いちばんぼしが でた
うちゅうの
目のようだ
ああ
うちゅうが
ぼくを みている
(「いちばんぼし」 まど・みちお)
スティーブ・ジョブズ氏は、キリスト教から、仏教への宗派替えを希望したと言われています。叶いませんでしたが、生涯「禅」に共感し、曹洞宗開祖、道元禅師(1200〜1253)が開かれた「永平寺」を心のふるさとのように宝物にされました。
パーソナルコンピュータを開発する最先端の夢の隣に、いにしえの哲学があったことは驚きです。スティーブ・ジョブス氏のライフスタイルからは学んでも学んでも尽きませんが、その軌跡は禅の教科書「十牛図」そのもの。
人生200年時代、一度しかない人生をどう生きるか、ジョブズ+十牛図=無形資産という方程式から最強ヒントをもらいます。
- 禁止令に苦しんでいる方
- 人生200年時代の基礎的な力が不足していると感じている方
- 無形資産を育むために、なにから始めていいのか解らない方
- いちばんぼしがスティーブ・ジョブズを見つけた
- 十牛図①「尋牛」とアップル社内での失脚と退社
- 十牛図①「尋牛」:逃げ出した牛の意味とは?
- 十牛図②「見跡」とNeXTの創業
- 十牛図②「見跡」:見跡とは何か?
- 十牛図③「見牛」とピクサーの創業
- 十牛図③「見牛」:なにが牛をみるのか?
- 十牛図④「得牛」とデジタルハブ構想
- 十牛図④「得牛」:牛を捕らえる綱とはなにか?
- 十牛図⑤「牧牛」と進化するMacOS
- 十牛図⑤「牧牛」:牛を飼いならすとは?
- 十牛図⑥「騎牛帰家」とiTunes
- 十牛図⑥「騎牛帰家」:牛に背に乗るとなにが見えるのか?
- 十牛図⑦「忘牛存人」とIPod
- 十牛図⑦「忘牛存人」:まどろんでいるとはなにか?
- 十牛図⑧「人牛倶忘」とiPhone
- 十牛図⑧「人牛倶忘」:空 あるようでなく、ないようであり
- 十牛図⑨「返本還源(へんぽんげんげん)」とiPad
- 十牛図⑨「返本還源」:源に還るとは?
- 十牛図⑩「入鄽垂手(にってんすいしゅ)」
- 十牛図⑩「入鄽垂手」:人々と生きるS.ジョブズ
- まとめ
いちばんぼしがスティーブ・ジョブズを見つけた
室町時代に日本に渡来した10枚の絵で構成された「十牛図」は禅の教科書として有名です。スティーブ・ジョブズ氏の波乱の人生と重なるだけでなく、人生200年時代をライフシフト(ワークシフト)する私たちの道標になります。
十牛図①「尋牛」とアップル社内での失脚と退社
「十牛図」は、飼っていた牛が逃げ出したので、牧人が牛を探す「尋牛」と言われる絵から始まります。
十牛図は①尋牛 ②見跡 ③見牛 ④得牛 ⑤牧牛 ⑥騎牛帰家 ⑦忘牛在人 ⑧人牛倶忘 ⑨返本還源 ⑩入鄽垂手(にってんすいしゅ)の10枚の絵で構成されています。
Apple社はスティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックらによって自分たちが作ったマイクロコンピュータの「Apple I」を販売するために創業されました。
法人化して発売した「Apple II」の大ヒットで急成長を遂げ、1980年に新規株式公開を果たすとジョブズやウォズニアックは億万長者になります。ジョブズは「自分は開発に打ちこみたいので、経営は優れた経営者に任せる」と考えて、当時ペプシのCEOだったジョン・スカリー氏を招きました。口説き文句も有名です。
このまま一生、砂糖水を売り続けたいのか、それとも私と一緒に世界を変えたいか?
Do you want to sell sugared water for the rest of your life, or do you want to come with me and change the world? ―スティーブ・ジョブズ
https://youtu.be/VtvjbmoDx-I
ウォズニアックは去り、1984年、Appleは伝説のCMで、初代「Macintosh」を発売しますが、本人の立ち居振舞いが社内を混乱させたとして失脚。役職を解任され閑職へ追いやられ、1985年にAppleを去ります、有名な話ですよね。
その当時のことをジョン・スカリー氏は語っています。
「ジョブズには、そのときからiPhone,iPadの構想があり絵にして説明してくれた」と25年先を見ていたことを証言しています。
ジョブズには大学生の時に4ドルで買った雑誌「全地球カタログ」への共感がありました。「人の暮らしを変えるもの」「人がもっと自由になれるようなモノを作りたい」という一途な想いです。
十牛図①「尋牛」:逃げ出した牛の意味とは?
「十牛図」逃げ出した牛は、何を意味するのでしよう?
牛は本当の自分です。
本当の自分とはなんでしょう?
スティーブ・ジョブズ氏を例にとるなら、Apple社のジョブズではなく「全地球カタログ」に共感した大学生のジョブスであり、インドまで旅する鬱積した想いを抱えていたジョブスでしょう。
これも有名な話ですが、スティーブ・ジョブズは生まれてすぐに養子に出されため、実の親を知りませんでした。
一方では、自分を愛して育ててくれている養父母への感謝を忘れない自分。引き裂かれた想いを抱えて「自分は何者か?」に今はまだ答えを出せない自分でしょう。
人生で大事な究極の問いかけが三つあります。
- 自分はなにものか?
- 生きるとはどういうことか?(死ぬとはどういうことか)
- 他者とはなにか?
スティーブ・ジョブズ氏にとっても、避けて通れない究極の質問だったと推測できます。その答えを探し続けた人生だったと言えるでしょう。
スティーブ・ジョブズにとっての「し合わせ」は、スティーブ・ウォズニアックにもジョン・スカリー氏にも、宿敵ビル・ゲイツにも永遠の謎だったでしょう。
墓場で一番の金持ちになることは私には重要ではない。夜眠るとき、我々は素晴らしいことをしたと言えること、それが重要だ。
スティーブ・ジョブズ
十牛図②「見跡」とNeXTの創業
「十牛図」の二枚目の絵は、牛の足跡を発見した牧人が、手がかりに牛を追いかける「足跡」と言われる絵です。
スティーブ・ジョブズはAppleを追われた後、自分を追いかけるように、理想を追いかけます。牧人は牛を発見できないように、ジョブズも確信には届かないようです。
スティーブ・ジョブズ氏(1955〜2011)は、いまも世界中で多くの人々の憧れであり、熱狂的な支持者も多くいます。なので、彼の人生については、よく知られています。1985年スティーブ・ジョブズがアップルを離れNeXTを創立した時期、コンピュータ業界はIBMが市場を支配、PCのOSはマイクロソフトのMS-DOSが中心でした。
スティーブ・ジョブズは、1988年にNeXT最初の製品NeXTcube、1990年には小型化したNeXTstationを発売します。
十牛図②「見跡」:見跡とは何か?
「十牛図」牛の足跡は、何を意味するのでしよう?
もう牛は見つからない。諦めようとしたとき、足跡の発見は勇気づけになります。
スティーブ・ジョブズとマイクロソフトのビル・ゲイツはほぼ同時期にコンピューター業界に彗星のようにデビューしましたが、アプローチの仕方は全く違います。両者の「阿頼耶識」が全く違ったことを意味します。
ブッダ亡き後、弟子たちはブッダの教えを経典に残そうとします。
「阿頼耶識」は、大乗仏教のひとつ瑜伽行唯識学派が説いた唯識(唯、八種類の識によって成り立っているという見識)のうちのひとつです。
八種類の識とは、眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識、末那識(自己執着心)、阿頼耶識(経験した総てを記憶している心)の8つです。
阿頼耶識をわかりやすく言うと潜在意識にある無意識の蔵(=阿頼耶識)に収納されている思い込み、記憶が顕在意識と連動して働き、判断する役割を果たしているという教えです。
顕在意識は自分でも認識しやすいのですが、阿頼耶識は認識が困難だということです。
やがて1995年にマイクロソフトがグラフィカルユーザインタフェース (GUI) を採用したWindows95をリリース、大ヒット。それまでMacintoshの独壇場だったGUIを採用したOSの登場でアップル社の業績は低迷。OSの開発にも失敗、瀕死の状態に追い込まれます。アメリカの経済・政治の世界でも「極めて残念な状況にある」と囁かれるようになりました。
Appleは、革新的なオブジェクト指向型オペレーティングシステム (OS) であるNeXTSTEPと有望なOSを持つNeXTの買収を決断、その結果ジョブズがApple社に復帰、CEOに任命されたジョブズは、1998年に「iMac」を成功させます。
十牛図③「見牛」とピクサーの創業
「十牛図」3枚目の絵、「見牛」では牧人は牛の尻尾を発見します。牛より早く動けば牛に近づける。牧人は必死に駆け寄ります。
NeXTSTEPは、次世代OSを求めていたAppleに買収され、世界に貢献する可能性を発見しました。CEOとしてAppleに復帰したスティーブ・ジョブズが可能性を現実にするには、まず瀕死のAppleを健康体にもどすことでした。
一方で、スティーブ・ジョブズは、開発途上にあるピクサー社を買収していました。1986年に制作された小さな動画が彼の心を大きく動かしました。ワクワクは「トイストーリー」という形で開花します。ピクサー社はコンピューター・グラフィックで映画界に大きな変革をもたらします。
スティーブ・ジョブズは、マイクロソフトの実利主義的な方針に、耐え難い嫌悪感を抱いていました。ジョブズは決してビル・ゲイツが嫌いではありませんが、美術的なセンスで歩み寄れないないのです。その想いはThink Differentとピクサーで具現化します。
十牛図③「見牛」:なにが牛をみるのか?
スティーブ・ジョブズが禅に惹かれるのは、禅は星のカケラだからです。
星のなかには星があり、宇宙があります。
もしあなたが大人たちに対して、
「バラ色のレンガでできた、とても美しい家を見ました。窓にはゼラニウムの花が飾ってあり、屋根には鳩がとまっていました。」
と言っても、大人たちはそれがどんな家なのかまったく見当もつきません。
その代わりに、あなたがこう言ったとしましょう。
「1億2千万円の家を見ましたよ。」
すると彼らはこう言うでしょう。
「それはさぞかし素晴らしい家だったでしょう!」
引用:『星の王子さま』(ゴマブックス株式会社)
おとなたちは本質的なことについては何も質問しない、と王子さまは言います。
- 何歳ですか?
- きょうだいは何人いますか?
- 体重は何キロですか?
スティーブ・ジョブズならこう質問するでしょう。
- どんな色が好きですか?
- どういう遊びが好きですか?
- バースデーケーキはなぜ丸いの?
「人を感動させる力、その持続性」という点で『トイ・ストーリー』の成果を自画自賛、自分の子どもを引き合いに出して熱心に語りました。
コンピュータは日進月歩で変化していくが、『トイ・ストーリー』は永遠に人の心に残るが、いうのが彼の意見でした。今になって思うと、彼が話したのは「愛について」でした。
十牛図④「得牛」とデジタルハブ構想
ついに牛と格闘がはじまります。
牧人は 尋牛の頃の牧人とは違います。
真の自己を発見、格闘の末、捕らえたようです。
スティーブ・ジョブズの構想からすれば「iMac」の成功はApple社の営業成績の改善でした。本当の挑戦はデジタルハブ構想です。Appleが信頼を回復すると、しばらくして「デジタルハブ」構想を発表します。
このニュースを報じたのはマック専門誌だけで、それも小さな記事でした。
しかしこれが世界を変えるIT革命のはじまりでした。
その眼差しは、遠くまで見通し、深く内省し、「阿頼耶識」を見通す力を身につけていたようです。
最近は「マインドフルネス」「ミニマリスト」が流行ですが、これらも「デジタルハブ」に繋がっているひとつと考えて良いと自分は断言します。iPodをはじめとする一連のデジタルデバイスはライフスタイルを変えたのです。
十牛図④「得牛」:牛を捕らえる綱とはなにか?
牛と格闘がはじまりました。牛を捕らえる綱とはなんでしょう?
本当の自分になりきることです。牛が逃げ出したのは本当の自分を粗末にしたからです。
自分を生きようとしないことは自分はいらないのと同義語です。
スティーブ・ジョブズの真実。つまり真の自分を捕らえる綱は、「全地球カタログ」に共感した大学生のジョブズであり、クレイジーだと言われても同じように共感する自由を求める人です。他者と違う自由を認め讃える慈悲慈愛のポリシー。道理を洞察する般若の心です。
十牛図⑤「牧牛」と進化するMacOS
つい牧牛は暴れる牧牛は暴れる牛を綱と鞭で少しずつ手なずけながら帰途を進んで行きます。牛はとうとう牧人の根気に負けておとなしくなっていきます。もう牛は暴れて逃げだそうとは考えないようです。牧人は真の自己とひとつになろうと家路を和気藹々で進みます。
十牛図⑤「牧牛」:牛を飼いならすとは?
十牛図⑥「騎牛帰家」とiTunes
「十牛図」6枚目の絵、「騎牛帰家」では、牛は逃げようとせず、笛を吹き歓喜する牧人が描かれています。
ついに真の自己と出会ったのです。同時に、笛を吹いている姿から、牧人の内面にあった執着が溶解し、牛との関係にも優しさが芽生えます。
十牛図⑥「騎牛帰家」:牛に背に乗るとなにが見えるのか?
牛の背に乗ると高い視線で物事を見る状態にあります。
遠くまで見渡せる、あるいは深く物事をみる象徴として、牛に乗っていると考えられます。
牛の背に乗っているだけでは、25年先は見えても、見えないものがあるかも知れません。大事なものは見えないことが多いからです。そのために禅の心、すなわち道理で見る般若のまなざしが必要なのです。
25年先を見ているだけでなく、ピクサーにインスパイアされ、こんなにも素晴らしいもの生みだす人間の素晴らしさを共感しないではいられない自分に真の自分を超えて、新しい自分を知ったのではないでしょうか?
それでは、大事な秘密を教えてあげよう。
とても簡単なことさ。
それはね、ものごとはハートで見なくちゃいけない、っていうことなんだ。
大切なことは、目に見えないからね
引用:『星の王子さま』(ゴマブックス株式会社)
王子さまの星に咲いていたたった一輪のバラ。
この世にバラが一輪しかないと思っていた王子さまは地球に咲く無数のバラを見てショックを受けます。
しかし出合ったキツネとの会話を通して大切なことに気が付きます。
王子さまのバラと他のバラには「バラのために使った時間」という決定的な違いがあるのです。
そして王子さまは言います。
キミたちはキレイだね。だけど、まだ中身がない。
だれもキミたちのために死のうとは思わないはずだからね。
もちろん、通りすがりの人が見たらボクのバラも君たちもまったく同じに見えるだろう。
だけど、キミたちを全部合わせたとしても、ボクのバラにはかなわない。あのバラは、たった一輪でも、キミたち全員より重要なんだ。
なぜなら、ボクが、水をやったり、ついたてを立てたり、ガラスの器をかぶせたりして世話をしたからだ。
ボクは、あのバラのために、毛虫だってやっつけてあげたんだ。(中略)
不平不満だって聞いてあげたし、自慢するのにだって付き合ってあげた。
バラが、黙りこくっても、我慢してそばにいてあげた。
だって、ボクのバラだからね。
引用:『星の王子さま』(ゴマブックス株式会社)
十牛図⑦「忘牛存人」とIPod
「十牛図」7枚目の絵は、「忘牛存人」です。
とうとう牧人は自分の庵に帰ってきて、牛を牛小屋に入れてほっとした牧人は、庵の前でのんびりとうたた寝をしています。
静寂の中、安猪の気持ちにひたりながら、休息しています。
牧人は「生きるとはどういうことか」という根本問題をほとんど解決したのです。
「十牛図」7枚目の「忘牛存人(ぼうぎゅうぞんじん)」の特徴は、牛が描かれていないことです。
牛を牛小屋に入れたので、いないのは当然です。
見逃しがちですが、牛小屋が描かれていてもいいはずなのに、「牛はない」という点です。
牧人しかいないのは、真の自己と、追い求める自己がひとつになったからです。
ジョブズ氏の心情も同じだったでしょう。
デジタルハブ構想のさきがけとなったiPodの成功ももちろんですが、それ以上にiTunesの成功は重要でした。音楽市場を完全に変えてしまったのです。それは後に続く、フィルム(写真)、書籍、映画(動画)など、従来の市場の解放につながる成功だったからです。
Think Different・・・・大切なことは、目に見えないからね
十牛図⑦「忘牛存人」:まどろんでいるとはなにか?
Think Different、デジタルハブ構想は、iPodのリリースで具現化しますが、iPodはiPhoneのさきがけでしかなく、iPhoneはiPadへ飛躍し、iPhone、iPadがMacとともにハブになっていきます。
これら次々と投げ込むデバイスを貫いていたのが、シンプルな美しいデザインです。天地同根万物一体、美しい筐体には「禅」が息づいていました。だってぼくのバラだからね。
十牛図⑧「人牛倶忘」とiPhone
何歳ですか?きょうだいは何人いますか?
スティーブなら聞かないよ。
「十牛図」の八番目の絵「人牛倶忘(じんぎゅうぐぼう/にんぎゅうぐぼう」は、禅ではおなじみの空、円相になっています。
空は「あるようであり、ないようでもない」
円相には「必要なものは全部あり、無駄なものはなにひとつない」という意味があります。・・・・大切なことは、目に見えないからね、ものごとはハートで見るんだよ。
十牛図⑧「人牛倶忘」:空 あるようでなく、ないようであり
一般に自分は実体のある存在だと思っていますが、他者がいて自分を認識できます。
つまりブッダのいう「縁起」によって自分があるだけです。その証拠に、縁がなければ何も生起することがなく、顔も知らず、誕生の瞬間も、終焉のときも観察できず、立ち会うこともできないのです。自分を認識するには他者を通して人生によって知るしかありません。
スティーブ・ジョブズが大学を中退して、自宅のガレージ起業したのは、社会という場で、自分と出会い、自分を認識するためと言っていいのでしょう。スティーブには大学のキャンパスをウロついている時間はありませんでした。彼はスティーブ・ジョブズになりきる時間が必要だったのです。
リンゴを ひとつ
ここに おくと
リンゴの
この 大きさは
この リンゴだけで
いっぱいだ
リンゴが ひとつ
ここに ある
ほかには
なんにも ない
ああ ここで
あることと
ないことが
まぶしいように
ぴったりだ
(「リンゴ」まど・みちお)
十牛図⑨「返本還源(へんぽんげんげん)」とiPad
ハブ構想は、十牛図でいう9番目の絵「返本還源(へんぽんかんげん)」の世界です。
長い「迷い」とやっと到達した「悟り」の間での葛藤を克服してみると、一塵のけがれもない美しい自然が牧人に還ってきたように、スティーブにも訪れたのです。
私はiPhoneのブラックのモデルを愛用していますが、ブラックのモデルにスティーブの禅への思いが集約されているからです。
牧人に、8番目の絵「人牛倶忘」で描かれた空の世界からふたたび自然がもどってきました。
牧人の中に根本的な変革が起こったのです。
自我が消えたので、牧人は自然のようにすべてを平等視して生きることができるようになりました。
真の自分を超えて、新しい自分を手に入れたのです。
自然のようにすべてを平等視して生きることができるようになったとは、具体的にどういう現象でしょうか?
スティーブは新しい自分を手に入れたので、「涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)」に到達します。
涅槃寂静は「静やかな安らぎを得た悟りの境地」です。
十牛図⑨「返本還源」:源に還るとは?
遠離一切顛倒夢想究境涅槃(おんりいっさい てんどうむそうくきょうねはん)。
般若心経の一節です。
自分は肉体を持った人間であり、いずれ死ぬ運命にあるという誰でもが信じ込んでいる妄想から離れるということです。遠離一切、自分にまとわりつく一切を切り離せば、自然と一体になって、自由になれるという教えです。
災難に逢う時節には災難に逢うがよく候
死ぬ時節には死ぬがよく候
これはこれ災難をのがるる妙法にて候(良寛)
江戸時代の曹洞宗の僧侶である良寛の言葉です。
上の良寛さんのお姿は、晩年のスティーブ・ジョブズ氏に似ていますよね。
私たちがどんなに手を尽くしても死ぬ時は死にます。
それは変えられません。
であるなら、それらを受け入れて生きるしかありません。
どんなに不運が続き、大災害に逢おうとも、それは紛れもない命の現実でしかなく、そのことを「災難」としてしか捉えることができないならば、どこまでもその不運を嘆いて生きて行くしかありません。
しかしあるがままを受け入れて、今日を最後のように過ごせばどんなにか充実した時をすごせるでしょう。
「もし今日が人生最後の日だとしたら、今やろうとしていることは本当に自分のやりたいことだろうか?」(スティーブ・ジョブズ)
自然体で、すべてを受け入れて自分らしく生きることを実践したのです。
禅に憧れて禅そのものになり、スティーブ・ジョブズの世界は大宇宙になり世界を変えたのです。
十牛図⑩「入鄽垂手(にってんすいしゅ)」
十牛図、最後の絵、町に出て人々と交流する「入鄽垂手(にってんすいしゅ)」に到達していたのです。
「入鄽垂手」とは、悟りを開いたとしても、そこに止まっていては無益。 再び世俗の世界に入り、人々に安らぎを与え、悟りへ導く実践の意味です。
十牛図⑩「入鄽垂手」:人々と生きるS.ジョブズ
墓場で一番の金持ちになることは私には重要ではない。夜眠るとき、我々は素晴らしいことをしたと言えること、それが重要だ。
スティーブ・ジョブズ
この言葉は、まだ大学生だったスティーブのハートを鷲掴みにした4ドルの雑誌「全地球カタログ」に通じています。
ブッダの教えである「一人一宇宙」は、大宇宙とつながったのです。(→入鄽垂手)
私たちは、スティーブ・ジョブズがワクワクして読んだ全地球カタログを体験したのです。
最後に、創業から始まりとなったアップル退社の「尋牛」からThink deffrent「騎牛帰家」そして10枚目の「入鄽垂手」までのプロセスをご紹介します。全部で10記事になっています。
普遍的な真理を説く「禅」「十牛図」は誰の、どのような人生にもフィットすることを教えてくれているようです。
スティーブ・ジョブズ氏は十牛図のすべてを踏破しています。
アメリカの大手IT企業では、多くが「マインドフルネス」を採用していますが、なかには「マインドフルネス」を学んだことによって矛盾を感じて企業活動から脱落する方も少なくないといいます。難しい課題ですね。
しかし、スティーブ・ジョブズ氏が最後の絵まで到達したというのは、「愛のちから」だと信じて疑いません。
彼は何より「親の愛」を求めていました。
しかし、スティーブ・ジョブズ氏の凄いのは、少しばかり大袈裟にいうなら、人類への愛に高めたことです。
それはきれいごとではなく、生きるための切実なものだったでしょう。その切実さを開花させたのは、育ての親の愛だったのではないでしょうか?
もし、育ての親が歪んだ心も持ち主であったなら、スティーブ・ジョブズの56年の人生も埋もれてしまったと思います。
まとめ
十牛図6番目の絵「騎牛帰家」で牧人が牛に乗り、笛を吹いている姿は歓喜の姿です。その歓喜は娯楽や酒で得られるすぐに消えて無くなるものではなく、自分より高いところをめざすモチベーション(動機付け)になるものです。
人は自分の役割を終えると、旅立つといいます。
心地良い旅を続けていると信じています。
スティーブ・ジョブズ
- 禁止令に苦しんでいる方
- 人生200年時代の基礎的な力が不足していると感じている方
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