
「入鄽垂手」で、牧人はなぜ、こんなに大きくなり、道行く人と楽しく会話をしているのでしょう?「入鄽垂手」の問いは「人が往来する場所で「生きる」とはなにか?」です。
10のプロセスを振り返りながら、一緒に答えを見つけましょう!
① 尋牛(じんぎゅう)・・・・・・・・・・・牛を探しに旅に出る
②見跡(けんぜき/けんせき)・・・・・・・牛の足跡を見つける
③見牛(けんぎ・・・・・・・・・・ようやく牛を見つける
④得牛(とくぎゅう)・・・・・・・・・・野生の牛はすぐに暴れ出す
⑤牧牛(ぼくぎゅう)・・・・・・・・・・暴れる牛をいかに飼い馴らすか
⑥騎牛帰家(きぎゅうきか)・・・・・・・牛に乗って故郷に帰る
⑦忘牛存人(ぼうぎゅうぞんじん/ぼうぎゅうそんにん)・・・・ 飼い馴らした牛は忘れてしまっていい
⑧人牛倶忘(じんぎゅうぐぼう/にんぎゅうぐ・・・・・人も牛もいないゼロの世界
⑨返本還源(へんぽんかんげん/へんぽんげんげん)・・・・・無の世界から有の世界へ還る
⑩入鄽垂手(にってんすいしゅ)・・・・町に出て人々のために働く
「十牛図」⑩枚目の絵は最後の絵「入鄽垂手(にってんすいしゅ)」になりました。
「入鄽垂手(にってんすいしゅ)」;これまでの9枚と全く違うので驚かれるでしょう。
牛を追いかけていた牧人の体は、なぜか、太って大きくなっています。
しかも、だらしなく見えます。手には禁止されている酒を持っているようです
入鄽垂手とは、お悟りを得たものの、世間と隔絶しているようでは小乗と言わざるを得ない。世の中に身を投じ、教えを導き、できることがあれば、させて頂くことが、何よりの幸せとだと言う意味ですが、入鄽とは、廊が町の意味で、町に入ったことを意味します、霊手とはぶらりと手をさげた身構えないポーズです。つまり対等を意味しています。人間関係の構えは次の4つです。
- 私はOK,あなたもOK
- 私はOKあなたはNO
- 私はN0,あなたはOK
- 私はNO,あなたもNO
以上ですが、牧人の様相からして<私はOK,あなたもOK>だと推察できます。垂手はもともとは釈迦の相なので、自然に教化され身についたのでしょう。安全基地が安全基地でなくなるとき、相手があなたを思い通りにしょうとするときです。あなたはあなたのマスターなので、自分の人生の主人公はいつもあなたです。と同時にあなたの決めたことはすべて思い通りになりますが、その責任も自分で引き受けるしなありません、そこで不安になるかかもしてませんが、そうしても「大丈夫!」なのです。
- 本当の自分を探している方
- いまある悩みから解放されたい方
- やる気が出ないとお悩みの方
- ゴミ部屋に住んでいる方
- 将来が不安な方
「十牛図」⑩・・・「入鄽垂手」は、いまある悩みから解放されたい方にぴったりの記事です。
入鄽垂手 序
序とは
(じゅ/しょう)とは、10枚の図に添えられた漢詩のことです。
柴門(さいもん)独り掩(おお)うて、千聖も知らず。
爺に逢うては爺相応、婆に逢うては婆相応、子供に逢うては子供相応。
自己の風光を埋めて、前賢の途轍(とてつ)に負(そむ)く。
瓢を堤(ささげ)て市に入り、杖を策(つ)いて家に還る。
酒肆(しゅし)魚(ぎょ)行(こう)、化して成仏せしむ。
《現代語訳》
玄関の柴の門を閉じた人のように、この世のどんな”聖”も知らない人がいる。
爺に会って爺にならう、婆に会って婆にならう、子供に会って子供にならう。
だれかに会ってだれかにならう。
風光をうずめたように、自分の渇きも自分の闇もなくして、
前賢の途轍にそむいたように、自分の道だとおもっていた道さえもなくす。
酒瓢箪をぶら下げて町に入って来て、酔っ払って、
転ばないように杖を突いたこの道は、家へかえる道。
酒場へ酒を飲みに行くし、魚屋へ行って肉食だってする、
人々の中へ入って人になる、この人を「人のム(無)」とし仏とする
入鄽垂手 頌
頌(じゅ/しょう)とは、10枚の図に添えられた漢詩のことです。
露胸跣足入廛来
抹土塗灰笑満顋
不用神仙真秘訣
直教枯木放花開
胸を露(あらわ)にし足を跣(はだし)にして鄽(まち)に入って来た
だらしなく胸をはだけて、笑顔で町に入ってきたのだ。
だらしない格好で、しかも裸足で酒場に入る。金襴にも紫衣にも用は無い。
破れた服で、透明にすけて見えるかのように、心を開いている状態で衆生済度に働く。
土をこすりつけて灰を塗ってまるで自分はいないかのようだ。
薄汚れた身なりで大笑いしている。
そんな汚い格好でみんなで笑いながら酒を飲んでいる。
周りの人たちも気持ちよく、和気藹々と酒を飲んでいる。
その人たちから薫習でしているようで中にはブッダがいるようでみんなが一体だ。
神仙真の秘訣を用いず
秘術や奇跡など起こさないで、
旅の途中で布袋様のような一人の僧に出会った。
面白い僧なのでしばらく一緒に旅していたが、ある日、河を渡ろうとすると、その僧は河の上を歩いて渡ったそうだ。そこで袂を分かったが。仏法に不思議なし。奇跡など必要有りません。
学問するのも、仕事をするのも、商売をするのも、金を儲けるのも、ことごとく利他のため。
人の世の幸福を向上するがため。自己のためではなく、他人のため、じつにこの私どもが人間として生きる世界(場所)のためだ。
直に枯れ木をして花を放って開かしむ
枯木に花を咲かせてしまう。
水を掬すれば月手に在り、花を弄ずれば香衣に満つ。水を掬えばそこに月が映る。
花を持てば着ている服にもその香りがする。
この水のような、花のような無心の心境、無為の境地。入鄽垂手です。
愛することは己事究明
人と出会い愛を語れば、語った者には責任がある、安全基地だと信じたいからだ。星の王子さまに登場する一本のバラは愛されることを求めて王子に好き放題の不満を言います。結局王子は旅出てしまうが、ある星で出会ったキツネから大切なことを教わります。絆は永遠にきれないのです。なぜなら君の安全基地と繋がっている絆が切れないように見張っているのが僕の仕事だからです。
入鄽垂手に登場する布袋さんのような汚れた僧は、体裁を整える間もないほど、愛することに忙しいのだ。
愛着の安定化は生きづらさを改善する最大の鍵です、多くの人が面倒な人と切って捨ててしまえばしまうほど傷ついている人の孤独感は強くなります。そんなことがないように安全基地であり続けることが最強の愛なのです。自立への最大の応援なのです。
相手の言葉だけでなく、態度、仕草、表情、といった非言語的な反応②神経をすり減らして、相手が何を感じているか何を求めているかを必死に汲みとろうとする。愛する能力が高いとはそういうことでないだろうか、相手の気持ちを正確に汲み取ろって正確に返すことができて、相手に寄り添えるのだ。
しかし愛着が不安定な相手は「気まぐれ」に見えるように故意に困らせる。その愛着の絆は本物か、試すのに忙しい。高い感受性をもってしても粉々に打ち砕くほどに相手も真剣なのです。それを承知でエネルギーと集中が試される、相手のかすかな反応さえも見逃さない全神経を逆撫でするような言動にも惑わされない真剣勝負だ。
相手が何年生きるか、自分が何年生きるか、そんな先のことは分からない。しかし200年婚とは、ここにいてもいなくても同じことだ。愛したのは唯一無二、あなただけ。死んだ後にも生きてる間と同じように聞こえるようにすることだ、つまり愛することは己事究明!なのです。
己事究明とは、簡単に言えば「本来の自分を追究すること」です。 「本来の自分」と言葉で言うのは簡単ですが、「自分はこういう人間だ」「こういう生き方をしてきた」などと言葉で表現できるうちは、真の己事究明ではありません。 文字や言葉で表現できる「己事」を超えたときに真の「究明」になるのです。
地球そして世界はあらゆるエネルギーの集積所です。種を蒔かないと育たないのです。あるものを得たいと思ったら自身がエネルギーを注がないと育ちません。愛のエネルギーは人を思う気持ちからしか得られません。
愛着で苦しんでいる人、つまり絆の問題で問題を抱えている人は、安全基地が少ないので、もっと広くしてあげたら良いと思います。安全基地を広くしてあげたい。少しづつでも広くなると走ったり、手足を伸ばしたり、気楽に過ごせます。唯一無二の美しい人生を生きている理由は、それですね。望んでいる思いを目的にしたら<唯一無二の美しい人生を生きる>形になってしまったのです。
私は唯一無二の美しい人生を生きている
私が、唯一無二の美しい人生を生きている理由を少し説明します。200年婚を生きいるからです。
200年を生きた方は存在しませんが、愛するために<真の自己>になると決めたからです。
愛する人を応援し続けるために、愛する人より1日でも永く生きていたい気持ちを200年婚に集約しました。
200年生きる活力資産に注目しています、
思いを目的にしたらかたちになる。200年婚というかたちは、唯識をバックボーンにしています。
唯識とは、個人、個人にとってのあらゆるすべての存在が、唯、8種類の識によって成り立っているという大乗仏教の見解の一つです。8種類の識すなわち八識とは、顕在意識にある5種の感覚と意識に2層の無意識を加えたものです。
まず、5種の感覚は、視覚や聴覚などの感覚も唯識では識であると考えます。識というのは貯蔵庫のようなものです。感覚は5つあると考えられ、それぞれ眼識(げんしき、視覚)・耳識(にしき、聴覚)・鼻識(びしき、嗅覚)・舌識(ぜつしき、味覚)・身識(しんしき、触覚など)と呼ばれ、総称して「前5識」と呼んでいます。
この5つの識をを美しくします。可能な限り美しい者にしていくことで、6番目の<意識>を美しくしていきます。意識は、つまり自覚的意識のことです。6番目なので「第6意識」と呼びます。
人間のいちばん美しい意識は人を思う心です。人を思う心を美しくするのが5つの識との接点ですが接点を磨くことで取り巻く環境が美しくできます。どんなものでも美を掬い取るのです、掬い取るのは技術の問題かもししれませんが掬い取る前に決心があります。そこには創造力が求められます。つまり人は創造力で唯一無二の美しい人生できるのです。その際、問題になるのが時間です。料理で考えてみましょう。料理が素材をどう活かしたかで決まりますが、技術が未熟な場合、盛り付けで補うことができます。ところが盛り付けも難易度がたかいのが事実、それでも美を求める<誠実>は出せるものです。<誠実>は<創造力>なのです。
受け取る約束
アファメーションを何のためにしているのか?
- 方針を言葉にして宣言にします、(内容によって細部は言葉にしなくても大丈夫です
- 基準を定める
- 「一日一生ひとつの階段、進化して、より良い人間をしている」が基準です。
- 望むものを受け取る気分を思い浮かべます
- 受け取る恐れから逃げ出す対処方法を決めておきます。人間が作った学校教育と宇宙との接し方違うものです。宇宙のルールで考えましょう。
- 左脳が作った思い込みは受け取りから逃げ出すことになり、真の自分から乖離しているので苦しみになります、これは受け取るのに時間がかからないことを無視していることに繋がります。顕在・潜在・超意識を問わずべての浪費です。一刻も早い克服を実現します。
- アファメーションをルーティーンにして実行します、
ここからのルーティーンにするアファメーションは「私は導きを受け入れて無限とともにいます』
あなたが望むことを目的にしたとき、すでに目的は達成しています。必要なのは受け取ることです。
決して逃げ出さないでください。阿頼耶識が受け取るなとコントロールしても負けないでください。
まとめ
真の自己とはというテーマを追求してきた『十牛図』ですが、人々に貢献することは、自分のためでもあるのです。つまり自利利他です。
「自利利他」とは自らの悟りのために修行し努力することが、自然と他の人の救済のために尽くすことにつながっているということです。
コロナウイルスで話題になった「マスク」が典型的です。
自分を守るために使っているつもりが、他者を守るための行動です。
裏返すと他者に迷惑をかけないようにしている行為が、自分を守る行動になっています。(=利他主義)
利他主義は人が往来する場所で「生きる」上で欠かせない考え方、持続可能な社会の基礎的な考え方ですね
「入鄽垂手」には「十牛図」の心がつまっています。
「十牛図」は、仏教の修行つまり出家した人だけが「し合わせ」になるのではなく、すべての人が「し合わせ」になることをめざしています。
善もなく悪もない。対立を排除してしまったところに、新しい自分(=本性)がいます。
「入鄽垂手」に描かれた牧人(=本性)に出会うには一行三昧を理解することより、触れることが重要だと「入鄽垂手」に至るプロセスが語っています。
- 尋牛(じんぎゅう)
- 見跡(けんぜき/けんせき)
- 見牛(けんぎゅう)
- 得牛(とくぎゅう)
- 牧牛(ぼくぎゅう)
- 騎牛帰家(きぎゅうきか)
- 忘牛存人(ぼうぎゅうぞんじん/ぼうぎゅうそんにん)
- 人牛倶忘(じんぎゅうぐぼう/にんぎゅうぐぼう)
- 返本還源(へんぽんかんげん/へんぽんげんげん)
- 入鄽垂手(にってんすいしゅ)












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