインドフルネス)
坐禅とは「まどろむ」ことです。

自分を忘れる、努力を忘れる

一人一宇宙

返本還源」の理念を大切にすれば、好きなことをして世の中の役に立つ。羨ましい限りです。
ほとんどの人は、「そんなことができるくらいなら楽でいいよな。」そう思います。

そんなに楽なことをなぜしないのでしょう?
怖いからではないでしょうか。思い込みが災いしているのです。

努力の定義、解釈が違っているのです。
好きなことなら自然に努力していますが、これを努力とはいいません。 

ゲーム評論家はゲーム三昧の暮らしをしたからそのなれの果て。
映画評論家もそうです。評論家の差は質と量の違いです。
その学習時間の間、周囲は「また、いい加減、勉強しなさい!」と あなたは間違っていると忠告します。   

その結果

  • やりたいと思う人 10000人
  • はじめる人100人
  • 続ける人1人

になります。

結果、自分がしたいことがわからなくなります。  

70%の人が人生の終盤で後悔するのは、「チャンスがあったのに、したいことをしなかった」という後悔です。

70%の人が後悔している

人生の後悔

人生脚本のルーツは不安、不満。歪んだ認知、気にかけてもらうためのラケット。
弱者の戦略を捨てて、返本還源」いのちの源流に還りましょう。
「自分」というないものへの執着を捨てて、もともとのいのちを生きるのです。

夫婦が長く一緒に暮らせる秘訣は?
「一に我慢、二に我慢」ルーツは不安、不満
生き方にも、働き方にも、勉強にも、愛のあり方にも、我慢、努力を持ち込みます。

でも、それらはみんな嘘です。

好きなら、我慢しなくても、のめりこみます。

返本還源」で還る源は、一人一宇宙です。
一人一宇宙とは、誰も自分に入ることはできないし、自分から出ることもできない。

一人一宇宙、自分しかできない人生(作品)がつながって大宇宙を形成しています。

まとめ

返本還源(へんぽんげんげん)の返本とは、本(原点)に返(還る)、源にたち還ること。

つまり「はじめに還ること、源にたち還る」いのちの源流に還るとどうなるのでしょう?

川を流れる一滴の水が湧き出る源泉から飛び出す瞬間を想像してみてください。

あなたの働き方、生き方、愛のあり方はいのちが求めていたことですか?

この記事はお役の立てましたか

  • 自分探しをしている方・・・・・・・自分のままでいいんです
  • ありのままの自分でいたいと考えている方・・・・・・実践あるだけです
  • 自分らしさにこだわっている方・・・・・・これが自分だと自信を持ちましょう
  • もっと自分を高めたい方・・・・・・嫌なことはやめて、したいことをしましょう
  • 禁止令に苦しんでいる方・・・・・・親を許し。自分を許し、やりたいことを実践

いきいきゴエスのファイナンシャルプランニング

FPご相談はこちらから

LINE

友だち追加

誰も言わなかった禅「十牛図」はじまりの尋牛(じんぎゅう)
「十牛図」最初の絵「尋牛」の本質は、「いまの自分」がいないことに気づいた自分を知ることにあります。気づけば行動する。禅の鉄則です。「いまの自分(=本当の自分)」がいないのは、人生脚本に支配されているからです。人生脚本に支配から解放されるには、いまの自分が書いた人生脚本(=ライフプラン)に乗り換えることです。
誰も言わなかった禅「十牛図」二の見跡(けんせき)
「十牛図」見跡の本質は、「いまの自分」が存在することに気づいた状態です。気づけば行動する。禅の鉄則です。「いまの自分(=本当の自分)」に自分らしさの良さを体感するには、具体的な行動が必要です。空想と想像で書かれた人生脚本の支配から解放、執着から離れるにが、いまの自分が書いたライフプランを掲げて達成に邁進する必要があります。具体的な行動を通じて「いまの自分」の良さを解ることができます。
誰も言わなかった禅「十牛図」三の見牛(けんぎゅう)
「十牛図」見牛の本質は、そこにいると知った瞬間、心の底では「いまここ」にいることになります。気づいた自分を知ることにあります。 気づけば行動する。禅の鉄則です。人生脚本に支配されている自分に気づくことは。人生脚本から解放される自分を実践することです。
誰も言わなかった禅「十牛図」四の得牛(とくぎゅう)
十牛図・尋牛は、いなくなった自分に気づいた絵でした。見跡は、どこに自分はいるんだと探す絵でした。見牛で、そこ隠れている自分を発見しました。4枚目の得牛は、隠れていた自分を捕獲します。捕獲できるかどうかは自分の腕次第なのです。人生最大の公案をあなたがどう気づくか、「得牛」の絵は問いています。
誰も言わなかった禅「十牛図」五の牧牛(ぼくぎゅう)
十牛図、5枚目の牧牛(ぼくぎゅう)は、暴れる牛を手なづけながら家に帰る道中です。暴れるには原因があります。全ての物事は原因があって結果があります、因果の法則で成り立っています。ラケット、認知の歪み、人生脚本にも、十二縁起という原因があります。 十二縁起には成長する手順と因果関係が説明されています。
誰も言わなかった禅「十牛図」六の騎牛帰家(きぎゅうきか)
誰も言わなかった十牛図6枚目「騎牛帰家(きぎゅうきか)」は、本来の自己とそれを求める自己が一体になったので、牛の背中にまたがることで、自分の目線が高くなり遠くまで見えるようになったことを意味します。認知の歪み、ラケット、人生脚本から解放されたのです。内面から湧き出る仏性で共感を悟れるのです。
誰も言わなかった禅「十牛図」七の忘牛存人(ぼうぎゅうぞんじん)
「十牛図」七番目の「忘牛存人(ぼうぎゅうぞんじん/ぼうぎゅうそんにん)」は。悟ったことさえ気にしない、何ものにもとらわれない本来の自己になれたことを表しています。気づけば、悟ることができる。その悟りさえ気にならない一体となった状態は、執着のない、慈愛(共感)そのものです。
誰も言わなかった禅「十牛図」八の人牛倶忘(じんぎゅうぐぼう/にんぎゅうぐぼう
「人牛倶忘」の状態は、気負いもなく。執着も迷いも生まれない状態です。もはや感情的な人生脚本もなく。日常生活を淡々とルーチンワークで繰り返すだけです。ルーチンワーク(習慣化された生活)を退屈に感じるのは、刺激を自分の外に求めるからですが、もうそんな無駄なことをしなくても、やりがいも生きがいも自分のうちに全部揃っています。
誰も言わなかった禅「十牛図」九の返本還源(へんぽんげんげん)
返本還源(へんぽんげんげん)の返本とは、本(原点)に返(還る)、源にたち還ること。つまり「はじめに還ること、源にたち還る」いのちの源流に還るとどうなるのでしょう?川を流れる一滴の水が湧き出る源泉から飛び出す瞬間を想像してみてください。あなたの働き方、生き方はいのちが求めていたことですか?
誰も言わなかった禅「十牛図」十の入鄽垂手(にってんすいしゅ)
「入鄽垂手」とは「ぶらりと町に入ってきて、何をするということもなく帰っていく」という意味になります。つまり、執着がなく、自他共にあるがままでよしとするなら、何も語らなくても、そこにいるだけで、気軽に声をかけるだけで、いのちの本性が、一切衆生に慈悲を持って接するのです。自利他利の仕組みでつながる循環する。
無形資産の教科書|自分を極める「十牛図」
禅の教科書「十牛図」は、無形資産の教科書として人生100年時代を生きる世代を応援します。自分とは何者か?という根本問題に焦点をあてることで、どう生きるべきか、他者とは何者かという根本問題にも答えを出します。自分を高めたい自己マスタリーにも大きな効果を発揮すること間違いなしです。

 

100年時代の二極化

 

 

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました