十牛図、第九図「返本還源(へんぽんげんげん)」には、牛も牧人もいなくなった世界には、美しいい自然が描かれています。
でも、この絵は単なる風景を描いたものではありません。
次の富山市松川沿いの桜並木の画像も同じです。これらには見えないものが描かれています。
- 自分探しをしている方
- ありのままの自分でいたいと考えている方
- 自分らしさにこだわっている方
- もっと自分を高めたい方
- 禁止令に苦しんでいる方
いのちの源流に還る
桜並木の側を流れる川は富山県神通川の支流、松川の桜。神通川は飛騨高山を源流とします。
川の水と同じく、ひとりひとりも、いのちの源があります。
「十牛図」の九「返本還源(へんぽんげんげん)」は、一滴の水のように、私たちも源流に還ったこと描いた絵です。
時間も空間も超越し、万物が一体となったところ、すべてが帰っていくところが根源です。
根源には万物のありのままの姿があります。
マインドフルネスで坐禅でいうありのままの自分とは、根源的ないのちの自分です。
たとえば、松川の桜が風に吹かれて散っていく・・・そのひとひらを追いかけてゆく私は無心です。その状態を振り返って説明すれば、無心とは八の絵「人牛倶忘」の状態です。
すべてと一体となって心さえ意識しない状態です。
しかし気がつかないので、手の届かない場所にいます。
下手すると生涯離れた場所で生きることにもなりかねません。
悟りさえ意識しない状態
「悟った」と思うようでは、まだまだ迷いのなかにいます。
悟りも、気づきも、忘れて意識にないのは、いいことですね。
1〜8までの絵は。人が悟りを得るため努力するプロせスを表わしていました。
つまりは、「返本還源」の境地に達する葛藤を表現していたのです。
しかし、自然は昔からそこにあり、人が気づかなかっただけなのです。
人生脚本とライフプランの違い
人生脚本・・・・・・・・・幼少期に感覚で受け取った歪んだメッセージで無意識に自分自身が描いた人生ストーリー。大部分は親からのメッセージで成り立っていて、人間関係の仕方で、ストーリーを現実にするので、無意識であるにも関わらず、その通りになります。
ライフプラン・・・・・・・ライフデザイン(自分の価値観、方針)をもとに、後天的に学んだ知識、モラルで冷静に考えたもので、ライフステージを念頭にライフイベントを中心に考えたお金の運用方法。お金の運用だけが目立ちますが、ライフデザインに生き方、感情の扱いなどが土台になっています。「返本還源」の理念を実践しています。
人生脚本とライフプランの違い
- 人生脚本は、感情生活から生まれたもので、無意識の脚本。
- ライフプランは、お金の運用方法を中心に人生を捉えた脚本。
似ていて非なる脚本ですが、「返本還源」の理念を実践しているので、出来上がる作品は全く違うものになります。
ライフサイクルをともに
アフターコロナの人生100年時代。どう考えるかは人それぞれ。
人生脚本で生きたらドツボにはまって一生抜けられなくなります。
生存基盤を揺るがす「気候危機」をクリアしないと新しいウイルスも災害も次々に攻撃してくるでしょう。
日本経済は間違いなく量より質に変化していくでしょう。
コロナは付け焼刃の発想・政策で、一時的なものばかりで満足に使えるものがない脆弱なインフラを露呈させました。その責任はみんなにあるでしょう。
質をあげようとしたら死に物狂いの努力が必要です。
死に物狂いの努力でも追いつかないないでしょう。
でも好きなことを仕事にしたら努力は要りません。努力も好きの内です。
遊ぶ(趣味)と仕事と二分化思考は執着の源・・・・・・無分別智で煩悩を焼き尽くす。実践!
スキルの高い人が活躍できる・・・バック・トゥ・ザ・フューチャーは常識。実践!
好きなことをして世の中の役に立つ・・・自分への投資の最大化。実践!
慈愛の時代にあって仕事と自分をマッチングさせることが大切に。・・・軍資金は必要経費。実践!
自分を越え続けることを習慣に・・・自分自身が最大のエンタメ。実践!
働き方、生き方が変わる
過去20年間の働き方や生き方の常識が多くの面で崩れようとしている。朝九時から夕方五時まで勤務し、月曜から金曜まで働いて週末に休み、学校を卒業してから引退するまで一つの会社で勤め上げ、親やきょうだいと同じ国で暮らし、いつも同じ顔ぶれの同僚と一緒に仕事をする。そんな日々が終わりを告げ、得体の知れない未来が訪れようとしている。
『ワーク・シフト〜孤独と貧困から自由になる働き方の未来図く2025>』
100年時代にパンデミック、自然災害が加わってくるとますます孤独と貧困は重いテーマになります。
これを突破する力が「返本還源」です。
はじめに還る、源にたち還る
返本還源(へんぽんげんげん)の返本とは、本(原点)に返(還る)、源にたち還ること。
つまり「はじめに還ること、源にたち還る」ことです。
空の世界からふたたび自然がもどってきました。
牧人の中に根本的な変革が起こったのです。
自我が消えたので、牧人は自然のようにすべてを平等視して生きることができるようになりました。
平等視して生きることができるとは、具体的にどういう現象でしょうか?
平等視とはなにか
「返本還源」の基礎にある平等とは、生きとし生けるもの全てはもちろん、命のない、山や、川など、自然までもが平等に成仏できることをいいます。
「返本還源」で根本的な変革が起きたことで、自分を意識することもなく、平等に草木のように自然の一部になりきったのです。
自然の一部として自分を意識することもなく、生きることができるのです。
このあるがままの自分を発見する状態を禅で日々ルーティンにしてチエックします。(マインドフルネス)
坐禅とは「まどろむ」ことです。
自分を忘れる、努力を忘れる
「返本還源」の理念を大切にすれば、好きなことをして世の中の役に立つ。羨ましい限りです。
ほとんどの人は、「そんなことができるくらいなら楽でいいよな。」そう思います。
そんなに楽なことをなぜしないのでしょう?
怖いからではないでしょうか。思い込みが災いしているのです。
努力の定義、解釈が違っているのです。
好きなことなら自然に努力していますが、これを努力とはいいません。
ゲーム評論家はゲーム三昧の暮らしをしたからそのなれの果て。
映画評論家もそうです。評論家の差は質と量の違いです。
その学習時間の間、周囲は「また、いい加減、勉強しなさい!」と あなたは間違っていると忠告します。
その結果
- やりたいと思う人 10000人
- はじめる人100人
- 続ける人1人
になります。
結果、自分がしたいことがわからなくなります。
70%の人が人生の終盤で後悔するのは、「チャンスがあったのに、したいことをしなかった」という後悔です。
人生脚本のルーツは不安、不満。歪んだ認知、気にかけてもらうためのラケット。
弱者の戦略を捨てて、「返本還源」いのちの源流に還りましょう。
「自分」というないものへの執着を捨てて、もともとのいのちを生きるのです。
夫婦が長く一緒に暮らせる秘訣は?
「一に我慢、二に我慢」ルーツは不安、不満
生き方にも、働き方にも、勉強にも、愛のあり方にも、我慢、努力を持ち込みます。
でも、それらはみんな嘘です。
「返本還源」で還る源は、一人一宇宙です。
一人一宇宙とは、誰も自分に入ることはできないし、自分から出ることもできない。
一人一宇宙、自分しかできない人生(作品)がつながって大宇宙を形成しています。
まとめ
つまり「はじめに還ること、源にたち還る」いのちの源流に還るとどうなるのでしょう?
川を流れる一滴の水が湧き出る源泉から飛び出す瞬間を想像してみてください。
あなたの働き方、生き方、愛のあり方はいのちが求めていたことですか?
- 自分探しをしている方・・・・・・・自分のままでいいんです
- ありのままの自分でいたいと考えている方・・・・・・実践あるだけです
- 自分らしさにこだわっている方・・・・・・これが自分だと自信を持ちましょう
- もっと自分を高めたい方・・・・・・嫌なことはやめて、したいことをしましょう
- 禁止令に苦しんでいる方・・・・・・親を許し。自分を許し、やりたいことを実践
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